憧れよりも恋を重視する(31)

 葉様にとって妖怪は仇敵だ。その全てが抹殺対象であり、妖怪の撲滅が最終的な目標である。

 そのため、妖怪と相対した時、葉様は例外なく、妖怪を確実に殺せる戦い方を考えていた。それも自分自身で手を下す方法だ。他人の力など一切計算に入れていない。


 だが、毒の後遺症によって、葉様はそれまでの力を発揮することができなくなった。


 元から妖怪を完璧に相手できるとは言えない実力だ。それなのに、それすらも発揮できない。

 そうなった時、葉様の考えは変化せざるを得なかった。


 絶対に頼ることがないと思っていた秋奈に教えを乞い、自分にできることを積み重ねるしかないと思い知らされた。

 足りない力を補うための方法を教えてもらい、それまで誰しもが当たり前に理解していることを改めて葉様は理解した。


 そうしていく中で、葉様の妖怪に対する考えも少しずつ変化していた。


 妖怪は仇敵だ。それ自体は変わらない。全て撲滅すべきだと未だに考えている。


 しかし、そのために必要なのは妖怪を殺すという結果であり、その過程に自分の力は必要ない。

 自分の手で殺せなくても、妖怪がこの世界から一匹でもいなくなるのなら、そちらを優先するべきだ。


 だから、葉様は今回も決めたのだ。目の前の赤い髪の男を人型と理解した時に、その人型を殺すという、これまでの葉様が導き出すはずの結論を早々に捨て、その人型を確実に殺せるだけの状況を作り出すことにした。


 それを実行するのは自分ではないと理解した上で、葉様は悔しさを噛み締めて、目の前の人型を確実に殺せるようにひたすらに耐えた。


 葉様の目的は最初からそこにある。


 それに恋路はようやく気づいた。葉様の性格から想像していた目的から微妙にずれている。それくらいのことを見抜けない恋路ではなかったが、これは完全に怠慢が招いた結果だった。

 そのことに表情を歪めながら、恋路は小さく呟いた。


「時間稼ぎをしていたのか…」

「ああ。本当はお前を直接殺したくて仕方なかったが、そうできないことくらいは誰よりも理解している。お前に対する殺意で頭がおかしくなりそうだったが、それでも歯を食い縛って、この時を待っていた」

「ガキが!」


 恋路が葉様に手を伸ばした瞬間、その手のある場所を斬撃が通過しようとした。それを視界に捉えると同時に、恋路は反射的に手を引っ込め、その斬撃によって腕を切断されることは免れたが、問題はそこからだった。


 遠くで秋奈が大きく息を吸い込み、一気に刀を振り始めた。その一太刀一太刀に合わせて、斬撃が刀身から飛び出し、恋路に襲いかかってくる。

 ここは狭く、どこまでも直線の続く廊下だ。この空間の中で秋奈の仙技は最大限の威力を発揮する。


 恋路は飛来する斬撃を視界で捉え、それらに対応するように身体を動かし始めた。躱すために回転し、身を屈め、細かなステップを繰り返す。


 一本の刀を振るって斬撃を飛ばす。その仕組みがある以上、複数の斬撃が同時に襲ってくることはない。そこには確実に隙間が存在している。

 その隙間を縫うように躱し続けながら、恋路は状況に困り果てていた。


 躱すことはできても、接近することは難しい。この状況が続くと、他の仙人までやってきて、状況は更に悪くなる。

 恋路は侵入に使った扉に目を向け、そこまでの移動経路を想定した。攻撃という速度の落ちる行動を取らなければ、そこまで抜けることは難しくない。


 問題はそれをする瞬間だが、それは既に見えていた。


 秋奈は最初に大きく息を吸った。それはこの攻撃が無呼吸で繰り出されるものだからだ。


 つまり、秋奈が次に息を吸い込む瞬間、この斬撃の雨は一瞬だが止むことになる。


 その瞬間に攻撃することも可能だが、十中八九防がれることは間違いない。それによって体勢を崩せば、次の動きに影響が出る。

 元々、ここに入ったことは仙人を倒すことが目的ではない。逃げることに全力を尽くすべきだろう。


 そのように結論を出した恋路の前で、秋奈の手が一瞬、止まった。それに続いて、秋奈が口を開く瞬間が見え、恋路は下肢に力を込めた。

 息継ぎ。この瞬間しかないと思い、恋路は飛び出そうとする。


 その直後、恋路は自分の眼前にある見えない壁に額をぶつけた。それは小さな障害だったが、恋路の速度を殺すには十分だった。


 まさか、と思いながら、恋路は一瞬、葉様に目を向ける。そこで葉様は小さく笑っていた。


(目で見えない物を見るためには、意識する必要があるのだろう?それはさっき俺の心の声を呼んだ時から分かった。秋奈莉絵の斬撃は俺達の目でも見えるほどの形を持っている。それを見るのに意識していない状況で、俺が固定した仙気は見えない!)


 葉様の心の内が目に見え、恋路は歯を食い縛って視線を前方に戻した。そこでは息継ぎをしていた秋奈が再度刀を構え、速度の落ちた恋路をまっすぐに見ていた。


「クソが!」


 咄嗟に恋路は腕を横に伸ばし、廊下の壁を殴りつけた。


 その直後、秋奈の刀が振られ、恋路の身体はその中に飛び込んでいく。

 そのまま、恋路は廊下に転がり、右肩を押さえながら声を押し殺した。


 咄嗟に壁を殴りつけたことで軌道が変わり、身体を真っ二つに斬られることは何とか避けられた。


 しかし、伸ばした腕が秋奈の刀の軌道に入り、恋路は押さえた右肩から先を失っていた。それは今、秋奈の足元に転がっている。


「次は逃がさないわよ」


 そう言いつつ、秋奈がこちらに目を向け、恋路が歯を食い縛りながら、必死に頭を働かせようとした瞬間、恋路の鼻に嗅ぎ慣れた匂いが届いた。

 それに気づいた恋路は小さく笑みを浮かべてから、目の前の秋奈や葉様を力強く睨みつける。


「今日はここまでだ。だが、次は絶対に殺す!特にお前は俺が絶対に殺してやるから忘れるな。姫様よ!」


 最後に葉様を睨みつけて、そう言った直後、葉様や秋奈の視界から恋路の姿が消えた。

 そのことに二人が驚いてから、ようやく現場に漂う奇妙な香りに気づく。


「もしかして、もう一体?いつの間に?」

「おい!秋奈莉絵!序列持ちが何逃げられてるんだ!?」

「そんなこと言っても、皆が巻き込まれないように意識してたから、他のことに気づけなかったの。ごめんね」


 自分達が足手まといだった。そういう意味で秋奈は言っていないのだが、そのように汲み取った葉様は何も言えなくなり、小さく舌打ちをした。


「取り敢えず、仙医を呼ぼうか。二人は大丈夫?」


 秋奈の呼びかけに佐崎と杉咲が頷きで答える。


 全員生き残ることには成功したが、人型を殺すことには失敗した。

 その状況に葉様は複雑そうに表情を歪め、再度小さく舌打ちをした。

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