憧れよりも恋を重視する(4)

 覚悟を決めた表情は戦に挑むようだった。座ったままの鬼山きやま泰羅たいらは顔を上げ、その表情に息を呑む。


 もしかしたら、謀反か。それとも、何らかの恨みか。鬼山は自分が攻撃される可能性も危惧し、視界の中で佇む飛鳥あすか静夏しずかにも目を向けるが、飛鳥は軽く頷くばかりで鬼山を助けるつもりはないらしい。


 バン。そう思っていたら、唐突に机に手を突き、鬼山の前に立っていた人物が身を乗り出してきた。


「支部長!よろしいでしょうか!」


 その威圧感たっぷりの視線と声に、鬼山は苦笑にもならない笑いの出来損ないを浮かべながら、目の前の人物を見上げる。


「ど、どうした…?軽石かるいし…?」

「大事なお話があるのですが!」


 怯える鬼山に気づいていないのか、顔を勢い良く突き出しながら、軽石瑠唯るいが口の端から唾を飛ばした。


 仮に攻撃されるとしたら、抵抗しないわけにはいかない。部下を犯罪者にしないように、被害を受ける前に鎮圧しないと。


 そのように頭の中で考えながらも、鬼山は一度、軽石を落ちつかせる必要があると考えた。話し合いで済むのなら、話し合いで済ませたいところだ。

 前のめりになっている軽石の肩に手を伸ばし、鬼山はゆっくりと軽石を押し返す。


「まずは少し落ちつこうか」


 そう言われ、途端に我に返ったように表情を変えた軽石が、顔を真っ赤にしながら頭を下げてきた。


「すみません!緊張していて!」


 どうやら、敵意があるわけではないようだ。謀反の類ではないようで、さっきの威圧感は緊張由来のものだったらしい。


 そのことに安堵しながらも、緊張する話とは何だろうかと鬼山は考えていた。

 わざわざ鬼山に話すことで緊張することと言えば、鬼山の思いつくものは一つしかない。


 まさか、辞職か。奇隠を辞めたいと考えているのか。そう考え、鬼山は少し青褪めかけた。


 軽石は多少抜けている瞬間もあるのだが、基本的には非常に優秀で、鬼山の考えを先回りした行動を取ってくれる場面も多くある。その人材がいなくなることはQ支部にとって、大きな痛手と言えるだろう。


 もしも辞めると言い出したら、軽石の担当している仕事の多くをどのように処理するか、今から考えないといけない。

 そのことに頭痛を覚える鬼山の前で、緊張した様子の軽石が手を突き出してきた。


「実は私事なのですが!」


 その一言と共に突き出された手を見た鬼山が、その薬指に光る物を発見し、表情を青くしていく。


「この度、け、結婚することになりまして!」


 結婚。そこから考えられる次の台詞を想像し、鬼山の頭の中で『寿退社』の文字が輝き出した。


「それで、その彼に、この奇隠の仕事のことを話したいのですが、よろしいでしょうか!」

「ああ…うん…うん…?奇隠の仕事を話す…?」

「はい!結婚後も仕事を続けていくためには、把握してもらうことが必要だと思うんです!」

「ちょっと待て。つまり、仕事は続けるということか?」

「はい?もちろん、そうですが?」


 当たり前と言いたげに首を傾げる軽石を見て、鬼山は心の底から安堵した。大きく溜め息を吐いて、小さく「そうか」と言葉を返す。


「できれば、彼をこのQ支部に案内したいのですが、ダメでしょうか?」

「案内か…結婚して夫婦になるなら、確かに理解は必要だな」


 それは鬼山も理解できるところだが、これまで一切話していないとなると、相手も確実に受け入れるとは限らない。その時の対応も考えないといけないことを軽石には説明しなければいけない。


 そのように考え込んでいたら、鬼山が難色を示していると思ったのか、鬼山の前に飛鳥がグイッと割り込んできた。


「支部長、私からもお願いします」

「え、急に何だ?」

「私は軽石さんの幸せを応援したいんです。そのために必要なことがここにあるなら、私はここに案内してもいいと思っています」

「ああ、それは分かってる。別に断ろうと思っていたわけじゃない」


 軽石と同じくらいに前のめりになっている飛鳥を除けながら、鬼山は再び軽石を見た。


「Q支部に案内すること自体は問題ない。ただ万が一、相手が奇隠のことを受け入れられないという態度を示した場合は、記憶の操作を行う可能性がある。それはいいな?」

「支部長は軽石さんと結婚する人を信用できないということですか?」

「お前は少し黙っていろ。万が一と言っただろうが。こっちは最悪の場合を想定する責任があるんだよ。もちろん、その可能性はないと思っているが、その未来がある以上、その可能性も話しておかないといけない。そうなった時に、急にそうなりますと説明されても覚悟が決まらないだろうが」


 面倒な飛鳥に説明しながら、鬼山が軽石に再び視線を戻すと、軽石もその可能性は考えていたようで、小さく頷いていた。


「その時は分かっています」

「最悪、軽石と逢う前の状態にするかもしれない。それでもいいな?」

「はい…大丈夫です…」


 小さく俯く軽石に飛鳥が睨みつけるような目を向けてきたが、鬼山としては仕様がないと言うしかなかった。そうしなければ奇隠という組織が守れない。


「それから、日程はこちら側からも要望を出すが問題ないか?」

「ああ、はい。できれば早い方がいいんですけど」

「早い方か…現状のままだとしたら、週末…土曜日くらいなら問題ないだろう。その日はどうだ?」

「確認してみます」


 それから、軽石が婚約者に連絡を取り、Q支部の紹介が土曜日に行われることに決定した。

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