月と太陽は二つも存在しない(12)

 人型を相手にすると考えた時、水月と牛梁の二人だけで戦うことは無謀でしかなかった。十人しかいない序列持ちの内、三人がQ支部には滞在しており、その力を借りない理由はない。


 特に人型がそこにいると分かっているのなら、それは明白なものになり、水月と牛梁も待機している七実に連絡しようとした。

 牛梁がスマホを取り出し、七実のスマホに人型の発見を報告しようとする。


 その一連の行動の間、人型を見失ってはいけない上に、水月達の存在を気取られても厄介なので、水月は人型を監視する必要があった。そのために水月は赤い髪の女の子から一切目を離すことなく、その行動を見つめていた。


 そのはずだった。確かに視界の中に赤い女の子はいた。それは間違いないことだ。


 しかし、ほんの一瞬、水月がどれだけ耐えたとしても、永遠に耐えることのできない目の渇きに瞬きをした一瞬の内に、その女の子の姿が消えていた。


「あれ…?人型が…?」


 思わず呟いた声に反応し、牛梁が顔を上げようとする。


 そこに放り込まれるように耳に届いた。


「誰を探しているの?」


 その声は想定よりも近く、耳元で囁かれるようにハッキリと聞こえ、水月と牛梁の背筋が凍った。二人は反射的に振り返り、耳元に届いた声の主を探そうとした。


 だが、それは探す必要もなく、姿を隠す気配もないまま、その場所に立っていた。


 赤い髪に赤い瞳、それに透き通るように白い肌をした女の子だ。


 間違いなく、さっきまで水月が監視していた人型だった。


「どうして、そこに…!?」


 竹刀袋を掴みながら、水月は咄嗟に呟いた。中に入っているものは水月が以前から使っている二本の刀だ。新しい刀を作ってもらうように、水月も葉様も頼んでいるのだが、その完成にはまだ時間がかかっているらしい。


 それで人型が相手にできるか水月に自信はなかったが、この状況で武器を取らない理由はなかった。相手が人型であるのなら、言葉は通じるかもしれないが、話し合いができるとは思っていない。

 それを考えるとしたら、奇隠の中でも幸善くらいのものだろう。


「別に?分かってたから、近づいただけ」


 女の子が地面を払うように足を蹴り上げながら、そう答えた。舗装されたコンクリートの表面を女の子の靴が撫で、水月の視線は自然とそちらに向く。


 そこで水月は女の子の足元が不自然に黒くなっていることに気づいた。汚れていると考えても良いのかもしれないが、それは自然にできる公園の汚れとは思えない。少なくとも、泥汚れとかではないようだ。


 それと同じ汚れを見るとしたら、どのような時かと考えて、水月は自然とキッチンを思い出していた。キッチンのコンロ、その周辺。そこで良く見る特徴的な汚れだ。

 燃え焦げた跡。煤汚れ。それに近しい黒さがそこにはあった。


 もしかして、と水月がその様子から考えていると、牛梁が水月の方に手を伸ばしてきた。その手にチラリと視線を向けると、牛梁が水月に目を向けることなく、小さな声で話しかけてくる。


「気をつけろ。あいつは炎を飛ばしてくる」

「牛梁さんは接触経験が?」

「ああ。ただ、その時は頼堂に七実さんもいた」


 人型との戦闘に於いて、水月や牛梁を始めとする三級仙人は戦力にカウントされない。その力は強力な妖術を使用する人型に到底及ぶはずもなく、戦闘に参加するとしたら、数人以上の二級仙人、もしくは一級仙人のサポート役だ。

 そして、その場に特級仙人がいる場合は、戦闘に参加することも基本的にはない。


 しかし、そこで現状唯一の例外として考えられているのが幸善だ。妖怪と一緒にいる時の幸善は仙術を使用できることから、序列持ちと同等の戦力として考えられることがある。


 それと序列持ちの一人である七実がいた前回と比べると、水月と牛梁の二人だけになった現状は、同じ状況と考えるべきではなかった。


「油断するな」


 牛梁は気休めのように言っているが、水月も牛梁も油断はこの戦闘に於いて、大きな影響を及ぼさないことが分かっていた。

 油断したら数秒、油断しなかったら数十秒。人型との戦闘はそうであると考えるべきだ。


 水月と牛梁は相手が動き出すのが先か、こちらが動き出すのが先か、その場の空気を読もうとして、その空気に半分飲み込まれていた。

 相手に先手を許したら、その先手で終わる可能性がある。そのことも考えて、水月が先に動き出そうかと竹刀袋から刀を取り出そうとする。


 その瞬間のことだった。公園の近くから猛烈な妖気が吹き抜け、水月と牛梁の背筋を冷やした。身体全体が凍るような冷たい妖気に、二人の思考は一瞬、完全に停止した。


「あら?にいにはもう始まったみたい」


 そう呟いた直後、女の子の周囲がゆらゆらと揺らめいて見えてきた。その光景に驚く暇もなく、水月は肌を焼くような強い熱を感じる。


 燃えている。炎が目に見えてあるわけではないが、そうであることはすぐに分かった。


「水月!」


 牛梁が声をかけ、水月の背を引く形で、目の前の女の子から大きく離れた。


 その直後、水月と牛梁が立っていた場所に、巨大な火球が降ってきた。地面にぶつかり、潰れるような形で、四方八方に炎が飛び散っていく。


「水月!刀を!」


 牛梁にそう言われて、水月は咄嗟に竹刀袋から二本の刀を取り出した。

 目の前の人型に勝てるかは分からない。恐らく、勝つことは不可能だと本能的には思っている。


 それでも、戦闘は始まってしまった。背を向けることは死に直結する。

 少しでも長く生きたいのなら、ここで抵抗するしかない。それが死に繋がっているとしても、それ以外は許されない。


 覚悟を決めた水月の前で、炎の中に立つ女の子が小さく笑う。


「取り敢えず、これで


 その声は水月に届いていなかった。

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