09.「美少女はひとり、荒野を歩く」

 ――〈カルネアデスの塔〉第十一階層。通称『荒野エリア』。


 そこは、草一つ生えていない『死の大地』だった。

 砂が舞う不毛の地に、骸骨姿のアンデッドたちが徘徊している。

 左右には赤土色の渓谷が切り立ち、ざらざらとした壁面をのぞかせていた。


 そんな荒れ野を進む、人影がひとつ。

 細身の透き通るような白い肌に、さらさらと美しい、ピンク髪のショートヘア。

 リゼ・トワイライト、である。


 その姿は、全くと言っていいほど荒野に似つかわしくなかったが……しかしリゼは、表情一つ変えずに荒野を進んでゆく。


 砂が舞おうと、アンデッドが現れようと、全く意に介すそぶりを見せない。

 というよりは、全く興味がないと言った方が正しいか。

 感情が希薄……という訳ではないが、ある種、鈍感であることは否めない。


 リゼが一人荒野を進んでいると、荒野の向こうに、墓場のようなものが見えた。

 そこには、アンデッド達が行手を阻むかのように大挙している様子が見える。


 錆びた剣を引きずりながら歩く、スケルトンの兵士。腐敗し、ゾンビ化した猟犬。ドロドロと肉体が崩れつつある、ゾンビマン。


 どうやらルート的に、あのアンデッド達を倒さなければ先に進めないらしい。

 なら……リゼは当然のように・・・・・・、アンデッドひしめく墓場に足を踏み入れる。


 そして、化け物たちに近づくと、リゼは白銀に輝く聖剣の斬撃を繰り出した。

 聖なる力が込められた一撃に、アンデッド達は堪らず浄化されてしまう。


 戦いは、終わった。

 リゼがあっという間にアンデッド達を殲滅せんめつしてしまったのだ。


 リゼは墓場を後にすると、先に進む。




 リゼは、自分が普通とかけ離れていることを自覚していた。


 普通は気味悪がる(らしい)、ドロドロのゾンビの化け物が相手でも、眉一つ動かさずに斬り倒すことが出来てしまう。

 それは、まるで、闘争を妨げないようにと感情が制御されているかのよう。


 幼い頃、それこそ物心ついた時から、ずっとそうだった。リゼは、恐怖というものを感じたことがない。

 初めて魔物と相対した時も――それは、七歳の時だったが――足が竦むことなく、【剣聖】の力を行使することが出来た。


 もしかしたら、これも【剣聖】の異能の影響、なのかも知れない。

 けれど、それが幸福なのか不幸なのか、リゼには分からなかった。


 そしてリゼが、第十一階層の中盤あたりに差し掛かった頃――。

 

 荒野に、小さな地響きが走った。

 リゼは、何かを察知したかのように、足を止めて立ち止まる。


 その手には、聖剣が握られていた。


 


 そのとき第十一階層にいたのは、リゼだけではなかった。

 学院三年生、ギネヴィア・リリーベルもその一人である。


 貴族の御令嬢らしい、おしとやかな立ち振る舞い。

 それでいて、魔物相手にも物怖じせずに毅然と立ち向かう、その姿――


 まさに、『白百合の姫騎士フルール・ド・リス』の称号は彼女にこそ相応しい――というのが、学院の皆が一致する意見であった。


 ギネヴィアはこの日、彼女がリーダーを務める"ギネヴィア班"を引き連れて、この第十一階層を訪れていた。


 この日の目的は、卒業した先輩方の代わりに班に加入した新入生の二人組、アリアとテレジアに『塔』での戦闘に慣れてもらうこと。

 だがしかし、二人とも魔物を目の前にすると、二人して悲鳴を上げて涙目でしがみ付き、戦うことすらできなかった。


 アリアもテレジアも、ハイレア級の異能という、優れた才能を持ってはいるのだが……いかんせん、貴族の子女ということで実戦経験が乏しい。

 訓練では良い成績を残すものの、実際に魔物を前にすると、足がすくんで動けなくなってしまう――というのは、入学したての新入生にはありがちなことだった。


 普通に戦えば、彼女たちの聖属性の異能なら、苦戦することもないだろうに……最初の一歩が、どうしても踏み出せないのだ。


「うぅ……申し訳ないです、お姉さま」

「ふふ、大丈夫ですよ。誰でも初めはそうですから。ゆっくり慣れていけば良いのです」

「お姉さま……!」


 二人は、感激したように声を上げる。

 けれども……二人のギネヴィアを見る目が妙に熱っぽいのは、なぜだろうか。

 

