第4話 嵐の予感

 緑茶の香りと味を切っ掛けに、サンドラは前世の自分を数珠繋ぎに思い出した。

 駿河の国の侍だったこと。名を乾鉄造と言い、剣術指南役であったこと。幕末という時代の渦に巻き込まれ、幕府軍と討幕軍の戦争で命を落としたこと。

 そして、最後まで己の信じる武士道を貫いた一生であったこと。

 他にも思い出すことはあった。

 友に、幕府と討幕に分断された日本を一つにまとめようと奔走した、坂本龍馬という凄い男がいたこと。

 それから……今いる世界が、その龍馬から西洋貴族の暮らしぶりがわかると勧められて読んだ小説『公女シルビア』の世界と酷似していること……。

 ケイン王子とブレードが帰った後も、シルビアはサンドラを心配して、しばらくそばに付き添った。

 前世が走馬燈のように思い浮かぶサンドラの様子が、シルビアには放心しているように見えたからだ。

「……サンドラ様、お疲れではないですか?」

「……」

「サンドラ様?」

「えっ? ああ、申し訳ない。少し考え事を……」

「私もこれで失礼致しますが、今日は早くお休みになられた方がよろしいかと」

「ありがとう。シルビアさんは本当に優しいな。あなたの様な娘がケイン王子の后になり、王子を支えれば、この国はもっと良い国になるだろう」

 シルビアはサンドラの言葉に驚き、両手をブンブンと振り回す。

「そんな、わたくしなんか、冗談にもなりません」

 その仕草が可愛くて、サンドラは思わず笑ってしまう。

 部屋を出て行く時、シルビアは振り返って言った。

「それにケイン様よりも……シルビアはサンドラ様といつまでも一緒に居たく存じます……」

 そして、耳の端まで真っ赤になると、逃げるように帰って行った。


 シルビアと入れ代わるようにメイドが三人入って来た。

「間もなく夕食でございますので、お召し物のお着替えを」

「湯浴みの準備は如何いたしましょう?」

「御髪の編み直しを致します」

 サンドラは両手を挙げた。

「お気遣いはありがたいが、全て結構だ。申し訳ないが、しばらく一人にして頂きたい。手助けをお願いしたい時には、こちらから声を掛けるので」

 メイド達は眼を丸くして顔を見合わせる。

 無理もない。以前はペンを足元に落としても、わざわざメイドを呼んで拾わせる程だったからだ。

「はぁ……はい、かしこまりました」

 三人は、いぶかしみながらもお辞儀をして部屋を出て行く。

 最後に出て行こうとした、フランというサンドラ付きのリーダー格に声を掛けた。

「いつもありがとう、フラン。感謝しているよ」

「そ、そんな、滅相もございません!」

 そして、やはり顔を赤くして出て行った。

 サンドラは一人納得する。

――なるほど、豊満で魅力的な肉体というのは、異性だけでなく同性までも魅了するものらしい……。



 時の経過と共に思考はまとまり、事実が浮かび上がってきた。

 今の人格が鉄造のものであることは間違いない。

 そして、鉄造としての前世における一生に加え、サンドラとしての十七年の記憶も持っている。しかし、その十七年の出来事に関しては、記憶はあっても、その時の感情は一切思い出せない……。

――俺は死んで、サンドラへと転生した。ところが、落馬の弾みで鉄造の人格が浮かび上がり、代わりにサンドラの人格が精神の深層へと沈んだ……。

 龍馬の言葉を思い出す。

「ある人によるとな、この世はワシらの世界だけじゃあないらしいぜよ。網の目のように縦横いくつも世界があって、その中には誰かが想像するような世界も有るちゅう話じゃ」

「馬鹿言うな。桃や竹から人が生まれる世界があるものか」

「いんや、伝説には枝葉が付くもんじゃろ。川に捨てられた孤児を拾って育てた老夫婦がおって、その子が成長して強うなって、手下と海賊でも退治したらどうなる? 桃太郎伝説の誕生ぜよ」

