梟は無駄に鳴かない(16)

 ミミズクを訪れた客の多くは考えもしないと思うが、仙人御用達の刀鍛冶である仲後が店主である時点で分かるように、このミミズクにも刀を作るための工房が併設されている。


 カウンターの向こうには居住スペースがあるのだが、そこに踏み込んだらすぐに見つかる、倉庫と書かれたプレートの掲げられた扉がその工房の入口だそうだ。それは幸善も目撃した記憶があったが、使われていない倉庫にしか見えなかったので、その奥に工房があるとは全く分からなかった。


 その奥は地下に降りていくための階段があり、そこまでなら本当に倉庫にしか見えないそうなのだが、降りた先は完全に工房になっているらしい。

 その話を幸善の通訳で聞いた葉様が不可解そうに眉を顰めていた。幸善の言葉を疑っているのか、福郎ではなく、幸善の方に睨みつけるような鋭い視線を向けてくる。


「嘘を吐くな。地下に工房が作れるものか」

「いや、実際にそう言っているし」

「それなら、窯も地下にあるというのか?そこから発生した煙はどこに逃げている?この喫茶店を外から見た時に、そのようなものは見えなかったが?」

「それは…確かにそうだよな」

「前提が違う。そこは普通の工房じゃない。仙人が使う刀を作るための工房だ。その施設が普通の工房と同じとは思わない方がいい」


 福郎は詳細まで知っていたのか、詳しい説明をしてくれたのだが、通訳を担当した幸善の頭では理解できないほどに難しく、ほとんど何を言っているか分からなかった。


 取り敢えず、何とか抽出できた話をまとめてみると、地下の工房はQ支部が作られる際に用いられた技術と同じ技術が用いられているらしい。不思議の塊としか言いようのないQ支部の設備を知っている幸善達からすると、その詳細部分は分からなくても、十分に工房が不思議な工房であることを理解できた。


 葉様の無駄な邪魔が入ってしまったが、それでも福郎の話は大きく脱線することなく、話すべき本題を突き進んでいた。


 福郎の語る数年前のミミズク。そこでは仲後が地下の工房で刀を作っている最中のようだった。その存在を隠しているだけあって、地下の音は地上に届かない。


 それは逆もまた然りであり、仲後が地下にいる間、地上で何が起きているかは仲後も把握できていなかった。その時に店に客が来てしまえば、沙耶が仲後を呼びに行くことになっており、忙しい時は沙耶の伝言が書かれた紙を持って、福郎が仲後を呼びに行くこともあった。


 しかし、その日は偶然にも、一日を通して客の数が圧倒的に少なかった。それは刀の注文を受けたばかりの仲後にとって僥倖とも言える状況だったが、それが結果的に不幸を生み出す種となった。


 仲後が一人で地下の工房に向かい、注文を受けていた刀の製作を始め、しばらく経った頃のことだ。カフェの方では沙耶が福郎に話しかけながら、一人で店番をこなしていた。


 この当時は既に妖気の影響があることを誰しもが認識していたので、沙耶も必要以上に福郎に近づかず、福郎も気を遣って沙耶に近づかないようにしていた。

 それでも、沙耶は遠くから話しかけてくることがあったが、福郎の言葉は沙耶には通じない。福郎が答えても沙耶が理解できていないことは分かっていたが、たまに返事をしたように声を出してみたら、沙耶が心底嬉しそうに喜ぶので、返事だけする時がたまにあった。


 その時も福郎が沙耶の言葉に気紛れで返事をしていた。沙耶には鳴き声にしか聞こえない声を出してみて、沙耶の反応を確認するように福郎が沙耶を見た瞬間のことだった。


 沙耶の身体が支えを失ったように、その場に崩れ落ちた。身体と床がぶつかり、店内に響き渡るくらいの大きな音を立て、福郎はその様子と音から一瞬、本当に置物になったように固まっていた。


 沙耶が倒れた。その理解に至るまでに数秒が経ち、福郎は脳の処理を待つ前に飛び出していた。


 地下にいる仲後を呼びに行かないといけない。そう思ったのだが、飛び出してすぐに大きな問題とぶつかることになった。


 普段、福郎が仲後を呼びに行く時は、絶対に沙耶からのメッセージを持ち、沙耶に扉を開けてもらった上で、地下まで飛んでいくことしかなかった。

 そのため、福郎は地下に通じる扉を開けたことがなく、福郎の翼で扉は開けられるようにはなっていなかった。


 フクロウに優しくない設備だと怒りながら、福郎は焦りをそのまま力に変えるように、何度も扉に体当たりを噛ましていく。開け、と心の中で何度も呟きながら、福郎は羽が痛むことも厭わずに、無理矢理に扉を押し開いた。


