憧れよりも恋を重視する(17)

 図らずも休みを手に入れてしまった葉様だが、休むつもりは毛頭なかった。刀を片手に握り、葉様は一人でも特訓を継続する心意気で、Q支部内の演習場に向かう。

 そこまでする必要があるのかと大多数の人間は思うのかもしれないが、正直なところ、葉様は自分の現状について、少し苛立ちを募らせている部分があった。


 毒による後遺症があることは治療を受けている段階から分かっていた。元のように自由に手を動かすことはできないと理解し、納得したつもりだった。


 しかし、実際にその状況になってみると、葉様は自分の手や足がそれまでの自分と比べて、思い通りに動かない現状に焦りを募らせた。これほどまでに自由が利かないとは思ってもいなかった。


 怪我をした当初の自分の考えの甘さ。いつまで経っても、イメージ通りの動きをしない自分の身体。それを一向に受け入れられない自分の心の弱さ。それらに募る焦りは次第に苛立ちに変化し、葉様はそれを抱え込むことができなかった。


 刀を振る間はそれらを忘れられる。刀を振ることで、それらが湧き出た理由である、自分の身体の不自由さも取り払われる。

 半ば妄信に近い形で葉様はそれを信じ、そのために葉様は休みも押し返す勢いで、Q支部内の演習場に向かっているわけだ。


 しかし、それも途中までのことだった。正確には途中で演習場に行けない事態に遭遇した。葉様は演習場までの道のりで、その人物に遭遇してしまった。


 それは葉様が現状、逢いたいとはあまり思っていなかった相手。

 佐崎と杉咲の二人だ。


「あ、いたよ」


 杉咲が佐崎の袖を引っ張り、葉様の顔を指差した。葉様はその行動もそうだが、二人がその場所に立っていたことに眉を顰める。


 二人が廊下を歩いている最中なら、その出逢いを特に悪く思うことはないとは言い切れないながらも、悪いことと断定することはなかったが、今の二人は明らかに足を止めていた。

 それは誰かを探すようであり、誰かを待ち伏せするようだ。


 そして、葉様はその相手について、大体の予想が立っている。というか、杉咲が既に答えを言っていた。


「涼介。待ってたぞ」


 軽く微笑みながら、佐崎はそのように言ってきたが、その微笑みを葉様がただの微笑みとして見ることはなかった。佐崎がわざわざ待ち伏せし、そこで微笑んでいることなど、何か悪いことが起きる前兆でしかない。


 これは取り合うべきではない。そう判断した葉様が二人を無視し、その場を立ち去ろうとする。


「悪いが、今は忙しいんだ」


 そう言いながら、二人の脇を通り過ぎようとしたが、その足を縫い止めるように佐崎が口を開いた。


「でも、今日の特訓は休みだって聞いているぞ?」


 その声に葉様の足は自然と停止し、ゆっくりと振り返った。葉様の特訓に関する話は当事者である葉様、水月、そして、秋奈以外に知っている人がいるとは思えない。


「どうして知っている?」


 誰が漏らしたのかと少し眉間に皺を寄せながら聞くと、佐崎は軽く微笑んで、想定外の名前を口にしてきた。


「相亀君が今日は休みになるだろうって教えてくれたよ」


 その名前に葉様は休みを言い渡された時のことを思い出していた。水月が何かに誘われ、その流れから特訓は休みになった。


 つまり、その誘いの側にいる人物からは簡単に情報が漏れるということだ。当たり前の事実に気づき、葉様は溜め息をつく。

 特訓という理由を盾に二人を無視しようとしたが、それも使えないようだ。


「仕方ない。用件だけ聞こう」

「いやいや、用件だけって他人行儀な…俺達が来る用件なんて決まっているだろう?」


 そう言ってから、佐崎は葉様の目の前で書類の束を取り出した。その書類に見覚えのある葉様は苦々しい顔をした。


「まさか、仕事と言い出すつもりか?」

「そのまさかだ。暇なら付き合えよ。溜まってるんだ。お前がいないから」

「いや、だが、俺は…」


 葉様は自分の手を見やる。まだ万全とは言えない状態で、このまま仕事に向かうには躊躇いがあった。


「何だ?人型とは戦って聞いたが?」

「あれは成り行き上そうなっただけだ。何より…」


 あの戦いから、自分の力不足を更に実感したとは口に出せなかった。その言葉を飲み込み、俯いた葉様を見て、佐崎が小さく溜め息をつく。


「いいから、手伝ってくれ。こっちは手一杯なんだ。お前がいなければ回らない。それにいつまでも閉じこもるつもりはないんだろう?」

「それは…当たり前だ」

「なら、行こう」


 佐崎がそう口にした瞬間のことだ。三人の空気を引き裂くように甲高い音が鳴り響き始め、三人は揃って顔を上げた。


 警報。Q支部内で何かが起きた証拠。それを理解した葉様達が周囲に目を向ける。


 そして、最初に杉咲が廊下の先を指差した。


「向こうから妖気が」


 杉咲の指差す方向を見て、意識を集中させた葉様と佐崎が杉咲の言っている妖気に気づく。妖術を使っているわけではないようだが、その妖気の大きさは十分に脅威と言えるものだ。


「未散!行こう!涼介も!」


 佐崎がそう言いながら、葉様を見てきた。いつもなら、真っ先に走り出す葉様だが、一瞬、躊躇うように自分の刀を見つめてしまう。

 それは新しく作ってもらった刀で、葉様の新たな力を十分に発揮できるもののはずだ。


「涼介!今は考える時じゃない!やる時だ!」


 佐崎がそう告げ、葉様はそこまでの苛立ちを噛み潰すように歯を食い縛る。


「分かっている!そんなことは!」


 そう叫びながら、葉様は走り出した。佐崎や杉咲が後ろからついてくる気配を感じながら、葉様は漂ってくる妖気にただひたすら向かっていく。


 自由に動けないことなど分かっていたことだ。自分の手足が自分の物ではないように感じるかもしれないと十分に想像していたはずだ。


 そのはずなのに、動揺する自分の心の弱さが許せなくて、受け止め切れずに焦りや苛立ちを募らせる自分が嫌いで、そういう鬱憤の一つ一つを握り潰しながら、葉様は『葉刀ようとう』を引き抜いた。


 そのまま、そう言った抱え込んだモヤモヤの全てを振り払うように、葉様は辿りついた先にいた赤い髪をした男に飛びかかった。

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