第17話 敗走
モルディック砦、陥落。
魔族の策によって砦の内外から攻撃を受けたメック・アデケー王国軍は、為す術もなく惨敗し、早々に砦を放棄して散り散りに敗走することを余儀なくされた。
「脱出できた者はどれだけいる!」
夜半。森に切り開かれた道路。鎧馬を駆るクディカが、副官のデュールに怒鳴りつけるが如く尋ねた。
「隊列を組めたのはおよそ三十! その他は各部隊長指揮の下、別々の方角に撤退しております!」
「分断されたか……!」
通信魔法で各隊との連絡は取れるものの、士気は底まで落ちている。辛うじて組織的な行動を維持できているのが救いだが、いま指示を飛ばしたところで正確に遂行されることはないだろう。
背後からの奇襲で後衛術士の大半を失ったのは極めて大きな痛手であった。後衛術士の支援があればこそ、人は魔族とまともに戦うことができる。背後を取られた時点で、すでに勝敗は決していたのだ。
「リーティア」
「はい」
隣で馬を走らせる幼馴染に、クディカは決意に満ちた目つきを向けた。
「お前は隊を率いてデルニエールまで駆け抜けろ」
もはや撤退以外に道はない。ならば、追撃を食い止める殿が必要だ。
敗北の責任は将軍のクディカにこそある。そう思う故に、彼女は自らその任を務めるつもりだった。
「クディカ」
リーティアの声には咎めるような、あるいは諫めるような心があった。
「そんな顔をするな。適当に相手をして切り上げるさ」
「念願の寿退役までは、死ねませんものね」
「おいっ。その話は忘れろと言っただろう」
酒の席でうっかり口にしてしまった似合わない憧れだ。
ばつの悪そうなクディカに、リーティアはくすりと笑みをこぼした。
「まずは恋人を作るところからですよ。生き延びてお相手を見つけてください。まぁ、これでまた武勇伝が増えてしまいますから、生半な殿方はどんどん離れてしまうでしょうけれど」
「ええいうるさいな。そう言うお前とて万年男日照りではないか」
「私は仕事が恋人ですからよいのです」
「言い訳とは見苦しいな。お前が高給取り過ぎて男共が引け目を感じていると専らの噂だぞ」
「うそ。誰がそんなこと」
全速力で馬を走らせながら言い合っているのは、端から見れば滑稽にも見える。周囲の兵士達は必死で撤退しながらも彼女達のやり取りに耳を澄まし、ある者は笑い、ある者は呆れ、またある者は憤然としていた。
ふと背後に気配を感じ、クディカが振り返る。夜更けの闇に紛れて、漆黒の獣が迫りつつあった。数は三。猫科の動物を彷彿とさせるしなやかな形状の魔獣だ。
「馬の脚に追いつくか……!」
急制動をかけ、反転。クディカは腰の剣を抜き放つ。
「デュール! リーティアをしかと守れよ!」
「はっ!」
握った剣が白光を纏い、クディカの鎧に浸透していく。
そして、煌めく刃を大上段に構えた。
「灰の乙女よ。我とわが剣に戦う力を与えたまえ!」
一閃。裂帛の気合。
振るった剣から撃ち出された眩いばかりの斬撃が、一頭の黒き豹を両断する。
強烈な魔力に反応し、残った二頭がクディカに顔を向けた。木々を蹴って縦横無尽に跳び回り、クディカの意識を撹乱せんとする。
速い。虚空に残像が映り、風切り音が反響する。
だがこの程度で敵を見失うようであれば、誇りある王国の将軍ではない。
僅かにタイミングをずらして飛びかかった漆黒の獣を、
「遅いッ!」
目にも留まらぬ十字の剣閃が斬り裂いた。
一寸の違いなく頸部を切り落とされ、魔獣はその活動を停止。直後、獣の骸は黒々とした粒子と乾いた灰に二分された。粒子は虚空へ、灰は大地へと溶け、間もなく消滅する。
剣を構え直し、クディカは周囲を警戒する。まさか追撃が三匹だけというわけではあるまい。
案の定、正面に無数の獣達が姿を現した。大きさも形も様々だが、全身黒塗りという部分は共通している。
獣達はクディカの間合いのすぐ外で足を止めた。威嚇だろうか。ギラギラとした真っ赤な目を点々と光らせている。
「やだ。パンティラスがやられちゃったの?」
遅れてやって来たのは、頭のない巨人と、その肩の上で優雅に脚を組むソーニャ・コワールだ。
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