第67話 拝謁

 灰の乙女への拝謁は、煩雑な手続きと儀礼的作法が絡み合う。

 これは宮廷と神殿の利権が折り重なり、互いに牽制し合った末の妥協点だが、今回に限ってはその全てが省略されていた。

 異例のスピードで乙女への拝謁にこぎつけた主な理由として、リーティアが持つ宮廷と神殿への影響力と、白将軍クディカの口添え、なにより国王カイン三世の勅令が下されたことが挙げられる。

 乙女がいるという神殿に辿り着いた時、その佇まいにカイトはしばし呆然とした。


「なんか、思ってたより……こじんまりとしてるんだな」


 言葉を選びながら感想を口にする。

 城壁に囲まれた王の宮廷。その最奥、緑豊かな庭園のど真ん中に、灰の乙女の神殿はあった。

 神殿というからには巨大な城や教会のようなものをイメージしていたが、実際の大きさは現代日本における平均的な一軒家とそう変わらない。大理石とは似て非なる純白の石材を建材とし、簡素で洗練された装飾が施されている。外周は塀で覆われているが、敵の襲撃を防ぐにはあまりにも心もとないものだった。

 雰囲気的には古代ギリシャ建築みたいだなと、カイトは勝手な連想をする。


「私がご案内できるのはここまでです。カイトさん、心の準備はよろしいですか?」


 同行してくれたのは、リーティアとクディカ、そしてヘイス。この中で乙女への拝謁を許されているのは、カイトただ一人であった。


「まさか、お前が乙女にお会いするとはな。出会った時には想像もしなかった」


 カイトの複雑な表情を見たクディカが、感慨深げに呟いた。彼女は運命の数奇を実感しているのだ。


「私達はここで待っています。まずはマナ中毒を克服できるよう、乙女にお願いするのですよ」


 リーティアの安心させるような声に、カイトは首肯で答えた。


「カイト様、ふぁいとですっ」


「ありがとな。けど別に戦うわけじゃないぞ」


 ヘイスの健気な励ましに思わず笑みが零れる。


「それじゃ、行ってきます」


 カイトは覚悟を決め、門をくぐる。

 神殿に近づくと、目の前の壁が音もなく薄まり、人一人が通れるほどの四角い穴が生まれた。

 なるほど。扉がないと思っていたが、こういう仕組みだったのか。


「よし」


 迷うことはない。カイトは躊躇いなく神殿へ足を踏み入れる。

 直後、視界が暗転した。


「ようこそ。灰の神殿へ」


 透き通るような声。幼さを感じさせながらもどこか厳かな響きは、人の声とは思えないほどに心地よい。

 聞き間違うはずがない。彼女の声だ。

 暗かった視界に明るさが生まれる。目に映った少女の姿に、カイトはやはり息を呑んだ。

 神殿の奥。彫刻に彩られた祭壇に立つ少女。花嫁にも見紛う純白の法衣を身に纏い、小さな頭の上には金の冠が載っている。


「やっと会えたな」


 たった一言。その中には、あらゆる感情がないまぜになっていた。

 自分は今どんな目をしているのか。どんな顔をしているのか。


「近くに」


 乙女が口を開く。相変わらずの平坦な声だ。

 足が、乙女の方へ動き出す。


「ネキュレー」


 何の疑問も持たず、彼女の名を呼んでいた。


「カイト」


 深い闇色の瞳。無機質に思えたその目に、確かな感情の揺らぎが見て取れる。


「恨み言の一つや二つ、考えてたはずなんだけどな。なんかもう、どうでもよくなっちまった」


 正直、彼女を目の前にしたら激昂する自信があった。こんな世界に連れてきやがって。酷い目に遭わせやがって。鬱屈した恨みが、カイトの中で淀んでいたからだ。

 いざ彼女を目にすると、そんな思いはどこかへ消えてしまった。

 否。心の奥底から込み上げてくる何かが、負の感情を押し流したのだ。


「……そう」


 いつか聞いた無関心な相槌じゃない。

 ネキュレーがカイトを見る目は、あの時とは明らかに違う。なんというか、妙に熱がこもっているような気がした。


「俺、これがないとマナ中毒ってのになるみたいでさ。そいつをどうにかして欲しくて、ここまで来た」


 ネキュレーは視線を動かし、カイトの胸元を見た。


「耐魔のタリスマン。どこでそれを?」


「リーティアっていう人に貰った。知ってるか?」


 返事はない。

 ネキュレーは緩慢な動作で祭壇を下り、カイトの目の前に歩み寄る。


「見せて」


 タリスマンを手に取ってじっと観察する彼女に、カイトは不覚にもどぎまぎしてしまった。人の身をとって生まれてきたらしいが、やはり神々しいまでの美貌は隠せるものではない。カイトの好みど真ん中だし、髪からはいい匂いがするしで、眩暈がしそうだった。


「加護が尽きかけている」


 言いながら、ネキュレーはタリスマンを両手で包み込んだ。


「ああ。明日か明後日には効果がなくなるって聞いたんだけど、それってマジ?」


「マジ。間に合ってよかった」


 小さな手の中でマナの光が明滅している。柔らかな翡翠の輝きには見覚えがあった。


「これで大丈夫」


「え! もう終わったのか?」


「おわった」


 上目遣いのネキュレーはほとんど無表情である。それでもどこか誇らしげに見えるのは、カイトの錯覚なのだろうか。


「なんか……意外とあっさり解決したな」


 この世界で生きていくにあたり、最大の課題がマナ中毒の克服であった。それがこうも簡単に達成できたのは、拍子抜けもいいところだ。


「解決してない」


 しかしながら、ネキュレーはゆっくりと首を振る。

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