憧れよりも恋を重視する(2)

 幸善の本部行きは相亀にとって朗報でしかなかった。どうしようもなく気に食わない奴が何人かいるが、その中の一人がいなくなることを喜ばないはずがない。


 奇隠の仕事を含めて考えても、幸善がいなくなることで相亀が困ることは何一つない。寧ろ、平穏に仕事を行えるというもので、良い点しか思い浮かばないほどだ。


 学校での生活となれば言うまでもなく、幸善がいることでメリットがあったことは一度もなかったはずだ。

 迷惑ばかりかけてくる奴がいなくなり、これでようやく清々する。幸善と出逢う前の平穏な日々が戻ってくる。


 そう相亀は思っていた。


 だけど、いざ幸善がアメリカに旅立つと、それが間違いだったことに気づいてしまった。


 幸善が日本からいなくなることで、幸善と出逢う前の平穏だった日々が戻ってくると思っていたが、幸善がいる時以上に相亀は幸善のことを考えてしまう。


 幸善がいる間は気づかなかったことだが、相亀は気づいてしまった。いや、もしかしたら、ずっと前から気づいていたのだが、忘れていたのかもしれない。


 相亀は再び幸善の名前を思い出しながら、ゆっくりと顔を上げる。


 そうだ。相亀は分かっていたのだが、すっかり忘れていた。


 椋居むくい千種ちくさがどれだけ面倒な男なのかということを。


「大丈夫か?頼堂君がいなくなって、寂しいんだろう?俺達が慰めてやるから、元気出せよ」

「ゲンちゃん。離れてても、思い合っていれば、きっと大丈夫だよ」

「何の話だよ!?」


 抱きついてきた羽計はばかり緋伊香ひいかを押しのけながら、赤面した相亀は絶叫した。幸善がいなくなったことで平穏な日常が戻ってくると思っていたが、そもそも相亀の日常に平穏が訪れたことなどないことを相亀は忘れていた。


 特に椋居と羽計がいる限り、相亀は揶揄われる日々が続くだけで、幸善がいなくなったことはその餌を増やしただけだ。


 押しのけられた羽計は椋居に抱きつき、羽計を慰めながら椋居は相亀を見てくるが、その言葉を聞こうという気にはならなかった。


 幸善のことを思い出すつもりがなくても、幸善がアメリカに行くと聞いた日から、二人はこの調子で、ずっと相亀を揶揄ってくる。

 相亀としてはその面倒な揶揄いを止めたいところだが、椋居だけなら未だしも、羽計も一緒に来られると、相亀に抵抗する術は残されていなかった。


「大好きな親友がいなくなったからって、そんな風に人に当たるなよ」

「誰が大好きな親友だよ。お前の頭は沸騰してるのか?」

「チーくん、ゲンちゃんの大好きな親友はきっとチーくんだよ?」

「え?そうなのか?」

「そういうことでもねぇー」


 思いの外嬉しそうに相亀の顔を見てきた椋居に、相亀は調子を狂わされながら、二人から何とか逃れようと席を立った。


 逃げる先はいつ女子とぶつかるか分からない廊下だ。特に廊下はいろいろな出来事から、以前から得意ではなかったのに、更に苦手となっている節があるのだが、そうも言っていられない。


 取り敢えず、今は平穏さを求めて、相亀は廊下に飛び出したのだが、こういう時に限って、願いは叶えられないものだ。


「あ」


 その声が聞こえて、相亀は嫌な予感がしながらも顔を上げて、前方から歩いてくる人達に目を向けた。


「あ、お前ら」


 思わずそう声を出した直後、後ろから追ってきた椋居と羽計が相亀の肩を叩いた。


「どこ行くんだよ、弦次」


 そう声をかけてきた椋居の方を振り向いた瞬間、椋居と羽計が相亀のことをじっと見ている集団がいることに気づいたようだ。そちらに目を向けて、不思議そうな顔をした。


「あれ?君達は…同級生?どこのクラスの…」


 そう言いかけた椋居の前を遮るように、相亀は咄嗟に動いていた。ここでこの二つの勢力がぶつかるとややこしいことになる。

 それは人型ヒトガタ11番目の男ジャックが出逢うような問題さだ。何としてでも止めないと。


 そう思った相亀だが、その時には既に遅く、椋居が何かに気づいた顔をしていた。


「あれ?君達ってもしかして、頼堂君のクラスメイト?」

「え?幸善君を知ってるんですか?」


 そう東雲が返す声を聞き、相亀は全てを諦め、大きく項垂れた。


 終わった。平穏な日常は始まりもせずに完璧に終わってしまった。

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