第102話 背負うべき宿命
「駄目だ」
「カイトさん?」
ただならぬカイトの変化を、リーティアは敏感に察した。
いくら王国軍が精強であろうと、クディカやデュールが勇猛であろうと、それはあくまで人間という括りの中での話。
「全滅する……!」
ルークの強さは常識の外にある。理すら超越するかもしれない。
「なんとか、しないと」
このままでは全員殺される。まともに戦ったところで勝ち目などない。
焦燥が全身に浸透していく。剣の柄を握り締め、痛いほどに高鳴る胸を押さえる。
「落ち着いてください。いったい何を感じたのですか」
柄を握る手に、そっとリーティアが触れた。それだけで、張り詰めた緊張の糸が幾分か和らいだ。
「リーティアさん、戦っちゃだめだ。勝てっこない」
カイトの慄然とした表情を覗き込んでいたリーティアは、静かな眼差しをルークに移す。次いで、視線を周囲に巡らせた。
「伏兵がいるのですか?」
「そんなんじゃありません。ただ……あいつは」
「わかっています。ルーク・ヴェルーシェの武勇は桁外れ。ですが敵は一人。戦いようはあります」
「違うんだリーティアさん。あいつはそういうレベルじゃない。作戦とか、戦術とか連携とか、そんなのが通じる相手じゃないんだよ」
敵は一人。こちらは数百人。それがなんだ。
兎が何百羽集まろうと、一頭の獅子には敵わない。
「だからと言って退くわけにもいきません。カイトさんの仰る通りなら、尚のこと手を打たなければ」
同じ四神将のソーニャ・コワールも、騎馬隊の巧みな連携によって抑えることができた。今回はあの時の数十倍の戦力がある。四神将最強とはいえ、勝算は十分にあるはず。
リーティアとてそう思っていた。だが、あまりにも不自然なカイトの反応を目の当たりにし、考えを改める必要を悟る。彼女は決してカイトの言動を軽視しなかった。むしろ、真に重んじるべき感覚であると知っていた。
しかしその警戒心も、カイトが抱く危機感に比べれば些細なものだ。
最前線では、油断なく剣を抜いたクディカがその切っ先をルークに向けている。
「たった一人で何をしに現れた? 使者というには品のない訪問だ」
だめだ。そいつを刺激したら。
「卿が指揮官か」
「そうだ」
「この軍で最も強き戦士を出せ」
「なんだと?」
「一騎討ちを望む。卿らが勝てば、デルニエールからの撤退を約そう」
「ふ……面白い」
クディカの口角が吊り上がる。彼女はこれを絶好の機会と受け取った。
「この白将軍クディカ・イキシュが相手をする! 他の者は下がっていろ!」
正々堂々の勝負はクディカの最も望むところである。それによってデルニエールを救えるというのなら、これ以上ないほどの好条件だ。彼女は自らの腕に自負があり、戦い様には誇りがある。敵が四神将最強だと頭では分かっていても、これだけの都合のいい条件を捨てられる気質ではない。
「卿が白将軍か」
騎乗していないクディカと対等に戦うため、ルークは跨っていた眷属から降り、地に足をつけた。
じりじりと後退する兵士達。彼らの間には安堵、あるいは弛緩の雰囲気が生まれ始めていた。白将軍が戦ってくれるなら安心だ。勝利は間違いない。そんな認識が蔓延している。それは自分達の将に対する信頼の表れであったが、あまりにも無責任な振る舞いでもあった。
カイトはクディカの蛮勇と兵士達の楽観に、半ば怒りのような感情を抱く。
「リーティアさん。何かいい方法はないんですか」
「……今のところ、クディカが戦うのが最善といえるでしょう。この軍では彼女が最も強い」
「勝てないのをわかって行かせるんですか!」
強くなった声に周囲の兵達が注目する。縁起でもないことを言うなと、顰蹙を買っているのだ。
「全員で戦っても、こちらは全滅なのでしょう? 少なくとも一騎討ちに応じれば、被害は最小限に抑えられます」
馬鹿な。クディカを見殺しにするというのか。
「幼馴染なんでしょうが! 黙って見てるってんですか!」
「カイトさん……」
湧き出る感情を抑えることはできない。
出会った頃は恨んだこともあったが、今となってはクディカは恩人だ。恩ある人間を犠牲に、自分が助かろうなどとは思わない。
分かっている。リーティアとて苦渋の決断なのだ。将一人の喪失か、全滅か。選ぶまでもない。彼女の心痛は理解できる。理解はできるが、そう簡単に納得できるものか。
カイトの言動は、端から見れば奇怪であろう。勇猛であると噂には聞くが、戦ったこともなければ、窮地に陥っているわけでもない。そんな敵を前に勝てないと決めつけて、一人で恐慌状態に陥っている。周囲が訝しむのも無理はない。
だが、この場の誰が分かっていなくとも、カイトだけは知っている。他でもないアーシィ・イーサムが教えてくれた。
ルーク・ヴェルーシェは、まともな生き物ではないと。
「俺が行く」
カイトは覚束ない足取りで前に進み始める。
止めようとしたリーティアの手が、どうしてか空振った。
カイトは振り返らない。もし誰かが死ななければならないというのなら、それは自分であるべきだ。一度は失ったはずの命なのだから。
「リーティアさん。俺に英雄の資質があるってんなら、今はそれに賭ける時だ」
独断で動かないと決めていたというのに、こうなってしまってはその戒めを反故にするしかない。
呟く背中を、リーティアは一時唖然として見つめる。
「ああ……灰の乙女よ。もしかしたら私は、とんでもない勘違いをしていたのかもしれません」
祈るように紡いだ声。同時に、リーティアの体に翡翠の輝きが灯る。
「彼は、偽りなんかじゃなかった」
そして彼女は一人の後衛術士として、覚悟を決めた。
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