憧れよりも恋を重視する(1)

 特別に日常の何かが変わったわけではない。住んでいる家も、通っている学校も同じで、家族は変わらずに朝の食卓に座っている。仲の良い友人も変わらず学校にはいて、そこで交わされる会話も同じもののはずだ。


 ただ一人だけ、その日常からいなくなってしまった人がいる。それだけで想像以上に、東雲しののめ美子みこの日常は変化していた。

 頼堂らいどう幸善ゆきよしが旅立って、初めて迎える学校での朝のことだ。


 日常からいなくなったとか、旅立ったとか言ったが、幸善は別に亡くなったわけではない。留学に行ってしまっただけで、いつか帰ってくることは分かっている。そう約束したから、それは間違いないはずだ。


 だが、そのいつかまで、幸善がいないことに少しのざわつきを覚える自分がいることも確かで、東雲は自分の気持ちに困惑していた。


 少し前なら、それもただ困惑するだけで終わっていたことだが、今の東雲はその気持ちの理由を理解している。

 だから、こういう気持ちにもなるのかと、少しの寂しさと一緒に発見にもなっていた。


 その東雲と比べても変化がないと思うほどに、幸善がいなくなったことに僅かな暗さを覚えている人物が他にもいた。


 それは東雲と同じく、幸善の幼馴染である我妻あづまけい――ではなく、意外にも久世くぜ界人かいとの方だった。


 教室に入ってきた我妻はいつもと同じ様子で、東雲と挨拶を交わしたのに対して、久世は明らかに元気のない様子であり、その様子が東雲を心配させた。


「久世君?どうかしたの?」

「ああ、いや、別に何でもないよ」

「本当に?体調が悪いとかでもなくて?」

「ううん。大丈夫。それよりも、今日から彼がいないね」


 そう言いながら、久世の視線が幸善の席に向き、東雲は久世も自分と同じように、幸善がいなくなったことに思うところがあるようだと考えた。


「やっぱり、幸善君がいないと、ちょっと学校も違って見えるよね」


 そう呟いた東雲の言葉を聞き、久世が少し驚いた顔で東雲を見てきた。東雲は自分の発言を特に不思議に思わなかったが、何か変わったことを言っただろうかと思い返し、首を傾げる。


「どうかした?」


 そう聞いてみるが、久世は何でもないと笑って言うだけで、何を思ったのか言ってくれることはなかった。それが妙に気になるが、ざわつきに支配された東雲の心では、それを深く考える余裕もない。


「だけど、そうだね。彼がいないと張り合いがないと言えるね」

「やっぱり、久世君は幸善君が大好きなんだね」


 そう言われ、久世は目をぱちくりさせている。ぶんぶんと首が取れそうな勢いで振ってから、「心外だな」と口にしているが、東雲の目にはそうとしか映らない。


「いつも幸善君に自分から絡んでいくし、きっと大好きなんだなって思ってるよ」

「それは…」


 一瞬、そこで言い淀んでから、何かを久世が言おうとした瞬間、割って入るように我妻が顔を出した。


「どうしたんだ?」

「今日から幸善君がいないって話をね」

「ああ、そうだな。行ってしまったな」


 我妻も何だかんだ寂しく思っているのか、少し俯きながらそう呟いてから、不意に思い出したように顔を上げる。


「そういえば、いつ帰ってくるか誰か聞いたか?」


 我妻の質問に東雲と久世は揃ってかぶりを振った。


「何か帰る日は漠然としか聞いてないから、向こうで分かった時に連絡するって言ってたよ」


 出発の前に幸善から聞いた言葉を思い出し、我妻は聞いていなかったのかと思った東雲が伝えると、我妻は不思議そうに考え込む素振りを見せた。


「留学だろう?それも政府の関わっている。それが期間は決まっていないことがあるのか?」

「それは…確かに?」

「実は決まっていて、サプライズをしようとしていたりして」


 久世が思いついたように口をすると、怪訝げに眉を顰めた我妻が久世の顔を見つめ始めた。その視線に久世は困ったように言葉を濁らせ、「なんちゃって」と消え入るように付け加えている。


「幸善君ならないとも言えないけど…先生なら知ってるかもしれないから、聞きに行ってみる?」


 東雲の提案に我妻と久世が頷き、三人は揃って教室を出た。廊下を歩いて向かう先は七実ななみ春馬はるまのところだ。


 職員室に向かっていく中で、東雲はふと前から見慣れた顔が歩いてくることに気づく。


「あ」


 先に東雲がそう声を出すと、向こうもその声に気づいたようで、東雲達の顔を見てきた。


「あ、お前ら」


 そう相亀あいがめ弦次げんじが口にした。

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