「しかし、月に人が居て、そこに住む乙女が竹に乗って地球に来るか?」

「何言うとるがや。あのな、人類は100年もすれば月へ行く。そん時の乗り物は、竹の様に長ーいもんじゃけ。ケツから炎を吐き出してな、月まで飛んで行くと思うぞ」

 龍馬の話は、只の与太話ではなかったのかもしれない。その証拠に『公女シルビア』の世界はこうして実在しているではないか。

 そこで気になるのが、物語の進行と現実との差異である。

 本の中では、意識を取り戻したサンドラは、甲斐甲斐しく看病したシルビアに罵声を浴びせ、屋敷から追い出す事になっていた。次の日は、見舞いに来たケイン王子に色仕掛けで迫るがサラリとかわされ、その原因はシルビアにあると八つ当たり的な恨みを強くする。

 今のところ物語と現実は真逆に進行しているが、このまま差異が開いていった時、この世界に歪みは生じないのだろうか?

 そんな事を考えていると、ノックの音がした。

 おじぎをしたまま、若いメイドが入って来る。

「お嬢様、公爵様がお戻りです」

「承知した。すぐに行く」

 サンドラの父親であるエメラーダ公爵は、『公女シルビア』では名前が出てくるのみで人物の描写は無い。しかし、サンドラの記憶を探る限り、親馬鹿で間違いないだろう。

 武士の家系の厳しい親子関係とは全く異質のようだ。

 広間へ降りると、エメラーダ公爵が腰から外したサーベルを執事に渡している所だった。

「父上、お勤めご苦労様でございます」

 サンドラの言葉にエメラーダ公爵の眼が糸のように細くなる。

「おお、サンドラ。馬から落ちたと聞いて心配していたぞ。公務を途中で投げ捨てて戻って来たのだ」

 愛情深い父親だが、時に親の過保護は、子をサンドラのような手のつけられない我がままに育ててしまうものらしい。

「お仕事を途中で? 大丈夫なのでございますか?」

「もちろんだ。お前以上に大切なものなど、この世に存在せんからな。ハッハッハッ」

 公爵はサンドラを抱き締め、頬にキスをした。

「お前が無事で本当に良かった」

――確か、こういう時にはキスを返さないといけない筈……。

 サンドラも、嫌々であることが悟られないようにキスを返した。


 公爵家の夕食は、貧乏侍だった前世と比較すると信じられないほど豪華で、それは鉄造の人格を有する今のサンドラには罪悪感すら抱かせるものだった。

「どうした、食べないのか? まだどこか痛むのか?」

 公爵が心配そうにサンドラの顔をのぞき込む。

「いえ、一度は死を覚悟しましたもので、再び父上と夕餉を共にできる幸せを噛みしめておりました」

 このような公爵が喜びそうな言葉がサラッと口に出るのは、サンドラとしての潜在意識のなせる技かと鉄造の人格は感心する。

「おお、サンドラ。大事故を乗り越えて、人間が一回りも二回りも大きくなったな。言葉使いから以前と違って品格が感じられるぞ」

 公爵は手放しで褒めるが、マリー夫人は首を傾げた。

「そうですか? 私には何だか軍人か騎士のように思えて……」

 やはり繊細な部分に女性は敏感だと思いながら、サンドラは話題を変えようと公爵に話しかけた。

「ところで父上、お仕事はいかがでしたか?」

「ほう、そんな事にも関心が出てきたか。おしゃれにしか興味が無いと思っていたが、親が留守ばかりでも子は育つものだ。ハッハッハッ」

 公爵はワインが少し入ってご機嫌である。ところが、急に真剣な顔になった。

「しかしな、ここにきて少々きな臭い話になってきたのだ。少し病弱で変わり者だが、月のように聡明で才気煥発な第一王子。頭脳では兄に譲るが、質実剛健で太陽のように人を引きつける第二王子。通例であれば第一王子が次期国王となるのだが……」

