06.「――そして、馬車の先頭へ。……えーっと、スィーファさん?」


  ◇



 ――ガタン、ゴトン……。


 相変わらず激しく揺れる馬車の中で――僕は扉の前に立つと、ドアノブに手を掛ける。

 この扉を開ければ、そこは馬車の最前列。スィーファさんのいる御者台だ。

 

 ……ようやくここまで来た。

 ほんの馬車一台分という、短い道のりだったはずなのに……なんだかとてつもなく長い時間が掛かった気がする。


 まあその原因は、間違いなくユリティアさんなんだけど……。

 そして僕は、先程のユリティアさんとのやり取りを思い出す。


 ――顔を近づけると、右の頬に軽くキス。

 そしてユリティアさんから、「……それでは、行ってらっしゃいませ」と見送られたりして。


 何だろう。おかしい……調子が狂う。

 いつもの――いや、ユリティアさんからは考えられない待遇の差に、思わず目眩が……。

 

(……ひょっとしたら、この馬車の揺れだって――実際に揺れてる訳じゃなくって、僕の目眩ってことも……いや、それは無いか)


 僕はブンブンと首を振る。

 ……そんな現実リアル感情メンタルを混同するほど、自分は耄碌もうろくはしていない。


 とにかく……『記憶』のおかげで、ユリティアさんと帝国の因縁は理解出来た。

 ――あとはどうやって魔王を助けるか、だ。

 

「どうしたの、ギブリール? ……何だか嬉しそうみたいだけど」

「……ふえっ?」


 不意に声を掛けられて、ギブリールは素っ頓狂な声を上げる。

 それは、完全に不意を突かれたといった反応だった。一瞬、ギクっとした素振りを見せると――ギブリールは、とぼけた様子で僕に訊ねる。


「……ボク、そんなに嬉しそうにしてた?」

「してた」


 ――即答。それはもう、明らかすぎてハッキリ判る程だった。

 あれ程ふわふわした表情は、滅多に見かけないだろうというぐらいに……。


「むー……何だかちょっと、恥ずかしいなぁ……」


 そしてギブリールは、照れ隠しに身体をモジモジさせると――ひとりでに、ボソリと呟くのだった。


「……ボクって、思った以上に『トーヤくんがスキ』なのかも……」



  ◇



 ――それから、その後の顛末について話そう。

 突然暴走を始めた馬車だったけれど、勿論緊急事態なんて訳なくて。


 戸を開くと、全ての元凶である馬車の先頭へと、僕は顔を覗かせる。

 そこでは拍子抜けする程に『いつも通り』のスィーファさんが、馬たちの手綱を握っていた。

 頭には獣耳、そして腰からは尻尾を生やしている――いわゆる獣人である。


 ……明らかに、目立った異常はなし。それでも強いてあげるなら、馬車を引く馬がいつも以上に元気そうなぐらいか。

 ――馬車を引くのは、黒や栗毛の艶やかな毛並みの馬たち。


 びゅうびゅうと、顔に勢いよく風が吹き当たる。


 どうやら僕に気づいたのだろう、スィーファさんが獣耳をぴくぴくとさせて、後ろを振り返る。

 それはもう、夏の太陽のように明るい、屈託のない笑顔だった。……ああもう、これは絶対に『何にもない』ヤツだと分かってしまうくらいに。


「そんな、馬車が走ってるのに顔を出すなんて、危ないやんか〜、トーヤん。……んー? ひょっとして、ウチのこと恋しくなったん?」

「全然違いますよっ。馬車が急に道を外れてスピードを上げたから、心配して見に来たんですっ。一体、何があったんですかっ?」

「ん? ……あー、そう言うことかー。いやー、こっちの方が近道やねん。それに人通りも少ないし。ほら、思っきりスピード出せて、お馬ちゃんも嬉しそうやん?」


 ――ヒヒーン! 

