鐘の音が聞こえる

 鐘の音が聞こえる。それは重く、だけれどどこか湿った印象を与えながら響いていく。響いているのは、私の頭の中だ。

 両親が離婚した。私は母に引き取られ、この海沿いの町にある母の実家に引っ越してきた。数年前に祖父を亡くし、一人で住んでいた祖母は私たちを歓迎した。母の実家は今まで暮らしていたアパートとは比べ物にならないぐらい大きな家だった。なのに、私にあてがわれたのは、かつて祖父が使っていた部屋だった。

 その部屋には、祖父の痕跡が色濃く残っていた。どうして片付けてくれていないのか、と初めのうちは憤ったが、祖母に片付けを期待するのは酷だろうとすぐに思い直し、結局自分ですることにした。

 片付けをしていると、革のかばんが出てきた。持ち上げてみると意外と重い。何が入っているのかと思って開けてみると、中には古いラジオが入っていた。ラジオって、こんな風に大事にかばんにしまうものなんだろうか。そのスピーカーの部分に何気なく触れてみる。その瞬間、スピーカーから大きな音が響いた。低く重いその音は部屋にあるものをびりびりと震わせるほどの大音量だった。

 私は慌ててラジオに触れていた手を引っ込めた。音が止まる。そのラジオがこんなに大きな音を出せることにも驚いたけど、それより近所迷惑を心配した。苦情を言いに来るようなご近所さんはいないだろうか。

 その時、不意に背後に気配を感じた。振り向くと祖母が立っていた。

「今の音は?」

 祖母は短く問うた。

「ごめんなさい、おばあちゃん。このラジオに触ったら、音が出ちゃって……」

 謝る私の言葉を聞いているのかいないのか、祖母はじっとラジオの方をじっと見ている。

「聞こえたのかい?」

「え?」

「今の音、あんたは聞こえたのかい?」

「う、うん。すごく大きな音だったから……」

 私の返事を聞いた祖母は大きく頷いて、急にこの家やうちの家系の成り立ちについて話し始めた。

 かつて、うちは代々神官だったらしい。神事を執り行い、人々と神の間で仲介をしていたのだという。しかし、大きな戦争やその後の近代化によって廃れてしまったと、祖母はとても悔しそうに私に話した。

「神はその座から引きずり降ろされ、御身を八つに裂かれ持ち去られた。先代、わしの父はそれを止められなかったことを死ぬその時まで悔やんでおった」

 そう言うと、祖母はラジオを手に取り、電池ボックスのフタを開けた。乾電池が収まっているべきその中には、何かの『肉』が詰まっていた。私は息をのんだ。

「そんな折、一人の異邦人がやってきた。その者は持ち去られた神の一部を取り戻し、このラジオに組み込んだ。そして先代に言うたそうじゃ。『これの音が聞くことができる者が、神を復活させられよう』とな」

 ラジオの中の肉が祖母の言葉に呼応するようにどくりと脈打った。

「わしは三人いた『聞こえる者』の一人じゃった。三人とも、持ち去られた神を取り戻すためにその生涯を費やした。八つの神の御身のうち、五つを集めた。そのラジオの中のものを含めると六つ。しかし、残りの二つが見つからぬ。わしらも衰えた。使命を果たせぬと諦めておったが、今日、お前が『聞いた』」

 祖母はラジオを横に置き、私との距離を一気に詰めてまっすぐに私の目を見据えた。何故だろうか、その目を見て私は海の底を連想した。

「お前、さっき言ったね。『すごく大きな音だった』と。聞こえる音が大きいほど神に近いと異邦人は言った。わしに聞こえたのは小さな音だけ。お前はわしよりずっと『近い』のだろう。つまり、それだけ使命も大きい」

 祖母の話を黙って聞きながら、祖母が私に何を求めているのか勘付いていた。

「おばあちゃんは、私にその、神様を探してほしいの?」

 祖母はうなずいた。

「神は復活を望んでおられる。わしら一族は、神官としてそれを叶えなければならぬ」

 そう言うと、私の答えを待たずに祖母は部屋を出ていった。

 その夜、夢を見た。重く湿った鐘の音が響く中で、私は何か大きな物を見ていた。それの表面は魚の鱗が生えていたり、たこやいかの足のような吸盤が列をなしていたり、まるで海の生き物をごちゃまぜにしたような姿だった。

