第42話一八二六年、薩摩大隅対馬の処遇

「やれやれ、ようやく終わったな」


「ありがとうございます、父上。

 父上の御陰で、東照神君の御告げを正しく行うことができました」


 大嘘である。

 全ては俺のでっちあげなのだが、父上も祖父もそんな事は知らない。

 本気で東照神君の御告げだと信じている。

 この時代の人は全員信心深いのだ。


 俺が薩摩藩を追い詰めて、改易されるようにした。

 俺に直接恨みが向かないように、薩摩国と大隅国は幕府の蔵入り地とした。

 まあ、色々と仕掛けはした。

 幕府のために証言した島津家の分家や家老を召し抱えた、久保田藩佐竹家と二本松藩丹羽と鳥取藩池田家には、総額八万二千百五十石の飛地が大隅国に与えられた。


 そして、俺の御告げで対馬国を奪われた宗家が、元々あった飛地一万石以外に、二万石を大隅国に与えられたのだ。

 そう、俺は今回の御告げの手柄で、対馬国の国主とされたのだ。


 いや、それだけではなく、大昔に廃止され大隅国に編入された多禰国を復活させ、俺を国主にしたのだ。

 更に、島津家が与論島までを薩摩藩の直轄領としていたので、奄美諸島も多禰国に編入したのだ。


 それと、宗家の負担を軽減するために、対馬国の実高六千二百六十九石を発表して、十万石格だったのは朝鮮との貿易のためだったと、三百諸侯に伝えた。


 同時に、中世の守護大名的な統治体制を残し、地方給人が多数存在し、その地方給人の下に名子や被官がいて、兵農分離が進んでいない対馬府中藩士を、そのまま松前藩松平家に残ってもいいことにした。

 更に約十万坪の広さを誇る朝鮮釜山の倭館を維持運営するために、倭館にいる千人のなかで、松前藩に仕官を望む者は召し抱ることにした。


 それと、今後の状況によるのだが、蝦夷国を十一個の国に分割する事も考えた。

 戊辰戦争直後に北海道を十一国八十六郡とした制度なのだが、史実の北海道が広過ぎだという考え方もあり、状況によっては取り入れる事も考えている。

 まあ、千島をロシアから勝ち取らないといけないし、択捉島などは沖縄県よりも面積が広いのだ。

 ロシアから千島列島を勝ち取ったとしても、列島全てを一つの国や県として統治すべきか、それとも途中で二分割三分割して統治すべきか悩む。

 樺太に関しては、千島樺太交換条約前や、日露戦争に勝って南樺太を手に入れて以後に、樺太をどう統治していたかの資料を読んだことがないので、どうすればいいか分からない。


蝦夷地:十万石格

対馬国:六二六九石

多禰国:大隅諸島(種子島と屋久島)六二八五石

   :奄美諸島(鬼界島・大島・徳之島・沖良部島・与論島)三万二八二八石

   :計三万九一一三石


「蝦夷を分国する場合の案」

渡島国おしま (渡州)

後志国 しりべし(後州)

胆振国 いぶり(胆州)

石狩国 いしかり(石州)

天塩国 てしお(天州)

北見国 きたみ(北州)

日高国 ひだか(日州、高州)

十勝国 とかち(十州)

釧路国 くしろ(釧州)

根室国 ねむろ(根州)

千島国 ちしま(千州)

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