3-10
今宵の社交界。
わたしは既にデビュタントを済ませた貴族招待客に該当する。
丁重な扱いをされる度合いに関してはデビュタントの時より下がる。具体的には専用の控え室などは特に無く、幾つか開放された大部屋に各々が支度場所を確保する形で賄われる。一応は貴族階級とそれ以外で分けられているが。
これは別段冷遇されているなどという事ではなく規模の問題。
ちょっとしたご近所さん相手の催し、いわゆるホームパーティ規模なら一家族一部屋の割り振りも可能だろうけど、まず下級貴族というのは存外数が多い。
特に男爵家は国内で百を超える、準貴族の騎士階級に至っては変動しすぎで数え切れない。
(確か領地持ちの男爵は設定上で108家だっけ。煩悩か)
兄は「水滸伝かな?」と言っていたのだが、わたしはそっちに詳しくない。
ともあれ国境沿いの小競り合いで戦功ひとつ挙げれば『上がり盾』の新興家が生まれ、逆に一度の敗北で当主が敗死、お家が断絶したりする。それほどに入れ替わりの激しい位置で不足しても国境警備上で問題が起きるため、極端に多い数となっている。
さらに貴族に仕える準貴族の騎士階級、領地無しの名誉称号『爵位格』と呼ばれる貴族の係累、爵位とは関係なく付き合いのある商家の金持ち達も集まってくる。
(とてもじゃないけど余程のお家でなければ部屋数が足りなくなるわよねェ)
その点、デビュタントは貴族たちの集い。
出席者から厳選され、貴族以外の立ち入りは不許可な会合だった。故に人数も余裕があって男爵家令嬢のわたしにすら個室が与えられていたりした。
ちなみに貴族たちは護衛として騎士を複数人数連れているところも珍しくない。招待された騎士の他にも会場入りするのだからこれもまた人数の増える原因だろう。
……ウチ?
ウチはほら、セバスティングがいるから。
「今日は普通の社交界みたいね」
「そのようですな」
大部屋の一角に──セバスティングが如何なる手段を使ったのか、部屋の角に支度場所を確保したわたし達は布の敷居でパーソナルスペースを設置、ひとまずの安楽を得た。
頼りない布の敷居がなんとなく病院の入院区画(大部屋)という感じである。スペース的にはもう少し広いのだけど。
「ではお嬢様、お着替えを」
「この時ばかりはエミリーを連れてこれなかった痛恨の極みねェ」
ドレスアップの時間。
着付け担当の女性がいない状況はあまり歓迎できる事態ではなかった。化粧ならひとりで出来るけど皺ひとつ付けないでドレスを身に着けるのは困難極める。
というか普通に無理なので立ちっぱなしのマネキン令嬢に群がるメイド達──のような構図が生まれる。機能性を無視した豪奢なドレスは着るというより貼り付けるに近いのだ。皺のひとつも許されない、一個の芸術品として。
(ウチ程度のドレスだとそこまで凝った作りでないけれど)
それでもTシャツやセーター、ワンピースのように頭から被って終わりともいかない。特にお貴族ドレスは概ね背中側にボタンを集める風習がある。
前面を綺麗に見せるため、背後を犠牲にする。ヒーローや怪獣着ぐるみのチャックがだいたい背中にあるのと同じ理屈だ。
「じゃあセバスティング……と、ランディも手伝ってくれる?」
「え、何をです?」
「着付け」
「……何をですって?」
「着替え」
これ以上なく分かり易い言葉で用件を伝えたはずなのに、ランディは確認の言葉を繰り返した。
発音が拙かった可能性を考慮し、より日常的な言葉を流暢に返した結果。
ランディは暫く硬直し、上を見て、下を見て。
どこかに走り去った。
「あ、逃げた。何故に?」
「流石に多感な少年には説明不足が過ぎたかと」
羞恥心が無いと言うなかれ。
着替えといっても上流貴族のお姫様が風呂上がりで全裸状態から全てを着させてもらうようなアレとは違う。あんなのは余程の上流でなければ有り得ない環境、使用人が有り余るお家でのみ発生する現象だ。
時折令嬢が厨房に立つ必要がある貧乏貴族には一生縁の無い光景だろう。
下級貴族令嬢のドレス着付けとは、ちゃんと下着──この場合は肌着、シュミーズとでも言うべきベールをつけた状態からドレスを上に貼りつけるようなもので、露出要素はせいぜい二の腕と足。サマードレスで見せている範囲。
この感覚をゲームで言えばキャラアバターに着替えをさせる時、全装備を外しても色気無い原始人ルックな下着をつけてる。あれと変わらないのに。
