悪魔が来りて梟を欺く(17)

 亜麻の頭は混乱していた。何が起きたかは理解できないが、焦燥の中に加えられた一撃で、確かな絶望感は懐いていた。


 そもそも、亜麻は戦闘に向いているわけではない。その役割は薫と同じく裏方で、様々な方面に手を回し、準備を整えることが主な役割だ。多様な力を有した妖術も、その多様さ故か実戦面での使用を考えた時に威力の足りていないものが揃っていて、戦いの中で対象に十分なダメージを与えることは難しい。最も効果の強い特徴的な力は戦闘向きではなく、基本的に戦闘を回避して、亜麻は行動してきた。


 言ってしまえば、今日はただの不運だった。亜麻は目的のために行動していただけなのだが、何故か今日に限って、仲後が早く帰宅したことで、その歯車が狂ってしまったのだ。

 幸善が店に来た時は驚いたが、幸善と戦うつもりはなかった。ここで戦うことになるとは、微塵も思っていなかった。


 もちろん、むざむざ殺されるつもりはない。十分な抵抗はする。雷を放つし、蛇の毒も用いる。それだけなら、幸善が死ぬことはない。

 ただし、二撃目以上の毒は使えない。幸善は忘れているかもしれないが、人型ヒトガタに幸善は殺せない。


 その時点から、亜麻はどうするべきか分からなくなっていた。考えれば考えるほどに笑いが止まらない。どうしようもない状況のどうしようもなさに、自分の愚かな失敗に、亜麻の笑いは無限に湧いてくる。


 そこに幸善の一撃が突き刺さり、亜麻の中で何かが壊れた。


 元から、亜麻は潜入することが目的であり、その過程で何が起きるか分からないことは把握している。亜麻の知識や記憶から情報が抜き出される可能性も考慮しており、そのための策もちゃんと用意している。


 しかし、それは条件がある。少なくとも、この場所で幸善に捕まってはいけない。


 逃げないといけない。生きるために逃げないといけない。死ぬために逃げないといけない。そうしないといけない。逃げることしか許されていない。

 亜麻の常識は改変され、ただそれだけの考えで頭が支配される。


 気がついた時には、亜麻の目は近づいてくる幸善を見ていた。幸善はその瞳に動きを止めているが、亜麻の意識はそこに向いていない。

 考えていることはどうやったら、ミミズクから出られるのかという点だ。


 せめて、店外に行かないといけない。その思いから亜麻は気づけば、手を伸ばしていた。幸善に向かって、ほとんど無意識で雷を飛ばす。


 そこで生まれた隙を突いて、亜麻は店の外に向かっていた。ほとんど無意識のまま飛び出し、そこで上空に目を向けかけた瞬間、歩いている人がいることに気づく。


 数人。それも誰も亜麻を意識していない。その中で、亜麻の頭は冷静さを取り戻していた。


 この状況なら、逃げられるかもしれない。そう思った亜麻が幸善の到着する前に、自分の中で最も特徴的な力を使用していた。


 次の瞬間には、亜麻の姿が女子大生から姿。そのまま、何気ない顔で歩き出したところで、店の中から幸善とノワールが飛び出してくる。


 しかし、二人が亜麻を見つけられることはなかった。


 何せ、亜麻の変身能力は完璧で、見た目だけでなく、声や匂い、更には所作の変化まで可能だ。女性的な振る舞いから男性的な振る舞いまででき、今では亜麻自身が誕生した時の性別を忘れているほどにその変化は完璧に行われている。

 それに姿を変えること自体が妖術としての力であり、維持に妖気は用いていない。姿を変えても、その後、亜麻から妖気が出ていない以上、その部分で幸善達が亜麻の特定をすることもできない。


 これで逃げ切れる。亜麻は心の中でほくそ笑みながら、ミミズクの前から離れていた。

 あとはこのまま行方を眩ませるだけ。そう思いながら、亜麻が細い路地に入る。


 その瞬間だった。不自然に走ってきた足音が近くで止まったと思った直後、亜麻の肩が誰かに掴まれた。


「ちょっと待てよ、亜麻さん」


 そう声をかけられ、亜麻がゆっくりと振り返る。


 そこには肩にノワールを乗せた幸善が立っていた。


「亜麻?」


 平静を保ちながら、そう誤魔化してみるが、幸善の態度は崩れない。


「分かってるんだよ。あんたが人型の亜麻理々だって」


 そう断言する幸善に亜麻は平静さを崩していなかったが、何故、幸善が分かったのか分からず、頭の中は混乱していた。


(どうして分かった――?)


 その心の声を読んだように、幸善のもう片方の肩に

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る