 不思議と気持ち悪いとは感じなかった。私は手を伸ばし、それに触れようとした瞬間、目が覚めた。

 朝だった。空は曇っていてどんよりとしている。布団から体を起こそうとするが、重くてだるい感じがする。風邪でもひいたのだろうか。

 と、その時部屋の戸を叩く音がした。

「起きてるかい?」

 戸の向こうから聞こえたのは祖母の声だった。

「今起きたところ」

 そう布団の中から答えると、戸が開かれた。部屋に入ってきた祖母はタオルに包まれた何かを大事そうに抱きかかえていた。喜色満面といった表情で祖母は言った。

「昨日の晩はご苦労だったねぇ。まさか、早速一つ取り返してくるとは。わしは夢にも思わなんだよ」

「おばあちゃん、何言ってるの?昨日は私、どこにも行ってないよ?」

「覚えておらんのか。まあいい。見てごらん」

 そう言って、祖母は抱きかかえているものを私に見せた。タオルをめくると、中にいたのは、

「骨……?」

「そう。神の背骨、その一部じゃ」

 私たちの声に反応したのか、タオルの中の背骨がうごめき、ぎちりと鳴った。

 午後。テレビを付けるとちょうど地域のニュースが始まっていた。それによると、殺人事件がこの近くであったらしい。一家が皆殺しにされ、その手口の特徴が数十年前に起きた未解決事件と酷似していて、警察が因果関係を調べているといった内容だった。私はそのニュースに何か引っかかるものを感じながらテレビの電源を切った。そしてまた、夜が来る。

 父に会う夢を見た。父は上京した先で母と出会い、お互いが同郷だと知り一気に仲良くなったと、いつだったか私に話してくれた。少し優柔不断で頼りない父だった。その父が、ひどく怯えた表情で私を見ている。私は頭の中に響く鐘の音を聞きながらそんな父に近付き、振り上げた■■を勢いよくその頭に―――。

 目を覚ますと、車の中だった。後部座席で横になっているらしい。頭だけを動かして運転席を見る。どうやら運転しているのは祖母のようだった。

「お目覚めになりましたか?」

 昨日までと全く違う口調だったので、自分に向けられた言葉であることに気付くのに時間がかかってしまった。

「他の『私』は?」

「はい。私めの家に安置しております」

「そうか。苦労をかけたな」

「もったいないお言葉でございます。そもそも、先代が至らぬばかりにこんなことになってしまい……」

「よい。許す」

 そう言葉にしながら私は身を起こす。

「しかし、驚いたものよ。人の身でありながら神の肉を口にするなど」

「まったくでございます。あの罰当たりめ」

「代を重ねて血が薄まる前に回収できたのは僥倖であったな」

 私は車のトランクの方を見やる。トランクには、神の肉を食った者、私の父だったものが入っていた。

「あの者に私の肉を食わせたのはいかなる意図があったのか。いや、もはやどうでもいいことか」

 私はそれだけ言うと目を閉じた。祖母の家に着く頃にはすっかり日が暮れ、雨が降り出していた。

 私と祖母は回収した『私』を持って砂浜にいた。眼前には真っ黒な海が広がっている。

 祖母が『私』を一つずつ波打ち際に置く。それらはするりと波にさらわれていった。

「御身をすべて海に還しました。残るは……」

「分かっておる。神官よ。この度の働き、まこと大儀であった。ではな」

 その言葉を聞いて、祖母はひざまずいて手を合わせた。それを横目に私も海の中に入っていった。

 父が食わされたのは、神の脳髄だった。それは父の血肉となり、子にも受け継がれた。つまり、私だ。私はある意味で神そのものだった。海の中で体がほどけていくのが分かる。私は一度海に溶け、かつて八つ裂きにされた私だったものと再び結びついていく。そして本来の在り様、人が神と呼ぶモノとしての形を取り戻すのだ。

 その日、豪雨と雷鳴の中、神と呼ばれていたモノの一柱が海から姿を現した。それは鐘の音のような声をあげながら上陸した先の町を蹂躙し、人々は怯え逃げ惑うことしかできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る