「しょうがないからセバスティング、ひとりで大変だろうけど早めにお願い」
「承知しました、ワタクシめの本気をお見せ致しましょう」
こうして若干の時間と手間を経たものの、有能執事の手腕によって令嬢1体は完成を見たのである。
ちなみにランディは着替えが終わって暫くしてからようやく戻ってきた。着替えの真意を改めて説明したら
「お嬢ってホンッッッッッットにバカですよね!」
怒りで頭に血が上ったのか、赤面獣みたいな顔で叱られた。
そこまで憤激しなくとも。
******
今宵の社交界にはデビュタントとの一大イベントは存在しない。
故に会場には多くのお貴族達が既に入場し、それぞれ飲食を楽しみながらの会合がスタートしていた。会場の広さに
煌びやかな貴人たちが談笑を楽しむ中、質素な服装に帯剣した男女の姿も見受けられる。積極的に会話に加わる者もいれば、沈黙を守って佇む者、壁の花に徹する者と対応は様々だけど。
「この場の騎士達には役割のある者と目的を持つ者の差がありますからな」
「なるほどォ」
護衛か参加者か、ということだろう。護衛は主人の傍に控えて沈黙している者がそれ、丁々発止に会話しているのはきっと野心家だ。準貴族からの成り上がりを求めるならどこぞの貴族に婿入りするのが一番安全であるからして。
「お嬢様、貴女のお時間を少々わたくしめにいただけますかな?」
「なるほどォ」
「は、何か?」
「いえ別に」
思案に暮れつつ甘いお菓子を口に運んでいたわたしにも若い殿方からお声がかり。こういう人達が野心家に含まれる。
にこやかな笑顔の裏にどれほどの打算が隠れているのか、全てを把握は出来ない。それでも20代の半ばを過ぎた男性が11歳に満たないわたしに声をかけてきた時点で世が世なら逮捕案件だけどそこは異世界ファンタジー、地位目的が確定的すぎる。
──勿論「外見が、年齢が好みです」と言われても困るわけだけど。このロリコンどもめ!
「ええ、ええ、存じておりますよアルリー嬢! チュートル男爵のご武名はトリミナル戦線に鳴り響きました故」
「ありがとうございます。きっと父も喜んでおりますわ──ごめんなさい、あちらにも挨拶してこなければいけなくて。はい、では失礼致しますねアーデラ卿」
それでも無駄に敵意を煽っても仕方ない。社交スキルを駆使し、二言三言会話して早々に如才なく切り上げる。今のわたしに婚活の意思はない。狙いは同年代、コネと成り得る少年少女であるからして。
ふぅ、と面倒ごとを済ませたため息を漏らしたところに従僕の服装を着こなしたランディがやってきた。どうやら倍以上年の離れた騎士とのやり取りを遠巻きに眺めていたらしい。
「やっほランディ、その格好よく似合ってるじゃない」
「僕としては変装してる感触なんですけどね。それよりお嬢、よくあんな大人の相手を楽々にこなせますね」
「そう難しい話ではないわ。聞き手に回って相手の知見を褒めて褒めて褒めちぎればまず悪いことにはならないもの」
「そういうものですか」
上昇志向のある騎士なら、愛らしい姫君から向けられる憧れの視線などは特攻ダメージが出る。自尊心をくすぐられて満足する結果、お調子者は社交スキルでどうとでもあしらえる存在に成り下がる。わたしを見た目どおりの純真な子供と油断している事には申し訳なさが含まれるけど、遙か年上の野心に応えてあげる義務はないのだ。
彼が心の充足感を得つつ実りの無い会話だった事に気付くのはおそらくずっと後の事。そしてわたしの関心ごとはもっと別にある。
「あとはご要望の報告を。あちらの方に子息グループの塊が出来てましたよ」
「ありがと、そっちに顔を出してくる」
相変わらずの綺麗な一礼を残してランディは再び人の群れに混ざっていく。会場内の群れを観察し、わたしの望む状況──子供たちの集いを見出すために。
子爵家主催の社交場、伯爵家のそれよりは権威の下がるこの場でリンドゥーナの血を引く彼をひとり行動させるのには不安が残るのだけど、生真面目な本人が何か仕事をしたいというので頼んだ任務。
せめてウチの関係者だと分かる衣装、家紋入りの従僕服がお守りになってくれることを祈る。わたしを転生させたのが神様とかならその辺は配慮していただきたいものである。
いや本当に。
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