2-07
舞台袖から十数歩。
普通に闊歩すれば20秒も満たさずに到達するであろう距離が、とても長い。
何故なら、
「エミリーしっかり」
「ううううううううああああああああああああ」
小声での励ましに返されるのはうわ言。ゾンビか。
間近で見れば化粧を通り越して見える青ざめた顔色。空ろな表情は心ここに非ずというか魂が肉体から抜け出した様相で不安定極まりない。
浴びせられるスポットライトが白光のカーテンになっていなければ、舞台の外からもエミリーの狂相は捉えられたかもしれない。危ない危ない。
リビングデッドミリーの足取りが危なっかしすぎるため、わたし達の歩調ぶりは半ば牛歩戦術である。先導役の足が遅いのだからわたしには為す術なし。おお、おお、伝説の税金無駄遣い嫌がらせ国会戦術が異世界の地に芽吹く。
芽吹かなくていい恥ずかしい。
(やっぱり無理を推してセバスティングを女装させた方がマシだった……?)
後悔先に立たず、どうにかエミリーの心が安らぐことを信じて挨拶を完遂しなければならない。
そう、今は彼女を信じることしか出来ない、出来ぬのだ。お願い神様、どうか彼女にやり遂げる力を。
(あと4歩、3歩、2歩──)
グラリ。
「あッ」
神様に祈りを捧げて責任を投げようとした瞬間、それは困ると責任を押し付け返された。
震えるエミリーの足元が脱力したのか、それとも蹴躓いたのか、いずれにせよ態勢を崩した彼女が前のめりに倒れていくのが目に映る。
緊張に押しつぶされた女給を襲う悲劇、ドラマなら3点カメラで違う方向からエミリーの倒れる様を映すのだろうなとか無駄な想像が浮かぶ。
──いや、そんなことを考えてる場合ではない。こういう時こそ冷静に、第一歩は冷静に判断すべきである。
(ただしそんなに時間は無いッ!)
エミリーはわたしの手を握っている。このまま手繋ぎ状態を維持すれば図らずともわたしも道連れになる。下級といえど貴族父母が集まる中で壇上にダブルでみっともなく転び倒れ伏す。実に不名誉なデビュー、今後の社交計画にも多大なるダメージとなるだろう。これは避けねばならない。
(なら手を無理やり振り解けば)
左程強く握られているわけではない。強く引っ張れば繋いだ手は簡単に離れ、巻き沿いからは離脱できるだろう。
ただし。
(ひとり大恥をかいたエミリーが恥ずか死んでしまうッ!)
ただでさえあがり症の彼女だ、貴族の面々が揃った場で致命的失敗をしでかした時のその後が恐ろしい。失敗に委縮した筋肉が全身の骨を締め付け粉砕してしまうのか、または肉体の震えすぎで脳を攪拌してしまうのか、それとも小刻みな左右運動についていけなくなった血液が体中の孔から噴き出すのか。
いずれにせよ怪死は避けられまい。ならばどうするか。
重い荷を背負わせた者の責任として、命を拾わなければならない。
(
エスコート役の失敗をカバーする。
この大前提を前に、わたしが反射的に選べたオプション多くない。必然的に「社交ダンス」式にならざるを得なかった。
スローモーションで崩れていくエミリーと繋いだ手を改めて強く握りしめ、思うさま引っ張る。腕力はクルハとの模擬戦を経る過程で鍛えた分のステータスアップは図れているが、これでは足りない。
わたしとエミリーでは身長差があるのだ、手を引っ張るだけでは移動方向は横。崩れた態勢を引き寄せることは出来ても立て直せない。
(エミリーの体を持ち上げる動作を組み込まないとッ!)
