第33話 舌戦準備

 ハウエルの言う正規の騎士たちは速やかに残った襲撃者を切り捨て、死体の片付けへと着手した。

 飛び散った血液なども地属性の魔術によって埋められ、村からは噓のように争いの痕跡が消えていく。


 ルヴィは村の長として騎士と応対し、今は村の中心から静かに騎士たちの働きを見つめていた。

 その働きは真面目そのものであり、邪な気配は感じない。ハウエルの言に嘘はないようだ。


 ルヴィはほんの少し肩から力を抜き、焚火の前に腰を下ろした。火にかけた鍋の様子を見る。

 たっぷりと張った水は、沸騰までもう少しと言ったところ。


 細く立ち昇る湯気を見るともなく眺め、騎士から聞いた内容を反芻する。


 村を襲ってきたのはスルズフォードという貴族であり、攻撃の理由は口封じ。

 そして、この村に来た理由は、寝物語で聞くような『伝説の剣士』の遺産を手に入れるため。

 この村はその英雄の出身地であり、すぐ近くには隠された当人の墓まである、らしい。


「訳が分からねえって顔をしてるぜ。大丈夫か? 村長」


 斜め下から聞こえた声に視線を向ける。焚火の隣ではロイが両手両足を投げ出すように倒れていた。


「嘘だと言いたくなるような話ばかりだが……実際に襲われた以上、本当のことなんだろうな。前の村長はこのことを知っていたんだろうか。……それよりも、お前の方が大丈夫なのか?」


