第72話一八二七年、水戸徳川家

 紀伊徳川家に圧力をかけるのは、最良の機会を待つことにしたが、水戸徳川家の後継者については、父上と御爺様の思惑を無視して、徳川家斉の第二十一男を養嗣子に押し込んだ。


 史実の徳川斉彊の事だが、俺の影響で家斉の隠居が早まり、家慶が将軍となったので、諱を貰う相手が父親から兄に代わり、史実では紀伊徳川家を継いで徳川斉彊を名乗るはずだったのが、水戸徳川家を継いで徳川慶彊を名乗っている。


 確かに史実でも水戸徳川家の後継者候補になった事実はある。

 水戸徳川家八代当主の徳川斉脩は、第十一代将軍徳川家斉の七女峰姫を正室に迎えていたが、二人は子供を授からなかった。


 徳川斉脩は正室が将軍の娘のため、側室を置く事ができず庶子もいないので、正式な後継者を決める事ができないでいた。

 徳川斉脩の本心は、弟の松平紀教を後継者にしたかったが、莫大な支援を受けている幕府の意向を無視することができないでいた。

 将軍と幕閣は、恒之丞(徳川慶彊)を徳川斉脩の次弟松平紀教の長女と結婚させて、水戸徳川家を継がせたいと思っていた。


 家斉将軍と幕閣は、この日の為に水戸徳川家を支援し、水戸徳川家の付家老と上級藩士との関係を好くしていた。

 文政二年には幕府が貸していた九万二千両の返済を免除した。

 翌文政三年には残る貸金十万両の返済も全て免除した。

 それどころか、十年間九千五百両の助成金を与えることにした。

 文政七年には、九千五百両の助成金を翌年から一万両の永続金に切り替えた。

 ここまでやって関係を強化してきたのも、有り余る子供を養嗣子に送りたかったからだが、それが徳川家基公殺しで崩壊してしまった。


 水戸徳川家では、徳川家基公殺しを知っても、これからも幕府の支援を受けたい門閥上級藩士が恒之丞(徳川慶彊)を後継者に望んでいた。

 特に独立した大名同等に扱われたい付家老の中山信情は、父親の代から他の御三家付家老と連携して運動していた。

 その為にも将軍家と幕閣の心証をよくしようとしていた。


 一方下級藩士達は、藩主就任から一度も水戸入りしていない徳川斉脩の事をよく思っていなかった。

 尊王の教えを守らず、幕府の支援を当てにする徳川斉脩を嫌っていた。

 いや、水戸領に上陸した異国船に対処するために負担が増えたことを恨んでいた。

 だから彼らは松平紀教を次期当主に望んでいた。


 俺としては、江戸に近い水戸徳川家が尊王に染まり、帝を擁した欧米列強の手先に操られ、幕府軍を牽制して足を引っ張るような事には絶対にさせたくなかった。

 だから松前藩に仕官した水戸系若党を使って、水戸家の流れを操ろうとした。

 だが水戸徳川家の下級藩士達は頑迷で、上手く操れなかった。

 そこで直接松平紀教を操ることにした。

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