持ち上げる動作、リフトアップが必須となる。
第一歩は冷静だったが二歩目からはただただ必死になっていた。10歳のわたしがしっかりした体格の大人を持ち上げるには遠心力でも利用しないと無理。
ならば。
エミリーの手を引っ張り、密着し、左手で彼女の腰を捕らえる。
「お、おじょ!?」
返事する余裕はない。
片腕で腰をきっちりホールドすると同時に体をターンさせる。半ばエミリーの体を振り回す形で遠心力を生み出す。2回転で外に逃げる重力を加速させ、3回転目の力を利用してエミリーを放り投げるように持ち上げる。
ひゃッと声を上げたエミリーの正気を確認、すかさず地面へと着地させる。
──社交ダンス奥義、ショートリフト。
やり遂げた感で安堵する。
セバスティングに社交ダンスを習った課程で教わった技術のひとつ。
『お嬢様、時には変わった趣向で踊りを交わしますと喜ばれますぞ』
『ホントォ~~~??』
『それはもう、あの方と踊れば空を飛んだような気持ちになれるとご令嬢達からモテること請け合いでございます』
『わたしはその令嬢の側なんだけどな』
自分がモテてどうするのか。そう思いながら何かの役に立つ、コネ作りでウケを狙えればいいかと学びはしたが、まさかデビュタントの日に披露するとは夢にも思わず。
……デビュタント?
そもそもわたしはどうしてエミリー相手に社交ダンスをしていたんだっけ??
「……あれ?」
緊張が解けた事で集中力が拡散する。
そうして周囲に気を配れるようになって五感が正常化して。
耳に入るざわめき、目に入る立ち位置、そして舞台下。
「……」
「……」
「……」
ざわざわと、舞台下からこちらを見上げている貴族の皆さま、ご歴々。
その多くは唖然として、なんだあれと不思議がる目付きでこちらを見守っている──それはそうか。
ただ舞台上を歩いて一礼、即座に舞台袖に捌けるだけの儀式で大回転リフトなんて技を見せればそりゃ注目されるよねって。
ハハハ、ハハハ。
「う~~~~~あ~~~~~」
不幸中の幸い、エミリーは突然の大回転に巻き込まれ、目を回して現状に気を回す余裕は無い。しかしいつ気を取り戻すともしれず、そうなればさっきの惨劇再びだ。それだけは避けたい、避けたい。
ちょうどここは舞台中央。
これならば全てを無かったことにするしかない。
わたしはスッと足を曲げ、腰を低くし、スカートをつまみ上げ。
綺麗なカーテシーを完璧に決めて見せた。
そして会場の大人たちの反応をしげしげ確認する暇なく、
「エミリー、退場!」
「え? え? え?」
混乱の最中にあったメイド長の手を引いて、今度はわたしがエスコート先導する形で早足に舞台袖を目指した。
この場から一刻も早く立ち去るべく、立ち去りたい、立ち去る。
客席の反応など顧みる余裕もない、一刻も早く、早く早くゥ!
──見る勇気はなかった。
視覚的に事態を捉える心構えなど放り投げたのに。
聴覚は無情に背中を叩く。
パチ。
パチパチ。
パチパチパチ、パチパチパチ。
どこからか小さく始まった拍手の音が、地味に会場の端々へと伝染していった。
(拍手!? 何故、どうして、どこに拍手の要素があったというのか!?)
これが万雷の拍手であればまだ勘違いできたかもしれない。温かく迎え入れられたと勘違いできたかもしれない。しかし拍手の音はまばらで、不揃いで、なんというか「拍手でいいのかな」的な雰囲気に満ち満ちていた。
どうプラスに捉えても戸惑いでしかない、場違いな少女に困った大人が向けたとりあえずの反応。
つらい。
(誰だ最初に拍手したバカは! あぁぁぁぁぁぁもぉぉぉぉ無難な挨拶どこ行ったァァァァ!!!)
人選ミスからアクロバティックな演技披露まで、何ひとつ想定内に収まらなかったわたしのデビュタント挨拶はかろうじて幕を閉じた。
この後の懇親会、子供達の社交場で交わされる反応が恐ろしい。
バカをやった子だと距離を置かれそう。
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