 その後、ギネヴィア達は帰還門を目指して、移動していたのだが……

 突然グラグラと、小さな地響きが鳴り始める。


「な、何なんでしょうか……?」


 アリアとテレジアは怯えている。

 ギネヴィアは、すぐさま状況を理解した。第十一階層は、甲鉄虫アイアンワームの生息域内。

 本来ならば十三階層以降に出現するはずの甲鉄虫アイアンワームだが、稀にこの十一階層にも姿を現すということを……。


 そして――

 大地が割れ、崩れた穴の中から、鉄色に輝く巨大な百足むかでが姿を現した。

 あれが、甲鉄虫。本来なら二階層以上先にしか出現しない、大型魔物である。


 しかし幸いと言うべきか、甲鉄虫が出現したのは、私達とは少し離れた場所。

 よかった、これなら戦闘は避けられる――普段なら切り抜けることも出来るだろうが、今日に限ってはそうもいかない。アリアとテレジアがいるのだ。もしあんな怪物が目の前に現れたら、きっと彼女達は足が竦んで動けなくなるだろう。


 なんとか、最悪の事態は避けられた。そう思った矢先、ギネヴィアの視界に、あるものが横切る。


 それは、一人の少女の姿だった。

 ピンク色の髪をした、美しい少女。その手には光輝く剣を携えて、ゆっくりと甲鉄虫へと向かって歩いている。


 その顔に、一分の恐怖も見当たらない。

 まさか、あの少女は、甲鉄虫と戦う気で――!?


 いけない、止めないと――ギネヴィアは、思わず大声を上げていた。 


「そこの貴方! 何をしているのです、自殺なさる気ですか!?」


 とにかく大声で、あの少女に聞こえるように。どうにかして、あの少女を止めないといけない。その一心で、声を張り上げていた。


 甲鉄虫に一人で挑むなんて、愚の骨頂。絶対に敵うわけがない。

 それどころか、命を落とす可能性の方が、ずっと高いだろう。


 つい先日、あの・・ウェイン班が甲鉄虫の討伐に挑んで失敗した、という話も聞いている。ウェイン班と言えば、今一番勢いに乗っている班と言っても過言ではない。

 名だたるレアエネミー、『火炎蜥蜴フレイムリザード』や『亜竜黒鳥ドラゴンバード』などの討伐実績を引っ提げて、彗星の如く現れたという、あのウェイン班。

 今まで殆ど手をつけられていなかった強力な魔物達に積極的に挑み、数々の攻略法を編み出したという……。


 そんな新進気鋭のウェイン班ですら手負いにするのがやっとで、倒しきれなかった――相手は、そんな化け物なのである。


 幸い、負傷者は出なかったと聞いているが……かなり危険な相手だというのは間違いない。そんな相手に一人で挑むなんて、自殺行為もいいところ。


 生か死か逃げ場は無い。それも、九割九分が死に直結する。無謀な戦いと言わざるを得ない。


 甲鉄虫は、今にも少女に襲い掛かろうとしていた。体格の差は、実に十倍以上。


 危ない――ギネヴィアは、更に声を張り上げた。

 そして、班のメンバーに目配せする。

 いざとなったら、アリアとテレジアのことは彼女たちに任せて、私はあの女の子を助けに行く、そのつもりだった。


「早く離れなさいっ、あれは甲鉄虫、一人で戦える相手なんかじゃ――え?」


 しかし、ギネヴィアのその言葉は、途中で途切れる。

 そして、普段なら絶対出さないような、間の抜けた「え?」の声。


 


 えっ? ……えっ? 私は一体、何を見せられているの?

 どう考えてもおかしなことが、目の前で起こっている。


 斬撃が飛んでいるのは、まあ百歩譲ってそういう異能なんだと理解しよう。

 けど、甲鉄虫の巨体が真っ二つになっているのはどういうこと!?


 ……えーっと、さすがに見間違いよね?

 しかし、何度目を擦ってみても、見える景色は変わらない。


 あの甲鉄虫の巨体が、まるでガラクタのようにガラガラと崩れてゆく。

 それも、ただ一人の少女の手によって。

 あまりにも規格外な光景に、ギネヴィアはその場にへなへなと崩れ落ちた。


「な、何だったの、一体……」


 周りを見渡すと、少女の姿はいつの間にかいなくなってしまっていた。


 そしてその場に残されたのは、甲鉄虫が穿ち開けた大穴と。

 その前に呆然と立ち尽くすギネヴィア、ただ一人だけ。


 それは、先程の光景が幻ではなかったことの証明だった。


「あんなに強い人、いるんですね……」


 後から追いついて来たアリアとテレジア達も、驚いた様子で言う。


 ……『強い』? その表現は、きっと間違っている。

 あれは、強いなんてものじゃない。あの人に強いなんて言葉を使うのは、例えば台風や地震に対して、強さ比べをするようなもの。


 私達とは別格の存在なのだ、そもそも。


 あれほどの力を見せられて、それでもギネヴィアの印象に残ったのは――少女の、退屈つまらなそうな顔だった。

 あの甲鉄虫を圧倒しながら、彼女は確かに、のだ。


 なぜだろうか――ギネヴィアにはそれが、かわいそうに見えたのである。


 ギネヴィアはふと、あの見知らぬ少女に思いを馳せる。



 一人の人間があれ程の力を持つというのは……どれほどのなのだろう、と。

 


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