潰れて消されて

 快晴、と呼ぶには少し空の色が暗い日だった。湿った空気が地面と空を分断するように横たわっているためかもしれない。その下で重機が動く音がいくつも重なり合い、騒音を立てている。使用されている装置や、それを操る者の腕前から考えれば、その音は八割ほどは削減出来るはずだった。だが、上層区が指定した時間内に指定された範囲の建物を解体するには、騒音など気にしてられないに違いない。上層区が定めたスケジュールは絶対で、天候も何も配慮されたことがない。もしも決められた時間内に処理が終わらなければ、彼らには二度と同じ作業は与えられない。不良品や欠陥品のように、上層区の持つ作業者のリストから除外されてしまう。


「まさか「フードコート」が解体されるとは思ってなかったよ」


 騒音に混じって、ラスティの少し甲高い声が聞こえた。ソラは思考を一度中断し、緩慢な動作で振り返る。人の行き交う通りから少し外れたところにある、鉄骨の枠組みしか残っていない建物。その三階部分からは、かつてラーメン屋などがひしめき合っていた広場がよく見えた。鉄骨の縁に腰を下ろしたソラの位置からは、元は階段だった場所に立っているラスティの爪先だけが見える。


「まぁ、上層区から見れば、ただの空き地だろうからな」

「明日からどこで牛丼食べればいいわけぇ? シータエリアまでお散歩して、美味しくもない米麺食べるとかゴメンだよ」

「どうせ牛丼ったってダミーミートだろうが」

「美味しければダミーでもなんでもいいよ」


 鉄骨にかろうじて張り付いているような鉄板の上を、ラスティが一歩ずつ歩いて近付いてくる。危険な行為と言われればその通りだが、下層区ではそもそも安全であることが尊ばれたことはない。


「で、急に呼び出したのはなぁに? まさか、これを見て一緒に感傷に浸ろうってわけじゃないでしょ」


 隣に腰を下ろしたラスティの、長い赤茶色の髪が風に揺れた。

 二人揃って、昨日まで賑わっていた広場が、容赦なく解体されていくのを見つめる。ソラが下層区にいた時には既に存在し、人々の憩いの場でもあった空間。空腹を感じた時に来れば、誰かしらに会えて、他愛もない雑談に興じることが出来た場所。それが目の前で壊されていくのを見ながら、ソラもラスティも黙りこくっていた。

 悲しいとか寂しいとかの感情ではない。勿論嬉しくもない。怒りなどは感じない。ただの虚無が心の中に現れて、そのまま居座っているようだった。きっとそれは、ふとした瞬間に思い知らされる、「上層区には逆らえない」現実のためだと思われた。逆らえないだけならまだ良いかもしれない。実際には逆らおうとしても、逆らい方すらわからない。


「道路を作るんだってさ」


 遂に沈黙に耐えきれなくなったのか、ラスティがボソリと呟いた。


「道路?」

「そう。あっちの道まで繋ぐ道路。何の意味があるんだろうね」


 ソラはラスティの指差した方向を見る。他の建物に遮られて実体を見ることは出来なかったが、それでもこのあたりの地理は大体頭の中に入っている。

 二つの道を繋ぐための新しい道路。ということは今回の政策は、通行量の偏りを解消するためのものだと推測出来た。その政策が発生した原因は、考えるまでもない。フードコートに集まる人間の数が年々増加していったことだろう。


「フードコートを潰して、そこに道路を敷くのか」

「違うよ。道路はその北側。あそこには工場を作るんだってさ。何の工場かは知らないけど」


 ラスティは肩を竦める。上層区の決定が全く理解出来ない、とでも言うように。

 しかしソラは少し目を見開いて中空を見上げた。


「工場……」


 通行量の調整をするためなら、工場など作る意味はない。単に「空き地」として登録されている場所を潰してしまえば良いだけである。かといって、工場を建てるのが主目的とは思えない。つい先日、ベータ地区で二つの大きな工場が廃業されたばかりである。そちらの空いている施設を使わずに新しく工場を作る意味。ソラはそれを考え、そして一つの答えに行き着いた。


「フードコートの人たちに会ったのか?」

「うん。牛丼屋のミチさん。道路のこともそれで教えてもらった」


 ラスティの口元が少し持ち上がる。


「あそこにあった店は、工場を取り囲むように移転するつもりらしいよ。今朝のうちに必要なものは全部運び出したって言ってたから。まぁそうだよね。あれだけ大掛かりな解体作業だもん。前日ぐらいに作業員が通達しておいたほうが混乱も少ないし」


 その言葉に、ソラは改めて解体現場に視線を向けた。積み上げられていく瓦礫の中に、店の看板などは見当たらない。移転するうえで必要なものとして事前に取り外したのだろう。

 工場はある程度の大きさがあると考えられる。今までのように固まっての営業は出来ない。分散して営業することを余儀なくされるとしても、またこうしてまとめて取り壊されるような憂き目には遭いにくくなる。

 つまりこれは善意なのだと、ソラは理解した。誰かがあのフードコートを、あの場所にある食べ物を守るために、敢えてこうした手段を取った。そして、そんなことが出来るのは、ソラが知る限り一人しかいない。


「アオ」


 小さく呟いた片割れの名は、重機が大きな鉄骨をへし折る音に紛れて消えた。

 ソラは特にそれを気にも止めず、ラスティの方を振り返る。


「なぁ、ラス。お前、どうして自分が下層区に来たんだと思う?」

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