第69話 新生活へ

「それで、乙女とはどんな話をしてきたのだ?」


 王宮を去ったカイト達は、王都アルカ・パティーロの街並みを歩いていた。喧騒の大通りは行き交う人々の熱気に包まれている。


「魔王を倒すって、約束してきました」


「また思い切ったことを」


 隣を歩くクディカが感心したように、あるいは呆れたように吐息を漏らした。


「乙女に誓いを立てた以上、もう後戻りはできんな」


「そんなの」


 この世界に来た時からそうだった。今更の話だ。

 剣を取り、めざめの騎士を騙り、乙女に勝利を誓う。それら一つ一つが確かな前進であり、唯一の生きる道だったのだ。

 クディカの視線を受け止める。身長差のない彼女の横顔には、相も変わらず気高さと美しさがあった。


「ふふ。たった数日で、良い面構えになったものだ」


 喜色を浮かべて視線を前に戻すクディカ。険のない彼女に幼さの面影を垣間見る。

 クディカの言葉を受け、カイトは改めて自覚する。自分の中にある、生き方の芯のようなものが出来上がりつつあることを。


「ひとまず落ち着いたところで、これからのことを考えなければいけませんね」


 クディカの横で、リーティアが柔らかな声を発した。


「これから、ですか?」


「まずは住むところを決めませんと。それに訓練や勉学の機会も必要ですね。この世界のことを知り、戦う力をつけ、勇者の名にふさわしい英士になるために」


 確かに、社会で生きていく以上は生活基盤の確立は欠かせない。家はもちろん、生活費も工面しなくてはならないし、何をするにしても先立つものが必要だ。

 一つ山を越えたと思ったら、また新たな課題が登場する。人生、そういうものだ。


「ああ。それなら、うちに来るといい。将軍に任じられた時に家を買ったのだが、なにぶん勢いばかりが先行してしまってな……部屋を持て余している」


 何の気なしに言ったクディカだったが、カイトは反応に困った。

 リーティアはやれやれと言わんばかりに肩を竦める。


「クディカ。もうすこし配慮をなされては?」


「む。何かまずいのか? 新しい住み家を用意するよりはずっと楽だと思うが」


「一人暮らしの女が殿方を家に招き入れることの意味。しかと考えましたか?」


「意味とな」


 一瞬だけ思案顔になるクディカだったが、


「……いや、待て待て! 違うぞ、そうじゃない! 私はただ、余った部屋を使えば合理的だろうと思っただけで……別に他意はないのだ!」


 何を想像したのか、慌てた表情で手をぶんぶんと振った。

 取り乱した彼女の姿を見るのは新鮮だ。自ずとカイトの頬も緩んでしまう。


「あ、こら馬鹿者! 何を笑っている!」


「いや」


「よろしいですかクディカ。そもそもあなたは――」


 言い淀むカイトをよそに、リーティアとクディカが説教と弁解の応酬を始める。

 その光景を、ヘイスが和やかな表情で眺めていた。


「厳格な人だと思ってましたけど、かわいらしい一面もあるんですね」


「かわいらしい、ねぇ」


 男として見られていないだけじゃないだろうか。そんな気がする。

 リーティアもリーティアで、クディカを嗜めるというよりはからかっている節がある。たぶん、二人にとってはいつものことなのだ。


「私はだな、別にカイトと二人きりで暮らそうなどとは微塵も思っていない。カイトが来るならヘイスも来る。手の速いこいつのことだ。ヘイスと二人で暮らすよりよほど健全だろう。なんならリーティア、お前も来るといい。皆で監視の目を増やそうではないか」


 いつの間にか矛先がこちらに向いている。ヘイスもむず痒そうに目を逸らした。


「あら、それは妙案ですね。あなたの家なら広いお庭もありますし、訓練も勉学も思いのままに打ち込んで頂けそうです」


「そうだろうそうだろう! ちゃんとそこまで考えていたのだ私は」


 カイトの意思を無視したまま話は進んでいく。

 もちろん住む場所を用意してもらえるのはありがたいし、ヘイスと二人暮らしというのも気が引ける。この世界で比較的親しくなったこのメンバーと集団生活を送る方が、いろいろと都合がいいかもしれない。


「カイトさんはそれでよろしいのですか?」


「はい。俺、あんまり自分の立場とかもよくわかってないので。全部任せます」


「よしよし。よくぞ言った」


 面目を保てたと感じたか、クディカが満足そうに頷く。

 リーティアは咳払いを一つ。


「ヘイス」


「はい」


「早急に引っ越しの準備を。それから、カイトさんが生活するために必要なものを一通り揃えてください。支払いはクディカに請求してかまいません」


「わかりました!」


 良い返事です、とリーティアが微笑む。

 ヘイスは仕事を貰えたことを喜んだ。全身から張り切り加減が窺える。


「私が払うのか?」


「当然です。支度金代わりですよ。部屋だけでなくお金も余っているでしょう?」


「否定はせんが、それを言うならお前とて同じだろう。物を贈る相手もいないくせに」


「天下の白将軍ほどではありませんわ」


 軽口を叩き合う二人を見ながら、自分の心と状況に余裕が生まれたことを確かめる。この世界に来てから、ようやくまともな生活が始まるのだ。カイトは密かに心躍らせていた。

 同時に、浮かれそうな自分を戒める。

 地盤を固めてこそ大業も為せるというもの。

 心安らぐ一時も、次なる戦いへの休息に過ぎないのだと。

 だが今は、束の間の安楽を享受しよう。

 まさにこういうやり取りが、求めてやまなかった異世界生活なのだから。

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