第80話一八二八年、蝦夷地の耕作

「殿、各地から収穫の見込みが上がってまいりました」


 蝦夷、対馬、琉球などの各地から、今年の収穫見込みが届いた。

 緊急の連絡ではないので、通常の飛脚で届けられている。

 蝦夷方面に関しては、開墾したばかりの土地に、種を取る目的で輸入した商業作物を植えさせていたが、とても順調にいっている。


「蝦夷地で二毛作ができるとは思ってもいませんでした」


 元南部藩士の軍師が、尊敬の目で俺を見てくる。

 その信じきった目が俺の心に痛みを生む。

 前世の知識を活用しただけで、俺の頭から生み出したわけじゃない。

 開拓地ごとに、輪栽式農業とか改良穀草式農法、四圃輪栽式農法や六圃輪栽式農法と、その土地にあったやり方を見つけるべく、細かく変えて試させている。


 とは言っても俺の頭の知識でしかなく、机上の空論になる可能性もあるのだ。

 全ての場所で全く同じ方法をやらせて収穫が全くなかったら、俺の手で飢饉を生み出すことになる、そんな事は絶対の嫌なのだ。


 だだ、牧畜を前提にしたやり方は、家畜の少ない現状では不向きなのだ。

 なにより、肉食に宗教的禁忌が強くては、導入し難いのだ。

 その点を考慮して、農作物を優先して寒冷な蝦夷地で効率的に二毛作をするのなら、春にジャガイモを植えて夏に収穫して、秋にほうれん草の種をまく方法がある。


 一番期待しているのが、大豆と小麦の二毛作だ。

 機械化するのは難しいが、この時代はほとんど人力だから不可能ではない。

 大豆を畝に植えて、大豆を収穫する一カ月前に、畝と畝の間に小麦の種をまく。

 小麦を収穫する二週間前に、畝と畝の間に大豆の種をまく。


 収穫作業中は足場に気をつけないといけないが、この立毛間播種といわれる手法は、古くからおこなわれていた。

 関東地方では、昔から麦の間作に大豆が植えられていたのだ。

 問題は連作障害や肥料をどうするかだが、この時代なら大量に獲れた鰊や鰯が稲作の肥料になっていたはずだから、どうになかると思う。


 ただ、一番大切なのは、開拓を優先して原野を耕作地にする事だ。

 実験を行うのも大切だが、一日でも早く耕作面積を広げる事が一番だ。

 二毛作を優先するあまり、原野開拓の労働力が減っては意味がない。

 とはいっても、自給自足してもらいたいのも本音だ。

 輸入で得た穀物や、尾張藩や高須藩から融通してもらった穀物を、蝦夷開拓民の食糧に回してしまうと、天保の飢饉に対する備えができなくなる。


 天保に未曾有の飢饉が起こる事を知っていて、無視する事などできない。

 飢饉の年が近づいてから急いで食糧を集めれば、どこかで必ず食糧不足が起こってしまい、そこで飢饉が発生する可能性がある。

 今から少しづつ、穀物を備蓄保存しなければいけないのだ。

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