第70話 父と息子

 要塞都市デルニエール。


 公爵の城の一室にて、ティミドゥス公は鎧の着付けを行っていた。

 数人の従者たちが彼の傍に侍り、全身鎧を丁寧に装着していく。ティミドゥス公は手足を広げ、なされるがままだ。


「しかし、やはり私が鎧を着る必要があるのかのぅ」


 少々不満げにして、彼は息子のソーンを見た。


「お父上。領主たるもの、民に範を示さないと。お父上の勇ましいお姿を目にしてこそ、皆の士気も高まるというものだよ」


「それは分かるが……なにぶんここ十年も着ていなかったものでな。暑苦しいことこの上ない。もっと軽いものでもよかったのではないか」


「まさか。知恵者ならいざ知らず、大衆にとって威厳とは見た目さ。半端な甲冑じゃあ不安を煽るだけ。その為に高い金をかけて新調したんだ。しっかり頼みますよ」


 ティミドゥス公が着込むのは、金に輝く重装鎧。華美であり、よく目立ち頑丈で、何より重たい。動きやすさを度外視して防御力に重きを置いたのは、旗印である領主の命を守るためだ。


「まぁよいわ。ではさっさと済ませてしまうぞ」


 着付けが終わると、ティミドゥス公は城門へと向かった。ジークヴァルド、メイホーンはじめとする将校達を引き連れ、さらには屈強な兵達も伴っていた。

 城壁に整然と掲げられた旗には、公爵家の紋章である蛇の紋様が浮かび上がっている。

 高い城門の上から見下ろせる広場には、数えきれないほどの男たちが無造作に並び立っていた。その数、一万超。


「これは壮観だな!」


 徴兵に応じて集った男達。年齢層は十代半ばから三十代後半まで。彼らは平素の装いで、その顔つきはとても士気旺盛とは言えない。当然だ。事前の触れもないまま、突然の徴兵令である。誰もが困惑を隠せない様子だった。


「お父上。練習通りに」


「わかっておる」


 今から始まるのは、公爵の演説だ。

 内容はすべてソーンが考えた。ティミドゥス公はただ、それを朗読するだけ。


「メイホーン」


「はっ」


 ソーンの合図で、メイホーンが魔法を行使する。主の声を広場の隅々にまで届かせるための拡声魔法である。青白い魔法の光が、ティミドゥス公の足下に広がった。

 わざとらしい咳払いが、広場に大きく響き渡る。


「我がデルニエールの男達よ! 此度は急な招集にも拘らず馳せ参じてくれたこと、まことに大儀である!」


 それまでざわめきに満ちていた広場が、水を打ったように静まり返った。


「徴兵に際して耳にした者もいるであろう。今この街には、魔族の脅威が迫っておる。早ければ数日のうちに戦が始まり、全ての城門を閉ざすことになる」


 広場は一挙に騒然となった。想像はしていたが、どこか他人事だと思っていた魔族の爪牙。それが目の前に迫っている。その事実が他でもない領主から語られたことが、民衆の不安と不満を増長させた。

 口々に思いを口する男達を、ティミドゥス公は悠然と見渡していく。


「お父上。今だ」


 ソーンの小声を受けて、ティミドゥス公は声高らかに哄笑した。出来るだけ嬉しそうに、出来るだけ勇ましく見えるように。

 得体の知れない敵との戦を目前にして笑う君主を、民衆は訝しげに見上げることとなった。


「何を恐れるか! 我がデルニエールの壮士達よ!」


 笑いから転じ、一喝。


「見るがいい! 幾重にもそびえ立つ城壁を! 天下に名を馳せる猛々しき将を! 智謀に長けた軍師を! そして何より、そなたらの身に秘めたる戦う力を見よ!」


 傍らの旗を取り、彼は続ける。


「灰の乙女は我らを見守ってくださっている。敗北など、万が一にもあり得ようものか。もし仮に敗れるとするならば、それは我らの心に巣食う乙女への不信ゆえであろう!」


 民衆の中から、いくつもの賛同の声が上がった。


「そなたらは男だ。それもただの男ではない。大陸に誇る城塞都市デルニエールを支える男達だ! 私は信じておるぞ。我らが一致団結すれば、乗り越えられぬ試練などないと」


 ティミドゥス公は深く頷くと、眉を吊り上げ、高く旗を掲げて宣言した。


「我々は勝利する! 愛する家族と故郷を、皆で守ろうぞ!」


 直後、男たちは大いに沸いた。

 王家の血を引く公爵が乙女の名を出した。その意味するところは神の後ろ盾である。

 加護は当方にあり。正義は人間にあり。


 乙女の名のもとに戦うならば、魔族に後れを取りはしない。その確信は広場全体に波及し、凄まじい熱量を生み出す。男たちの雄叫びはまさに天を衝き地を震わせるようであり、広大なデルニエール全体に響き渡っていた。

 その光景を見届けたティミドゥス公は、すでに仕事は終えたとばかりにさっさと城門を後にする。


「愚かな者どもだ」


 ちょっと発破をかけただけですぐその気になる。民衆がかくも煽り易きものだとは。


「お疲れさまお父上。上々の結果だね」


「造作もない。それよりもう脱いでもよいな? 窮屈でかなわん」


「どうぞ」


 ふくよかな頬に汗を垂らし、従者と共に部屋へと戻っていく公爵。

 城の回廊に残されたソーンは、その頼りない背中を胡乱な目で見送った。


「ジークヴァルド将軍」


「はっ」


「徴兵した民の調練、任せるよ。一週間で使い物にしてね」


「相変わらず無茶を仰る。あの人数ですぞ」


「大丈夫。僕の言う通りすれば問題ないよ」


 正規兵五千に、一万以上の新兵が加わった。戦力の増強は十分だ。

 とはいえ、ただ数を揃えればいいという話ではない。戦はそんなに甘いものではない。だからこそ、ソーンは数か月前より周到な準備を重ねてきた。父に悟られぬよう、信用できる部下と秘密裏に動いていたのだ。


「メイホーン」


「はい」


「白将軍が言っていたね。敵は策を用いるって。聞くところによると、奴らは地下道を掘ってモルディック砦に侵入したらしい。言葉より力で語りたがると言われるあの魔族がだ。信じられるかい?」


「魔族といっても千差万別でしょう。別におかしなことではないかと」


「そう。その考えが素晴らしい。これからの戦いでは、古いイメージに囚われないことが大切だ。そんなあなたに、一つ頼みたいことがある」


「なんなりと」


「もしあなたが敵の将なら、このデルニエールをどう攻めるか。思いつく限りの策を提示してほしいんだ」


「一晩、頂きとうございます」


「よし。頼むよ」


 ソーンは決して油断しなかった。自陣の勢力に驕らず、敵を侮らない。

 彼が若くして一目置かれているのは、単に優秀だからではない。聡明だからだ。父に対する軽率な言動こそ悪目立ちするが、物事に対する姿勢に歪みはない。

 これこそが賢君の資質であり、能臣はすでにそれを見抜いているのだ。


 デルニエール攻防戦まで、残り七日。

 やがて来る激戦を、ソーンは心待ちにしていた。

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