 まるでスィーファさんの問いかけに応えるように、『お馬ちゃん』たちが次々に雄叫びをあげる。


 …………。

 あまりにも平和的過ぎる光景に、僕は思わず拍子抜けしてしまう。


 ……なるほど。急にスピードが上がったのは、スィーファさんが馬に伸び伸びと走らせていたから、と。

 ……なるほど。ものすごーく、なるほど。


「――えーっと、スィーファさん? あまり『紛らわしいこと』をして、僕たちを心配させないでくださいねっ?」

「……いやいや、何か急に怖いやんトーヤんっ!?」


 笑顔でスィーファさんに『』釘を刺しつつ。僕は顔を引っ込める。



『……やっぱり、何でもなかったね。トーヤくん』

(……うん。想像はしてたけどね……)


 そして僕はギブリールに相槌を打ちながら、馬たちを見つめるのだった。


 ……というか、よく見てみるまでもなく、『お馬ちゃん』なんていう可愛い呼び名は似つかわしくないぐらい、筋骨隆々なデカい馬なんだけれども。


 少なくとも、あれだけ重そうな馬車を引いてこのスピードを出せる馬を『お馬ちゃん』とは呼びたくはないんだけれども……。


 ――と、どうでもいいツッコミを脳内で入れつつ。


 ……とりあえず、安全が確認できた以上、ここに居座る理由もない、か……。


 そして僕とギブリールは、再びリゼとエレナの元に戻るのだった……。



  ◇



 ……しかし、人の適応能力は凄いもので。

 しばらくすると、あれほど騒いでいた馬車の揺れにも、僕たちは随分と慣れてしまっていた。


 スィーファさん曰く、これだけ馬車を飛ばした甲斐もあって、王都には今日の昼過ぎには到着するらしい。

 あと一時間ぐらいか……こうなってくると、どうやらリゼの方が、俄然手持ち無沙汰が気になっている様子で。


 王都に向かって、文字通り爆走中の馬車の車内にて――。

 そんな中、僕たちがしていたことはと言えば。


「……これで私の勝ちね」

『むぅ、また負けた〜! ……やっぱりリゼちゃん強すぎだよ〜、トーヤくんっ』


 得意げな顔のリゼと、一方で悔しそうなギブリール。


 ――僕とリゼ、そしてギブリールの三人は、『とらんぷ』で遊んでいたのだった。


「……実体のないギブリールはともかくっ……この揺れで、よく『とらんぷ』で遊ぶ気になれるな、二人とも……!」


 呆れた様子でそう言いつつも――ギュッと僕の腕にしがみつくエレナ。


 ただ一人、相変わらずエレナは怖がったままで……口では強がってはいたものの――僕の腕にムギュッとくっついたまま、一向に離れようとしない。


「……エレナも参加する?」

「そんなの、無理に決まっているだろうっ……! いや、別に怖いわけではないぞっ? こんな揺れの中でやっても、私が望む『真剣な勝負』はできそうにない、というだけだからな……!?」

「ふぅん……その割には、トーヤくんから離れられないみたいだけれど」


「っ……!」


 リゼの一言に、かぁっと顔を真っ赤にして押し黙るエレナ。


「――そこまで言うのなら、受けて立とうじゃないかっ……!」



 ――そして始まる、四人での対決。

 『とらんぷ』が宙を舞い――慌てて異能者の反射神経でそれを掴んだりして。


 ――平和だなぁ……。

 

 手元の『とらんぷ』から目を離し、窓の外から見える景色を眺める。

 こういった、普通の人間なら気を抜いてしまうような時でも――ついつい警戒を怠らないのは、自分の中に暗殺者が染み付いてしまっているからなのだろう。


 ……とはいえ王都は敵の本拠地。このまま何も無いとは思えない。

 ……ひょっとしたら、スィーファさんの『ルート変更アドリブ』が知らず知らずのうちに効いているのかもしれないな――


「むっ……どうした、トーヤ? 手が止まっているが……」

「……ごめんごめん、少し考え事してて。もう僕の番だった?」

「……ええ。ちなみに今、エレナが『ババ』を引いたところ」

「――!? 今サラッと私の手をバラしたな、リゼっ!?」

「……ふぅん、当たってたんだ? ブラフのつもりだったのだけれど」

「っ……! し、しまったっ……!」


 リゼの言葉に、思わずハッとするエレナ。

 ……とりあえず、今はこの『この平和なひととき』を楽しむとしよう。


 そして馬車での旅は、特に何事もなく平穏に過ぎていく。



 やがて、馬車は王都へ――。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る