第77話 開戦前夜 ①

 月のない夜。

 デルニエールを臨む広大な平原。その只中に、魔王軍の野営地が設けられていた。

 乱雑に並べられた天幕と魔導灯は、彼らの乏しい協調性の表れであろう。

 野営地の中心には一際大きな天幕が張られている。それこそデルニエール攻城軍の司令部であった。


「それで? 結局やって来たのはあんただけ?」


 卓上で焚かれた魔導灯の光が、ソーニャの憂鬱な表情を照らす。


「他の連中は何やってんのよ」


「興味がない」


 大きな円卓を挟んでソーニャの対面に座るのは、漆黒の鎧で全身を覆った男。生物的な流線形と刃のような鋭利さが混在する鎧は昆虫の外骨格を彷彿とさせる。兜のスリットに覗く金の隻眼が、黒ずくめの中に浮かぶ唯一の光であった。

 ルーク・ヴェルーシェ。魔王軍四神将の一柱である。


「別にさぁ……いいのよ? デルニエールを落とすくらい、あたしとあんただけでも楽勝だし? 四神将が一堂に会する、みたいになっても暑苦しいだけだしね。けど」


 ソーニャは腕と脚を組み、苦々しく眉を寄せた。


「魔王様は力を合わせろって仰ったじゃない」


 それなのにルーク以外は顔も見せない。魔王が軽んじられているように感じて、ソーニャは腹が立って仕方なかった。


「まぁまぁそう怒らないで。せっかくの可愛いお顔が台無しよ?」


 口を開いたのは、ルークのすぐ後ろに立つ妙齢の美女である。白金のように輝く長い髪。銀の瞳。目元を飾る泣きボクロと、女性にしては低めの声が、彼女の色香を十二分に引き立てていた。


「他の二人は、私達ほど魔王様に入れ込んでるわけじゃないもの。納得できない命令には従わないこともあるでしょう」


「甘いわねぇシェリンは」


 ソーニャが物憂げな溜息を吐く。


「魔王様にコテンパンにのされたくせに……ほんっと勝手なやつらだわ。魔族の矜持はどこいったのよ」


「そんなものは最初からない」


 ルークはどこまでも愛想のない声で答えた。

 魔族が強さを重んじることは疑いようのない事実だが、必ずしも自分より強い相手に従うというわけではない。そもそも魔族は主従という概念を持たない。魔王がいくら強くとも、社会的上位者にはなりえないのだ。無論、従わなかった故の結末もまた自己責任である。


「まーいいわ」


 ソーニャは脚を組み替える。


「夜が明けたら攻撃を始める。あんた達もそれでいいわね?」


「あら? この前みたいに作戦を立てたりはしないの?」


「しないわよ。あれは仕方なくやっただけだし」


 モルディック砦の時は例外だった。あまりにも防備が固いものだから、見かねた魔王が策を提案してきたのだ。もし正面からの戦いを続けていれば、陥落させるのにどれほどの時を費やしたことか。


「できるだけ汚い手は使いたくないじゃない。あたし達は、灰の乙女を救い出す正義の味方なんだから」


「そう言うわりに、人間には容赦ないソーニャちゃんでした」


 シェリンが茶化すと、ソーニャは気まずそうにそっぽを向いた。


「しょーがないでしょ。あたしだって戦酔いくらいするわよ」


 魔族の性というものか。激しい戦いは精神を高揚させる。残虐性が増す者。口数が多くなる者。感受性が強まる者。変化の種類は様々だ。この魔族特有の生理現象を、戦酔いといった。


「灰の乙女か」


 呟いたのはルーク。彼にとって乙女は因縁深き存在だ。彼の恋人であるシェリンにとってもまた同様であった。


「彼女が王国に捕まって、もう五年になるのね。時が経つのは早いわ」


 シェリンの表情に陰が差す。

 かつて対立し、そして友誼を結んだネキュレーとシェリン。彼女達が背負った業は、その友情を決して許さなかった。

 マナの淀みをその身に溜め込むシェリンの特異体質は、正常な世界の脅威となった。マナの調律を司るネキュレーとの対決は、避けられぬ宿命だったのだ。


「他人事みたいに言わないでくれる? あんたらがめざめの騎士ぶっ殺しちゃったからこんなことになってんでしょーが」


「シェリンの為だ。仕方がなかった」


 たったそれだけを抗弁とするルーク。

 シェリンの白い手が、彼の両肩に優しく乗せられる。


「ネキュレーとアーシィは、私達にとってかけがえのない友達だった。少しは慮ってあげて。おねがい、ソーニャちゃん」


「その話は前にも聞いた。わかってるってば」


 五年前の事件は、密かに世界を揺るがした。

 めざめの騎士アーシィ・イーサムを殺し、灰の乙女を傷つけたのは他でもないルークである。結果として、灰の乙女は王国に助けを求め、これを好機と見たカイン三世に軟禁されたのだ。保護を口実に乙女を独占したメック・アデケー王国の影響力は、海を越え世界を席巻した。

 以後、世界のいかなる国家、部族も王国に対抗できなくなった。女神である乙女を手中に収めるとは、つまりそういうことなのだ。


「魔王様がいなかったら、どうなってたことか」


 灰の巡礼が滞った原因は魔族ではない。めざめの騎士の死はきっかけに過ぎない。

 王国が頑なに乙女を手放さない故にマナは淀み、世界は崩壊の一途を辿っている。愚かな権力者のあくなき欲望は、世界の維持よりも国家の隆盛を願うのだ。

 だからこそ、強く正しき者が導かなければならない。この世界を生きる全ての生命のために。

 乙女を解放し、灰の巡礼を再開する。

 それこそが、優しき魔王が戦争を起こすに至る理由であった。

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