 そこから、地下まで福郎は半ば転がるように落ちていた。身体のあちこちが痛かったが、それでも飛べないほどの痛みではない。それを気にする時間が勿体なく、福郎はとにかく工房にいる仲後の前に飛び込んだ。


 そこで福郎は翼を広げながら、盛大に暴れて、仲後に異常事態を伝えようとした。福郎が工房に来て、仲後の邪魔をすることはまずない。それに何より、福郎の身体は傷だらけである。

 仲後はすぐに何かあると分かったようだが、何があるかは分からなかったのか、福郎を受け止めて、不思議そうに福郎を見てきた。


「どうしたんだい?」


 そのように聞いてきた仲後に、福郎はとにかく沙耶のことを伝えようと思い、階段の上を翼で示そうとした。


 しかし、残念なことに翼は扉と階段を経由し、暴れたことで痛みに痛み、うまく上げることができなかった。


「カフェだ!沙耶が倒れた!急げ!」


 何とか翼を持ち上げようとしながら、福郎はその言葉を伝えようとしたが、仲後にはうまく伝わらず、不思議そうな顔で沙耶を呼ぼうとしたのかもしれない。

 そこで福郎が飛び込んできたのに、沙耶が姿を見せないことに気づいたようだった。


「もしかして、何かあったのかい?」


 そう呟いてから、仲後は福郎を抱きかかえたまま、慌てて店の方に走っていった。そこで倒れた沙耶を見つけ、急いで救急車が呼ばれた。


 だが、


「助からなかったのか」


 通訳を放棄した幸善の言葉に、福郎は何も答えなかった。


「医者が言っていた。倒れた時点で発見できていれば助かったかもしれないそうだ。もしも、私が扉を開けることに苦労しなければ、彼女は助かっていたかもしれない」


 後悔を滲ませながら呟く福郎の言葉を聞き、水月が神妙な面持ちで口を開いた。


「だけど、どうして、それで仲後さんは刀を作ることをやめてしまったの?」

「沙耶の容態に気づくことができなかった。私の言葉をすぐに理解できなかった。それが全ての元凶だと考えるようになり、それまでの自分に対する自信がなくなってしまったようだ。近しい私達のことも分からないのに、初めて逢った仙人を見極めることなど不可能だ、と」

「それをあの時に俺に話そうとしたのか?」


 福郎が妖怪であると気づいた幸善達を呼び止めて、話があると言ってきた時のことを幸善は思い出していた。福郎はそれを認めるように「ああ」と声を出している。


「何とか変えてもらおうと思った。私の気持ちを伝えることで変わるかもしれない、と」

「だけど、そこで亜麻さんのことがあった」


 それは仲後の気持ちを決定的にする出来事と言えた。本当なら、人型を見極めることなど難しいことのはずであり、気づかなくて当たり前なのだが、その前に起きた出来事を考えると、仲後がそのように考えるはずがなかった。


「だから、あの時は話すことをやめたのか」

「ああ」


 寂しげな声色の福郎の呟きを聞きながら、幸善はどうするべきかと考えていた。人の気持ちを変えることは難しい。それもそれだけの出来事があった後となると、そう簡単に変わるとは思えない。

 その悩みは幸善だけでなく、水月も困らせているようだった。幸善の口を通じて聞いた話を呟きながら、真剣な表情で自分に何ができるのか考え込んでいるようだ。


 秋奈はきっとこの事情を知っていて、水月や葉様に投げたのだろうが、流石に無茶だったのではないかと幸善は思った。そう簡単に解決できる問題とは到底思えない。


 幸善がそう思い、空になったコーヒーカップを手で弄んでいると、そのコーヒーカップが飛び上がる勢いで、テーブルが強く叩かれた。


 その突然の出来事に驚き、幸善が顔を上げた先では、テーブルを強く叩いた葉様が立ち上がっていた。


「葉様君…?」


 同じように驚いた表情の水月が声をかけた瞬間、葉様はきっと仲後を睨みつけ、カウンターの方に歩き出した。それはちょうど店内の客が幸善達だけになったタイミングだった。

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