魔王様、隣国へ行く編
第15話 ある夕方、旧交を温める①
「噂に聞くヴェンディのところのヤリ手とは、あんたのことかい?」
そういって私に話しかけてきたのは、ついさっき檀上で戴冠式を済ませ演説をかましていた大柄な男性だった。
クローゼやナナカのようなダークエルフの浅黒さとは異なる、日に焼けた褐色の肌にくっきりとした大ぶりの目鼻が意志の強さと自信のほどをうかがわせる。勲章のような飾りがいくつも付いたスーツの上からでもがっしりとした筋肉に覆われていることが分かるほどの、いわゆる筋骨隆々とした風体に短く刈り揃えられた黒髪が良く似合うその人の名は魔王アルセニオ――。
ヴェンディが治める領地のはるか南方、肥沃な大河によって作られた豊かな平地「アルバハーラ」に居城を構える王だ。
という情報は予め城で頭に叩き込んできたが、本日の主役たる彼がヴェンディではなく自分に話しかけてくるとは夢にも思わない。一瞬フリーズした脳から情報引っ張り出すのに瞬き数回のラグがあった。(ちなみにヴェンディの城がある地はヴェリドラドとかいう大仰な名前があったらしい)
長く床についていたアルバハーラの先代が崩御したのはわずか一カ月前。魔王ヴェンディが人間界の国と和睦をした直後だったらしい。後継は一人息子のアルセニオのみ。そしてその新王アルセニオの戴冠式があるからとヴェンディに招待状が送られてきたのはつい三日ほど前の事だった。
急な知らせに魔王城は上へ下への大騒ぎで私もこの二日はほとんど寝ていない。そりゃそうだ。まがいなりにも「戴冠式」というからには、こちらもそれなりの体裁を整えなければいけないのに用意された時間はたったの三日。
無理! と何度叫んだか分からなかった。しかし招かれたヴェンディとて魔王の一画。半端な状態で向かわせるわけにはいかない。魔王城職員一同、この時ほど団結したことはないんじゃないだろうか。
手土産や式典向けの衣装などあわただしく準備をして皆に見送られて出発し、どうにか戴冠式に間に合ったとほっとしたのもつかの間。最側近としての私は休む時間もないままに、式後の披露宴ではヴェンディに引き連れられて方々への挨拶回りである。
溜まりまくった疲労のせいで頭が回らない。なんでこの新王が自分に声をかけてきたのか全く分からず、私はただ愛想笑いを浮かべて会釈をするにとどめた。ついでに隣に立って談笑をしているヴェンディの脇腹を、肘でついっと小突く。
「おお、アルセニオ。本日は本当に良い式だったね」
振り返ったヴェンディは、そこに新王の姿を見るやいなや輝かんばかりの笑顔を浮かべた。
その笑顔にはなんのけれんみもない。招待状が三日前なんて非常識だとか、くっそ急がせたせいで贈答品を吟味する時間もなかったんだから気に入らなくても我慢しろとか、そんな皮肉めいたことを我が主は考えない。
そりゃそうだ。
だってヴェンディ自身は稟議を右から左へにこやかに受け流し準備されたものを着用したり運ばせただけで、その尻ぬぐいはほぼ私や魔王城の総務部が一丸となって捌いたのだから。
今目の前にいる新王に嫌味や皮肉を言ってやりたいのは、我ら側近、いや魔王城の職員一同である。ここにネリガさんが居たらきっと小さな声ではあるが過剰なほど慇懃無礼にお招きのお礼を申し上げていたことだろう。
「おお、ヴェンディ。久方ぶりだな。招きに応じてくれて感謝する」
「君の招待であれば何を置いても駆けつけるさ」
艶やかな黒髪に燭台の灯りを反射させるヴェンディは、着用している祭礼用のスーツのおかげかいつもより二割増しで、そして必要以上にきらびやかだ。堂々とした体躯を強調するアルセニオとは対照的に、細身のその体に添うように作らせたスーツはヴェンディのしなやかさをよく表していた。
「お父君の件は知らなかったこととはいえ失礼したね。幼い頃には大変良くしていただいた」
「なに、気にするな。随分長いこと臥せっておったのだ。むしろ良くここまで永らえたものよ」
「君のような後継を持ってさぞ安心して逝かれただろう。遅れた詫びといってはなんだがお父君宛にも心ばかりの品を届けさせたよ」
ねえリナ、と振り返られれば頷くしかない。用意したこっちの苦労を軽く見積もらないでほしいものだけれど、それを口にするのは野暮だろう。まあ、本当に「心ばかりの品」ではあるが。
「おう、リナというのか。方々から噂は聞いているが、本当に人間の女なのだな」
「そういえば紹介がまだだったね。これはリナ。やっと手に入れた私の大切な伴侶――」
