梟は無駄に鳴かない(3)
最初に訪れた時は随分と迷ったが、その後にまた訪れる機会があったためか、幸善はスムーズにミミズクに到着することができていた。入口の扉を開けると、コーヒーの香りと一緒に店主である
「いらっしゃい」
そう告げてから、仲後は幸善のことに気づき、優しく微笑みかけてくれた。幸善のことを覚えていてくれたようだ。
この人が本当に『秋刀魚』を作った刀鍛冶なのか、と幸善は未だに疑っていた。何度も顔を合わせた相手だが、仙人のことを知っている気配はどこにもなかった。少なくとも、幸善がそのように思ったことは一度もない。
入店と同時に葉様は仲後に頼もうと思ったのか、すぐに声をかけようとしていたが、冷静に店内を見回していた水月がそれを止めていた。行動を制止された葉様は気に食わないという表情で、水月を半ば睨みつけるように見返しているが、水月は全く気にすることなく、店内を手で示している。
「他にお客さんがいるから、その人達が帰ってからにしよう。人前で話す内容じゃないよ」
水月のその指摘に葉様も納得したのか、刺々しい雰囲気を少し弱めて、空いていたテーブル席に腰を下ろしていた。その席に幸善と水月も座り、テーブルの上に置いてあったメニューを広げる。
「取り敢えず、普通にコーヒーを三つ頼もうか」
幸善がメニューを眺めながら、前回も飲んだ覚えのあるコーヒーを頼むように提案した。水月が同意するように頷いてくれて、それで注文を済ませようと思った瞬間、葉様が小さく呟いた。
「いや、待て」
「どうした?」
「その…何だ…」
珍しく、葉様は言いづらそうにしながら、チラチラとメニューに目を落としている。その普段の葉様とあまりに違う態度に、幸善と水月が不思議に思っていると、ゆっくりと葉様の指がメニューの上に下ろされた。
「オレンジジュースで頼む…」
「え?」
「その…コーヒーは飲めないんだ…」
恥ずかしそうに顔を赤らめながら言った葉様の姿に、幸善と水月はしばらくきょとんとしていた。それから、意外にも可愛らしい秘密に幸善は笑みを我慢できなかった。
「そ、そうなのか…なら、オレンジジュースにしようか…ぷふっ…」
「笑うな!」
「違う違う、揶揄ってるわけじゃなくて、可愛いなって思って」
「どっちでも同じだ!」
顔を真っ赤にして怒る葉様を適当に宥めながら、幸善はコーヒーを二杯とオレンジジュースを一杯注文した。
葉様は納得できない様子で怒り続けており、そこで判明した事実は意外なものだったが、それ以上に幸善は未だに消化できていないことがある。
「それよりも、本当にあの仲後さんが刀鍛冶なのか?」
幸善の疑問に顔を真っ赤にしていた葉様は冷静さを取り戻していた。水月は仲後をしばらく見つめ、「多分」と頼りない返事を返してくれる。
「だけど、あそこにいる福郎が妖怪だってことにも気づいている雰囲気はなかったよ?」
「そんなもの、隠しているだけだろう」
「どうして、そう言い切れるんだよ?」
「あの男は見るからに還暦を超えた高齢者だ。あの年で近くに妖怪がいたら、どのような影響を受けるか分からない。それを奇隠が黙認している時点で、そこには何か理由があるはずだ」
葉様の指摘を受けて、幸善はようやくそこにあるはずの違和感に気づいた。確かにある程度の年齢になると妖気の影響を受けやすくなり、多少の体調不良が命に関わる事態になりかねない。それを未然に防ぐのが奇隠の役目であり、
それなのに今も福郎がここにいて、看板フクロウをしているということは、仲後の近くに妖怪がいても、大丈夫であるという明確な理由があることになる。
そう考えながら、幸善は仲後が亜麻に襲われた事実を思い出していた。あの時は助かったことだけを良かったと思い、何も深く考えていなかったが、あの年齢で
そう思ったら、仲後が奇隠と関わっていそうな証拠はいくつもあるように思えた。
「妖気に対する何かしらの耐性がある。そう考えた時に、その耐性で最も分かりやすく、心当たりがあるものが俺達の普段用いている仙気だ。そう考えるのが妥当だ」
仙人御用達の刀を作る刀鍛冶。その立場は明確に分かっていないが、
葉様の理屈に幸善や水月が納得していると、仲後が頼んでいたコーヒーを運んできてくれた。仲後はコーヒーを幸善と葉様の前に自然と置き、オレンジジュースを水月の前に置いていく。それを見ながら、幸善は訂正しようかと手を伸ばして、声をかけかけたが、それを制するように葉様に腕を掴まれた。
「わざわざ言う必要もないだろう?」
「ああ、まあ、それもそうだな」
顔を赤くしながら抗議する葉様の姿に、水月は笑いながらオレンジジュースとコーヒーを取り換えている。その光景を横目に見ながら、幸善はコーヒーを啜り、カウンターの上でぼうっとした表情の福郎を見た。
もしも、仲後が刀鍛冶であり、仙人であるのなら、福郎はどうして何も言わなかったのだろうと幸善は疑問に思いながら、水月や葉様と一緒に店から客がいなくなる瞬間を待っていた。
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