第64話 三句の預言

「我々は、灰の乙女への拝謁を願います。もとより騎士と乙女は共にあって然るもの。離別したままでは、世界の歪みを生みましょう」


 王の兜。そこに掘られた竜の目がカイトを睨みつける。

 カイトは内心恐ろしくて仕方なかった。当然だ。王を欺くのみならず、めざめの騎士を騙っている。もしこの欺瞞に気付かれてしまえば、処刑もあり得るのではないか。

 追い打ちとばかりに、王が口を開いた。


「めざめの騎士が眠ったのは五年前。直後に転生したとして、かのお方は年端も行かぬ幼子だ。その者がめざめの騎士であるという主張。筋が通らぬ」


「仰る通り。普通に考えれば辻褄の合わない話です」


 全身に力を入れてなんとか耐えているカイトに比べ、リーティアはいたって涼しい表情である。


「ところが今の世は、魔王が出現し、魔族はその勢力を拡大し、魔物ともいうべき獣がこの国に跋扈している。このような異常事態において、乙女が手をこまねているわけがありません。必ずや、人知の及ばぬ業をもってこの世界を救済なさるはず。はたして、半身であるめざめの騎士なくしてそれは可能でしょうか?」


「愚問よ。答えるに及ばぬ」


「ご容赦を。陛下にお伝えしたいのはその先。私は灰の修道院の出であります故、少しばかり預言の知識を蓄えております」


 灰の修道院。その言葉に、再び周囲がざわめいた。

 灰の修道院というものがどれほどの意味を持つのか、カイトには見当もつかない。灰というワードから推測するに、乙女と何らかの関連がある組織なのだろう。


「乙女の生まれ落ちる時――誓願の騎士、また目覚む。あまりにも有名な預言ではありますが、実はこれには続きがあるのです」


 ぴんと背筋を立てるリーティア。彼女の眼鏡がきらりと光った。 


「避けえぬ滅びのきざしより――輪廻は乱れ、光落つ」


 神秘的な音声。皆一様に、彼女の声に耳を澄ます。


「星々またぐ声聞きて――黎明の騎士、ついぞ立つ」


 凛と響いたその声は、やはり祝詞のようだった。


「以上三句が、修道院が説き明かした騎士に関する預言のすべてです」


 しばし、間は静謐に包まれた。誰も彼もが、初めて聞く預言の一節に思いを馳せ、咀嚼しているようだ。

 この預言について、リーティアは真実を口にしていた。灰の修道院とは、乙女を通して過去から未来までを探求する女神の子らである。乙女や、それに連なる者達の足跡や言葉を収集し、研究し、解明する。乙女の口から語られる情報が極めて少ない以上、それこそが世界の真実を知る唯一の手段であるからだ。


 だが、乙女が秘密主義であるが故に、修道院もまたその性質を踏襲していた。

 新たな預言の一節が明かされたことは王国の歴史においても稀であり、立ち合う機会に恵まれた文官達の感情は大きく揺さぶられていた。 


「避けえぬ滅びのきざし。これは今の王国の情勢を示していると見て間違いありません。魔族の牙はまさに王都に届かんとしている。その発端がめざめの騎士の死であることは明らかであり、乙女と共に転生を繰り返す騎士が道半ばで倒れてしまったのは、まさに輪廻は乱れ光落つと言えるでしょう」


 王はリーティアの通解にじっと聞き入っている。


「そして最後の句。カイトさんがめざめの騎士であるという私の主張は、ここからきています」


 きた。渇いた喉が貼りついて、カイトは唾を呑み込んだ。


「星々またぐ声。実際に天上にまで響く大きな音などあり得ません。ならばこれは何を示すのか。言い換えれば世界を跨ぐ声。つまり、歩いて行けない異界へ届く声と、そう解釈できます。では誰の声か? これは明快です。乙女の声に違いありません」


 リーティアはあえて大仰に、両腕を大きく広げて声を張る。


「黎明とは夜明け。夜明けは世界の目覚めにも例えられます。畢竟、世界という隔たりを超え、乙女が新たなめざめの騎士を召喚なさったと解釈できましょう。無論これは、無数の預言や文献を考慮しての結論です。一から十まで語ろうとすれば日が暮れてしまいます故、多く割愛致しました。あしからず」


 ひとますの論述を終えたリーティアは、一歩下がって深く一礼した。

 周囲では官僚達が密やかに言葉を交わしている。初めて聞く預言とその解釈に、戸惑いを隠せない者ばかりだ。今の話を理解している者が一体どれほどいるのか。

 王は臣下達を見渡し、彼らの反応を確かめているようだった。


「貴殿の主張。まこと論旨明快にして旗幟鮮明。知恵のみならず弁舌にも長けるようだ。些か飛躍的なところはあるが、修道院の出身である貴殿を疑いはしまい」


「恐れ入ります」


「解せぬは、預言とその者が何故結びつくか」


 このまま黙っているわけにもいかない。

 カイトは深呼吸を一つ。一歩前に出る。


「俺はこの世界に来る時、灰の乙女と会い、ある使命を授かりました。異界の勇者として、魔王を討伐して欲しいと」


 ざわつきが一際大きくなった。


「乙女はこの五年間、神殿の外には出ておられぬ。いつ、どこで会ったと言うか」


「ほんの数日前。一面灰色の空間です。乙女が言うには、創世の宮だと」


 またもや聞き慣れない言葉が出て、王は首を動かす。


「フューディメイム」


「はい。創世の宮とは、その名の通り世界が生まれた場所。この世界の元初の姿とも言われます。乙女は自らの精神世界に彼を呼び出したのでしょう。乙女と騎士は生命の奥底で繋がっていると、預言書にも明らかに記されております」


「精神世界。そんなものが存在すると?」


「あくまで仮説です。そしてそれを確かなものにする為、乙女に拝謁願いたいのです」


 もっともらしい口述だった。リーティアの口の達者ぶりには、カイトも心の中で称賛を禁じえない。

 しかし、そもそも王を前にしてここまで理屈を並べなければならないとは。この国にとって灰の乙女とはそんなにも重要な存在なのか。


「話はわかった。修道院の者に神学を語られ、めざめの騎士の名前まで出されては、大事として受け止めねばなるまい。我が忠臣達よ!」


 王が強めた声に、臣下の注目が集まる。


「この者達が乙女に見えることに、異議を唱える者はいるか!」


 びりびりと鼓膜を震わせる重厚な声だ。

 臣下達はそれぞれに顔を合わせるが、名乗り出る者はいない。

 そんな中、一人の武官が王の前に歩み出て敬礼を取る。

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