「違います」
突然の宣言に思わず食い気味に否定の言葉を口にする。こんな魔族だらけの披露宴中で、人間の女を伴侶とか軽率に言わないでほしい。自分の立場を考えた事があるのか、いや、ないだろうな。
あの夜以来、何かにつけてベッドを共にしているとはいえ「伴侶」はさすがに気が早すぎる。ええ、と形の良い眉を思い切り下げたヴェンディを無視し、私はアルセニオに一礼をした。
「ヴェリドラド城で会計や雑事を取り仕切らせていただいております。オウサカ・リナと申します。アルセニオ様、この度はご即位おめでとうございます」
「……オウサカリナ?」
「リナとお呼び下さい」
ほう、とアルセニオが顎に手をやった。
「ひょっこり現れて長年の側近を排除し、今やヴェンディをしのぐ権力で城を裏から牛耳るオニだというからどれほどの剛腕かと思えば、こんなひ弱そうな人間の女だとは。噂とはあてにならんものだな」
「あ、アルセニオ。リナはオニではなく……」
「恐れ入ります」
隣であわあわするヴェンディをよそに、私は深々と頭を下げて見せた。アルセニオの言葉の端々に、ちょっとした蔑みの色が見え隠れしているのはきっと気のせいではないだろう。けど、まあそりゃ魔族の方々にしてみれば「人間」というだけで小馬鹿にする対象であるということは、こっちに転生してきてからあちらこちらで体験させられているので分かってる。
「寛大なる我が主のご慈悲により、この地にて生きる術をいただいております」
ご慈悲ねえとアルセニオは呟くと、私の頭のてっぺんから爪先までまるで品定めをするかのように視線を動かした。不躾すぎるその目つきにイラつくが、ここは我慢のしどころだろう。私は微笑みを崩さないよう、ぐっと顔筋に力を込めた。
「顔は確かに良いが、クローディアに比べれば随分と貧相な身体だ。たぶらかしたとすれば寝所でヴェンディを骨抜きにするだけの技があるということか。一度お相手願いたいものだな」
「……なっ!」
あんまりな一言に、私の我慢はあっさりと限界突破した。ちょっと待て、何だそのセクハラは。いやこの場合は取引相手からのパワハラか? 世が世なら、そして立場が立場なら一発退場ものである。
しかしカッとなった勢いで思わず前のめりになった私の身体は、すぐさま腰のあたりから後ろに引っ張られた。倒れる、と身構えるも腰に回されたヴェンディの腕でそれは杞憂とすぐわかる。
ふわりと彼が纏う香水のかおりに包まれた。
「残念だがそれはできないな、アルセニオ。これは私の大切なパートナーだからね。君の今夜のお相手を務めたいご令嬢方が、ほらあちらから君に熱い視線を送っているよ」
いつものように穏やかな物言いだけれど、声は氷の様に冷たい。一触即発の二人の気配を察したのか、ここを中心に披露宴の会場は一瞬にして静まり返った。
まずい。私はヴェンディの顔を見上げた。陶器のような白い頬の上にある深紅の瞳に、ぎらりと炎の揺らぎが見える。こんな所でキレちゃだめ、と言いたいのに紅い瞳に意識が吸い込まれたかのように、私の身体は動けなくなる。
ねえ、とほほ笑んだヴェンディの底冷えする圧力にアルセニオは両肩を竦めた。
「これは参った。そう怒るな、冗談だ。ヴェンディがご執心と聞いたので揶揄いが過ぎたな」
「分かっているよ。君と私はまたいとこの間柄で幼い頃から君のことは良く知っている。しかしリナは君を良く知らないからね」
「いくら魔族の城にいるからといっても所詮は人間の女か。すまんな。怖がらせるつもりはなかったが……」
「いや、迂闊なことを言って怒らせてほしくはない」
「怒らせる?」
「ただでさえ彼女は今日、非常に疲れているからね。こういう時に怒ると、いつもの三倍ほど怖くなるんだ」
――なん、ですと?
いまのこれ、私を守ろうとかそういうんじゃなくて、怒られるのが嫌だったから牽制してみせたってこと?
ねえリナ、とヴェンディが顔を綻ばせた。その瞬間、金縛りにあったかのように動けなかった私の身体が軽くなる。同時に周囲のピリついた空気が緩んだ。
それで察した。大事にしないためにヴェンディは自分を落としたんだ。
でも結局私が「オニ」であることは否定されていない、というかむしろ全肯定されてる。なんとなく納得がいかない。
「……ヴェンディ様」
「ん?」
「それ、あんまりフォローになってません……」
彼を見上げたまま、私は小さく遺憾の意を表明したのだった。
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