第5話望まなければ、手に入らない
スフィアはその後も、ラットに来た依頼の手伝いをした。借金取りや護衛などの比較的まともな仕事が多かったが、中には彼女の心を抉る暗いものも存在した。
リアン――高級娼館の女主人に依頼されて、脱走した娼婦候補の少女たちを連れ戻す仕事は、あまり好ましいとは言えなかった。彼女の倫理観や道徳観からすれば、少女たちを逃がしてあげたかった。しかし、己の目的のためには目を瞑るしかなかった。少女たちの絶望に満ちた目を見ないようにするには、それしかなかった。
少女たちを引き渡した後、ラットにあの子達はどうなるの? とスフィアは震えた声で訊ねる。
「大事な商品だからな。肉体的には傷つけたりしないだろう」
「そう……」
良かったとは言えなかった。というより思えなかったけど、厳しい折檻を受けずに済むのならそれで良いとスフィアは自分に言い聞かせた。
その様子を見て、ラットは敢えて少女たちが受ける『肉体的には傷つかない折檻』を口には出さなかった。身体中を棒で叩かれるよりも悲惨で残酷なことをされるのだと、彼は分かった上でリアンの依頼を請けたのだ。おそらく少女たちのうち、耐え切れなくなって死ぬ者もいると十分に分かっていた。
ラットは依頼を遂行するたび――人の不幸で金を得るたびに、自分の心が磨り減るのを感じていた。少しずつ、痛みを覚えないほど優しく削られていた。あるいは感覚が麻痺するほど優しく心を腐らせてしまっていた。
しかしそれは自分への罰なのだと自覚していた。もはや武士としての誇りを取り戻せないと間違った覚悟を決めていた。本来の自分なら全てを投げ打ってでも逃げ出した少女を追っ手から守るはずなのに。間逆なことをしている自分が情けないと自虐した。
自分を誤魔化すように助手をするスフィアと自分を歪ませるように仕事をするラット。そんな彼らの転機は――二人が契約を交わして半年が経ったある日のことだった。
その日、酒場の買出しで出かけたスフィア。彼女はエンドタウンの悪党から自衛できるほど逞しくなっていた。ふと道端で酒を飲んでいる二人の男の会話が耳に入った。普段なら聞き流すところだが、片方の男が仇の名を呼んだのだ。
「……オウル・アクスってのは大したもんだ。次期将軍はあいつになると思うね」
「はは。だったら賭けるか?」
足を止め、スフィアは男たちのほうを見る。二人ともエンドタウンで知った顔だった。ルーモアにも何度か来ていたのを覚えている。
「ねえ。何の話をしているの?」
仇の名と将軍という単語が出たので、思い切って話しかけるスフィア。男たちは怪訝そうな顔で「あん? いや、サウスの噂話だよ」と一応は教えてくれた。
「情報屋……変わり者のアルヤって知ってるか?」
「ええ。あの口の軽い、噂好きの酔っ払いでしょ」
「そいつが言うには、サウスの六代目将軍が死んだんだと」
サウスの六代目将軍――ブレット・イースンが死んだ。それはさほど衝撃的ではなかったけど、次の言葉のほうが重要だった。
「そんで、将軍の跡目を巡って争っているんだってよ。そいつがアイラ・ローゲンとオウル・アクスって話だ」
さっと顔色が青くなったスフィア。それもそのはず、もしオウルが将軍となってしまえばいくらラットでも殺すのはまず無理だ。
しかしチャンスでもあった。将軍不在の混乱に乗じてオウルを殺すことも上手くやれば可能かもしれない。
一刻も早くサウスに向かう必要があると判断したスフィアは二人の男に礼を言って、その場を後にした。自然と早足になる。向かうはルーモア。ラットは仕事がないときは、いつも酒を飲んでいる。まるで何かを忘れたがるように。
「ラット! 話があるわ!」
ルーモアの入り口を乱暴に開けるスフィア。彼女に気づいてセリアが笑顔で話しかけてきた。
「あ、スフィアちゃん。買い出しご苦労様」
「セリアさん。これ品物とお釣りです。それよりラットは?」
「いつもの席で飲んでいるよ……どうしたの? 顔が怖いよ?」
セリアに「ラットに話があるんです」と言いつつ、ウイスキーをストレートで飲んでいる彼に近づくスフィア。その目の前でコップを磨いていたジークは「おい。話があるってよ」と促した。
「何の用だ? 依頼はしばらく入っていないと言ったはずだぞ」
「聞いて。サウスの将軍が――殺されたのよ」
スフィアは先ほど聞いた話と自分の考えをラットに伝えた。そんな二人の様子をジークとセリアは見守っていた。
「今、オウルを殺すチャンスなの。だから――」
「待て。依頼料は用意できたのか?」
「手持ちは百十六ゴールド。でも一人分ならなんとかなるでしょ」
「…………」
金の入った袋をカウンターに置くスフィア。それを半ば無視して、ラットはウイスキーを煽った。そんな彼の不真面目な態度に――思わず声を荒げた。
「真面目に聞いてよ! 今しかないのよ!」
「……将軍候補が一番考えることは、自分の身の安全だ。オウルを殺して将軍候補になりたい大名家は大勢いるからな」
「だからなによ!」
「普段より警戒しているに決まっているだろうって話だ」
