秋刀魚は鋭く戦車を穿つ(6)

「貴様が耳持ちか?」


 完全に動きを止めてしまった幸善と水月を睨みつけたまま、屈強な男が再び呟いた。その声を聞きながら、水月が緊張した面持ちで幸善の表情を確認してくる。幸善は自分がどのような表情をしているのか分かっていないが、耳持ちという言葉に男の雰囲気が重なり、明るい表情をしているはずがない。

 実際、水月はゆっくりと竹刀袋に手を伸ばしていた。その中にはさっきの特訓でも使った水月の刀が入っている。


「答えないのか?」


 男が低い声を響かせる。その威圧感は幸善の身体を強張らせるほどだ。


「誰ですか…?」


 水月が喉を締めつけるように細い声で聞いている。相手の出方を窺うような問いだが、その探りを切り捨てるように男が言ってくる。


「その質問に意味はあるのか?」


 それは返答として十分すぎるものだったが、その返答に幸善と水月が行動することはできなかった。


 気づいたら、水月の身体が幸善の隣から消えていた。代わりに屈強な男の拳が幸善の隣に突き出されている。背後から物が何かにぶつかる破壊音が聞こえてきて、幸善はゆっくりと振り返る。


 そこに水月が倒れていた。


「水月さん!?」

「貴様はいらない。邪魔だ」


 男がそう呟き、幸善に目を向けてくる。男が殴ったことは結果から分かったが、そのあまりの速さに殴った瞬間は一切見えなかった。薫が幸善に殴りかかった時の初速に近いか、場合によってはそれ以上の可能性もある速度だ。少なくとも、幸善が対応できる速度は遥かに超えている。


「お前、何なんだよ…?」

「No.7。それ以上の説明はいらないはずだ」


 No.7。個体認識名称、戦車ザ・チャリオット。さっきの一撃から人型ヒトガタであることは分かっていたが、それが当人の言葉によって確定されると、味わう絶望の濃さが全く違っていた。幸善は全身を蝕む静かな絶望に言葉が出なくなる。


「頼堂君…」


 不意に背後から声が聞こえてきて、幸善は振り返った。さっきまで倒れていた水月がゆっくりと立ち上がろうとしている。どうやら、誰なのか聞いた時点で仙気による肉体の強化を行っていたようだ。致命傷は避けられたようだが、その表情が苦しそうなものであることに変わりはない。


「頼堂君…は逃げて…多分…その人型の目的は……頼堂君…だから…」


 肋骨が折れているのか、苦しそうに呼吸をしながら、水月が今にも消え入りそうな声で言ってくる。その様子で言われて、幸善がその場から逃げられるはずがない。


「無理だ。水月さんを置いて逃げれない」


 そう言って、幸善がかぶりを振っている間に、戦車が片手を上げていた。


「まだ息があるのか」


 戦車が掌を上に向けた状態で、上げた片手を広げる。その瞬間、その掌の上に砲丸投の砲丸ほどの大きさをした炎が生まれる。


 その炎の塊を幸善が目にした直後、戦車はその炎に向かって、全力で拳を振るっていた。それとほぼ同時に、立ち上がろうとしていた水月のいる場所で爆発が起きる。

 そのあまりの速さに幸善は何が起きたのか分からなかったが、ただ水月の安否だけが気になり、咄嗟に叫んでいた。


「水月さん!?」


 幸善が叫んでいる間に、戦車は再び炎を作り出そうとしている。それを止めるために、幸善は戦車に向かって拳を振るった。


「やめろ!?」


 仙気により強化した全力の拳が戦車にぶつかる。普通の人間なら優に吹き飛び、骨の一本や二本が折れていても不思議ではない威力のはずなのだが、まるで鉄の塊を殴ったように、その一撃に対する手応えはなかった。

 それどころか、幸善の振るった拳の方が痛みを覚えていた。骨が折れたのかと思うほどの痛みに、幸善は思わず振るった拳を押さえながら、苦悶の声を漏らす。


 その直後、戦車の拳が幸善の腹にぶつかっていた。それは視認できるくらいの速度で振るわれ、視認できたからこそ、幸善は咄嗟に仙気を移動させることで防御ができたのだが、それでも、その一撃の重さは異常だった。薫が幸善のことを殺そうと放った一撃よりも遥かに重く、仙気によって腹部を強化したはずなのに、幸善はしばらく呼吸ができなくなる。


「貴様は殺せないのだから、無駄に抵抗するな」


 そう言って、戦車が再び掌の上に炎を作り出そうとする。


 その直前、戦車の背後に水月が移動していた。さっきの一撃はあまりに速く、幸善は何が起きたのかも分からなかったが、間一髪直撃は避けられたようで、水月は何とか動けている。掌の上に炎を作り出そうとしている戦車に向かって、水月が竹刀袋から取り出していた刀を振るう。


 しかし、その刀は戦車を捉えることなく、宙を斬っていた。戦車の一撃は目で捉えられない速度をしていたのだから、その刀を避けられないはずがなかった。

 水月の刀を振るった動きをそのまま、水月に対する攻撃に変化させ、戦車が水月の腹部を蹴り飛ばす。その一撃が直撃する寸前、水月は何とか腕で庇っていたが、その瞬間、本来は聞こえるはずのない鈍い音が聞こえてきていた。


 戦車の蹴りの衝撃で吹き飛ばされた水月が倒れ込み、腹部を庇った腕を押さえている。良く見てみると、その腕にはさっきの炎が原因なのか、火傷の痕があるが、苦しんでいる理由はそれではないはずだ。

 さっきの音は明らかに骨の折れる音だった。実際、目に見えて水月の腕は曲がっている。それも本来は絶対に曲がらない方向に。


「止めだ」


 戦車が掌の上に炎を作り出す。吹き飛ばされる時に手を放したのか、水月が握っていた刀は水月から離れた位置に落ちており、このままだと防御することもできず、水月はさっきの爆発の餌食になる。


 何とか止めないといけない。そう思った幸善が自分の左手を見ていた。


 危機的状況。その時になったら、風が起こせるかもしれない。冲方が言っていたことを思い出し、幸善は戦車を見る。

 この状況が危機的状況でないとしたら、もうこの世界に危機的状況は存在していないことになる。この瞬間に使えないとしたら、あの風に意味はない。


 幸善は戦車に向かって左手を振るっていた。あの瞬間のことを思い出しながら、風が起こることを願っていた。

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