 サンドラの胸中を嫌な予感が走る。

「私利私欲の為に、第二王子を次期国王に担ごうとする輩が出てきた……という訳ですね」

 公爵の眼が丸くなった。

「こいつは驚いた。なぜ分かった?」

「古今東西、年の近い兄弟の家督争いは世の常と申します。それも一国の王位ともなりますと、騒ぐのは王子ご本人ではなく、周りの家臣かと」

「あ……ああ、全くその通りだ」

 実はサンドラは、前世で極似した事例を知っていた。第三代将軍徳川家光と、その実弟忠長の件である。


 徳川家においても、兄は病弱だが弟にはカリスマ性が有り、武家政権の二番手、三番手に甘んじていた家臣達は、次男を担いで一気に一番手に昇り上がろうと画策した。

 幕府内は二分され、いよいよ統制が取れなくなってきたその時、隠居後も実質的に幕政を施行していた初代将軍家康が、長幼の序を重んじて第三代将軍に家光を指名する事で世継争いは決着する。

 しかしそれは、忠長にとっては悲劇への序章に過ぎなかった。

 やがて家光は将軍、忠長は駿府藩主となり、丸く収まったかのように見えたが、家光に一度芽生えた忠長への猜疑が消える事は無かった。いつか謀反を起こすのではという気持ちは、やがて確信に近いものになる。

 家光は、忠長のやる事全てに難癖を付けた。家光上洛の際に、兄が川を渡りやすいようにと大井川に臨時の浮橋を架ければ、幕府の防衛線を崩すものと責めた。藩内に武家屋敷造成を計画すれば、近くに寺社があった事を理由に、神仏を敬わぬ不届者の烙印を押し付ける。

 また、領民の訴えで田畑を荒らす猿を退治すると、山の神獣を大量に虐殺したと吹聴し、その直後に浅間山が噴火して灰や砂による被害が出ると、神獣を殺した祟りだという噂を流す。

 小姓が事故死すると、気紛れで手打ちにしたとされ、腰元の女中が病死すると、無理に酒を飲ませて責め殺したという話にされてしまう。もはや家光と直近の家臣達に物申す者は誰もいなかった。

 やがて忠長は改易となり、逼塞の処分が出され、そして自刃の幕命が下るまでに月日は掛からなかった。

 忠長は僅か二八年の生涯を、己の喉を短刀で貫く事で終える。


 歴史は勝った者、生き残った者が書き記す。後の世には忠長は狂人だったと語り継がれるが、忠長最後の瞬間まで仕えた乾家には真実が伝わっていた。

「それで、父上はどちらに?」

 サンドラの鋭い視線に公爵はたじろぐ。

「い、いや、私はどちらでもない。だが、公爵という立場と第一王子がそれなりにご健勝であられるのであれば、第一王子が王位を継ぐよう仕向けるのが私の務めであろうな」

「賢明なご判断です。今押さえるべきは第二王子を担ごうとしている者達。一度揉め事が起これば、どんな形で決着しようと両王子に亀裂が入るのは必至です」

「確かに……それにしてもサンドラ、まるで見てきたかのような言い草だな」


 忠長亡き後、駿府藩は廃藩、幕府直轄領となる。

 駿府城は主無城と呼ばれ、そこに仕える者は主無侍と何代にも渡り揶揄された。

 しかし、家光もその後、精神を病んで政務を執り行う事ができなくなる。そして長い間病床に臥したのち、四八歳で病死する。

 元から心身共に弱かった家光は、血を分けた弟を殺した罪悪感に耐える事ができなかったのだ。


「ええ、まあ……とにかく、私はケイン王子のクラスメイトですし、第一王子とも年齢が近い。父上、私にできる事があれば、何なりとお言い付けください」

「ああ、わかった。ぜひ、そうさせてもらうよ。それにしても……」

 公爵は夫人を見て言った。

「……サンドラが急に大人になったのは、やはりお前の育て方のお陰か?」

 夫人は肩をすくめて不満そうに答えた。

「いいえ、あなた様の教育のせいですよ」

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