星は遠くで輝いている(2)

 七実と一緒に訪ねてきた女性は羽衣はごろも七花しちかと名乗った。どうやら政府の役人であるようで、名刺と一緒に役職を千幸に説明していたが、幸善は何一つ覚えることができなかった。


 二人が訪問してきた理由だが、千幸と違って幸善には思い当たる節があった。羽衣がそうであるかどうかは知らないのだが、昨日からの流れで言うなら、幸善の本部行きに関する説明のはずだ。


 そう思っていたら、羽衣が数枚の資料と共に千幸に留学制度の話を始めた。現在、政府が進めている制度で、数ヶ月に一度、全国から数人の生徒が対象に選ばれるそうなのだが、今回はその対象に幸善が選ばれたという話だ。

 それを聞きながら、自分が選ばれたのかと驚くほどに幸善は純粋ではなかった。


 つまり、これが奇隠の選んだ説明ということだろう。


 流石に七実が自分の素性を明かすとは思っていなかったので、何らかの嘘をつくとは思っていたのだが、何ともスケールの大きな嘘だと幸善は思う。


 千幸はその羽衣の説明に酷く驚いているようだった。同時にいくつかの疑問もあるらしい。

 特に全国から数人しか選ばれない留学制度に幸善が選ばれた理由が分からないようで、それを二人に質問していた。


 それは幸善も確かにそうだと思い、二人がどのように説明するのだろうかと思っていたが、七実も羽衣もその質問に動揺する素振りを見せなかった。


「最近、幸善君がアルバイトを始めたという話は聞いていますか?」


 七実がそう質問すると、千幸は静かに頷いた。


 奇隠や仙人のことはもちろん隠しているが、全く何も言わないで家を空けることは難しいので、幸善は家族や友人にアルバイトを始めたと説明していた。その内容について詳細は話していないが、動物に関するボランティア的な仕事だと漠然と伝えている。


「そのアルバイトの功績が評価を受けたようで、今回の選抜に繋がったそうです」


 七実の説明に千幸はまだ疑っている様子を見せながらも、取り敢えずは信じる気持ちになったようだ。

 静かに何度か頷きながら、渡された資料を読み込んでいるようだった。


 実際、七実の言っていることは完全に嘘というわけではない。アルバイト先で評価を受けて、海外に行くことが決まったという話は部分的に本当のことだ。


 ただ実際の話の大部分を構成する重要な要素が抜け落ち、詐欺師が人を騙すような話し方になっているのだが、相手が以前から知っている七実となると、そこに疑問を持つことは難しいように思えた。


 しばらく千幸はゆっくりと資料を読み込んでから、不意に顔を上げて幸善を見てきた。


「それで幸善は行きたいのね?」


 既に話を聞いていたことになっている幸善は、千幸からのその質問にしっかりと頷いた。

 それを見た千幸が少し考えるように俯いてから、ゆっくりと顔を上げて目の前の二人を見つめる。


「分かりました。うちの息子をお願いします」


 千幸のその一言で家族の許可も得られたことになり、幸善の本部行きが本当に確定した。パスポートもどういう手段を用いたのか分からないが、既に届いているので、もうこれで明日にでも出発できる状態だ。


 ただ流石にそれをすると他に怪しまれると思ったようで、幸善の出発は数日後に定まり、訪ねてきた七実と羽衣は帰ろうとしていた。


 恐らく、今回と同じ話をしたとしても、幸善一人だけだったら千幸も信じなかっただろう。詐欺か何かかと考えて、警察に相談していたかもしれない。


 しかし、七実という本物の教師と、羽衣という本物の役人がいたら話は変わってくる。

 奇隠の凄さに感心する一方で、何か悪い話の時でも、これと同じような対応で幸善の存在は闇に葬られるのではないかと思ったら、少し怖さも覚えるほどだった。


 千幸と一緒に帰ろうとする七実と羽衣を見送り、これから本部に行くための準備を始めようかと考えていた時のことだ。

 二人が去った直後の玄関で、千幸が何気なく、幸善に言ってきた。


「帰ってきたら、お父さんと千明ちあきにも話さないとね」


 頼堂千明。妹のその名前を聞き、幸善は重大な問題がまだ一つ残っていることを思い出していた。


 咄嗟に家を飛び出し、そこで車に乗ろうとしていた七実と羽衣を発見する。

 その傍まで急いで駆け寄り、幸善は七実に声をかけていた。


「ちょっと待ってください!」

「ど、どうした?何か問題があったか?」

「問題と言えば問題なんですけど、あの例の件ってどういう意味ですか?」

「例の件?」


 そこで幸善はNoir.ノワールのチケットがもしも取れなかった際は自分に言うように言っていたことを話し、七実に質問した。

 それを聞いた七実が軽く笑って、幸善に聞いてくる。


「取れなかったのか?」

「しっかりと落選しました」

「そうか、残念だったな」

「それだけですか?」

「まあ、任せておけ。ちょうどタイミング的にもいいから、ちょっとした裏技を使っておく。ただし、一つだけ言っておくが、結果はお前次第だからな」


 その意味の分からない言葉だけを残して、七実と羽衣は帰ってしまう。その姿を見送りながら、幸善は気づいていた。

 七実に相談したところで、何も解決していないことに。

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