その観点は頭から抜け出ていたスフィア。唇を噛み締めて「じゃあどうするの!?」とラットに食ってかかった。
「諦めろって言いたいの!?」
「……まあな」
スフィアは俯きながら呪詛を吐くようにラットに文句を言った。
「わ、私の……願いをなんだと思っているの!?」
「くだらないと思っている」
「――っ! もういい! あなたには頼まない!」
スフィアは金の入った袋を持って、ルーモアから出て行く。それを見送ることなく、コップのウイスキーを口に含むラット。
「……私、追いかけるね!」
セリアがジークの返事を待たずに酒場を飛び出す。それでも何の反応も示さないラットに流石のジークも苦言を呈す。
「あのなあ。スフィアに真実を言えとは言わないけどよ。言い方ってもんがあるんじゃねえか?」
「……ジーク。俺だって悩むことぐらいあるんだよ」
ジークは訝しげに眉をひそめた。目の前に座っている男が弱音を吐くことなど珍しい――いや初めてだった。
「堕ちた武士。そう呼ばれるのは慣れたがな。でも、てめえが捨てたはずの武士の矜持や武士への憧れが、目の前にちらつくんだよ」
「……俺は武士になったことがないから、分からねえけどな。でもよ、ちらつくってことは、見えているってことだろ」
ジークはコップに酔い覚ましの水を注ぎ、ラットの目の前に置く。
「見えているなら、手を伸ばしてみろよ」
「…………」
「案外それは、あっさりと手に入るかもしれねえぜ――」
一方、スフィアはエンドタウンの郊外でセリアと話していた。
「ねえスフィアちゃん。これからどうするの?」
「……分からないですよ。頼りにしていたのに、くだらないって言われた」
セリアは膝を抱えてうずくまっていた。セリアはその隣に座って「ねえ。前に私の依頼でラットくんが人を殺したって言ったの、覚えている?」と優しく訊ねた。
「……初めて会ったときでしたっけ。そんな話、していましたね」
「そのとき、ラットくんは二十人殺したの」
さりげなくとんでもないことを言ったセリア。スフィアはゆっくりと顔をあげて「どうして、二十人も?」と聞いた。
「私のお母さんを殺した人が、薬物売買組織のボスだったから」
「えっ……?」
「ラットくんも無茶するよね。いや、頼んだ私が言える権利なんてないかも」
笑顔で語るセリアだったが、どこか淋しそうだった。
「ボス以外の大半の人間はお母さんを殺したことと無関係だった。ボスを守ろうとしたから殺したってラットくんは言ったけど、それでも聞かされたときは悲しかったなあ」
セリアは自分の手を見つめる。その手は綺麗だったけど――
「自分の手が血で汚れたように思えた。今でも思っているの」
「セリアさん……」
「スフィアちゃん。私は復讐の是非を言えるほど、立派な人じゃない。やったほうがいいとか、やらないほうがいいとか。そんなことも言わないよ」
スフィアは思い出す。これまで過ごした半年間、セリアは決して復讐を諦めろとは言わなかった。肯定も否定もしなかった。ただ理解を示してくれた。
「これは私の経験だけどね。依頼して後悔したけど、もし依頼をしなくても、後悔していたと思う」
スフィアは――それを聞いて、肩の荷が落ちた気分になった。
普通に聞けばそんなことないのに、すっと軽くなったと思った。
「ありがとう。セリアさん」
スフィアは決意した。目元を拭いて、自分の足で立ち上がった。
「もう一度、ラットと話してみる。自分の覚悟を、ラットに伝える」
「……うん。そうだね。そのほうがいいよ」
セリアはそんなスフィアに眩しいものを感じた。
あの頃の自分にはなかった、覚悟を彼女は持っていたからだ。
ルーモアに戻ると、いつもの指定席にラットの姿は無かった。
スフィアはラットがどこにいったのか、ジークに訊ねた。
「ああ。あいつはサウスに向かったよ」
「サウス? どうして……」
「おいおい。お前の依頼だろうが」
ジークは呆れながらスフィアに言う。
「オウルの殺しを請けたってよ。まったく素直じゃねえな」
「急に、どういう風の吹き回しなの?」
ジークは磨いたコップを置いた。ぴかぴかになったコップを満足そうに見つめながら、彼は爽やかに言う。
「あいつはこう言ったよ。『見えているなら取り戻さないといけねえな』って」
「はあ? 意味が分からないんだけど」
「男にはいろいろあるんだよ」
ジークにもますます意味深なことを言われて戸惑うスフィア。
「そういうわけで、しばらくあいつは帰ってこない。代わりに店の手伝いを――」
「いえ。私もサウスに向かうわ」
「なあ!?」
面食らったジークだったが、娘のセリアは彼女のやりたいことや言いたいことが分かったようだった。
「ラットくんに、覚悟を言いに行くんだね」
「ええ。それにお金も渡していないしね」
スフィアはエンドタウンに来て、初めて彼女本来の悪戯な笑みを見せた。
「待ってなさいよ。私の覚悟ってやつを、見せ付けてやるんだから!」
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