 ロイは全身砂塵に汚れ、着ている服もボロボロだ。


「怪我はねえんだが、ちょっと本気で魔力を使い過ぎた。体がだりいぜ。情けねえ。はっはっは!」


「……まあ、無事ならいい」


 言って頬杖をつく。その短い言葉がルヴィの本心だ。最大級の面倒事が明るみに出たが、村の人間に被害はない。


 今度は誰も失わなかった。ルヴィにとって、それが何より重要なことだ。


「全員、無事で良かった。……とはいえ、あっちの戦いはまだ終わらないか」


 視線をさらに変える。カルヴィンの家からは、まだ慌ただしい気配が伝わってきていた。フィリダの出産はまだ終わらないのだ。

 女衆はそちらに掛かり切りになっており、家の前ではずぶ濡れのカルヴィンがオロオロと動き回っている。


 ちなみにカルヴィンがずぶ濡れなのは、出産に立ち会うために戦いの汚れを落とそうと水を被ったからだ。

 ……結局、妻のフィリダから『図体がうるさい!!』と追い出されたが。


 ルヴィが湯を沸かしているのも、騎士に茶を淹れるにも他に人手がないためだ。


「……なあロイ、騎士でも自前のコップくらい持ち歩いてるよな?」


 茶葉はなんとかなりそうだが、4人しかいない村ではコップの数が全く足りない。

 そのことに頭が回っていなかった辺り、自分もかなり動揺しているらしい。


「ん~? まあ、騎士だろうが旅の最中は飯食うんだから、食器くらいはあんだろ。たぶん。つうか、ハウエルに聞いてみたらどうだ? 同僚みたいなもんだろ」


「ああ……」


 軽く言うロイに、倒れていては見えないか、とルヴィは曖昧に声を出す。


 村の端へと視線を飛ばせば、そこにハウエルはいた。地面に座り込み、表情には焦りの色がこれ以上ないくらいに浮かんでいる。


 そしてハウエルの目の前には、身形の良い男が全身を怒気で染めて立っていた。

 周りにいる全てを威圧するような恐ろしい眼光だ。その男が、先程から一言も発さずにハウエルを睨み続けている。


「ハウエルは……指揮官らしき男に捕まっているな。何があったのかは知らないが、相手は酷く怒っている。子を守る魔物でも、もう少し近づき易いくらいだ」


 男の激情に呼応するように、時折周囲が歪んで見える。感情の起伏だけで小さな魔術を起こすそれは、桁違いの魔力を有する証だ。


 怒気はあっても殺気がないことが幸いか。あの男が襲撃者だったら、死ぬ覚悟でもなお足りなかったかもしれない。


 ルヴィの言葉に、ロイは納得したように頷く。


「ああ、なるほど。バートレストが説教中か」


「バートレスト?」


 オウム返しに聞き直せば、ロイの吹っ切れたような顔で笑っていた。


「帝の剣たるデュソード家。その当主で『炎の断罪人』と恐れられる男だ。ついでにハウエルの上司だな。厳しい奴だから、お説教はまだまだ長いぜ、きっと」


「……」


 ルヴィは無言だ。ただ、『なぜ話した?』と視線でロイに問う。


「おいおい、ここまで大事になったんだ。もう隠すのは無理ってもんだろ。ハウエルの奴は国にとって重要な役割を持つ貴族で……それを知っている俺は、いちおうは皇室に連なる身だ。立場も帝位の継承権もないけどな」


「そうか……」


 焚火に枯れ枝を追加する。ロイとシエラ、ハウエルとアニスが訳ありなのは勘付いていた。驚きはあるが、飲み込めない事実ではない。


「さて、正体がバレちまったから、ここでの生活も終わりだな。今度は俺を狙って貴族が襲って来かねない。――ああ、楽しかったんだけどなあ……」


 ロイは諦めたように笑っている。上手くいかない現実に慣れ切った表情だ。


 ――ルヴィは自問する。小さくとも、ルヴィはひとつの村の長。長の役割は選ぶことだ。


 答えは、悩むまでもない。


「ここにいればいいだろう」


「……無理だろ。絶対に守れる秘密なんてない。それこそ、『契約』の魔術でも使わねえ限りはな。……それに、自分で言うのもなんだが俺の血は特別過ぎる。……同じ村の人間に特別扱いされるのは御免だぜ」


 ロイの言葉はもっともだ。だが、ルヴィはそれを丁寧に否定する。


「ひとつ。今回の襲撃者は全員死んだ。口を利ける死人はいない。それに、『炎の断罪人』殿と騎士は口が軽いようには見えないな。ふたつ。ロイの正体を知った村人は俺だけだ。俺が黙っていれば、他の村人は知りようがない」


 ロイが驚いたようにルヴィを見る。


「正気かよ、村長。特大の厄介事だぜ?」


「……俺が知っているロイという男は、多少世間ずれしているが、知識が豊富で気が利いて、畑の世話が村で一番上手い奴だ。――それだけで十分だろう?」


「くっ、はははは! ……さすが、懐が広いぜ、村長」


 ルヴィはロイへと手を伸ばす。


「まだまだやることは山積みだ。これからも力を貸してくれ」


「――おう」


 ロイは伸ばされたルヴィの手を力強く握った。ルヴィは腕を引き、ロイの体を起こす。


「さて、残る問題はハウエルだな。ロイ、お前の機転と口の上手さに期待していいか?」


「さっそく責任重大だな。あの堅物バートレストを説得しろって?」


「ああ。ハウエルもアニスも大事な村の一員。今さら引き抜かれても困る。それにハウエルがここに残りたいと願っているなら、力を貸すのは長の役割だ」


「へっ、了解だ、村長。居場所をくれた分の仕事はしようじゃねえか。それで? さっそく切り込むか?」


「まずはハウエルの事情を教えてくれ」


「おう」


 ロイは仲間を援護するべく、知識を吐き出し始める。





 バートレストは目の前に座る男を見下ろした。激情を堪えて言葉を絞り出す。


「弁明はいらん。速やかに城に戻り、自らの責務を果たせ」


「あ~、その、室長……少しは話しをさせて欲しいと言いますか……」


「ほう?」


 ハウエルは肌に当たる熱を感じた。周囲が陽炎で揺らめていている。


「皇帝陛下から賜った役目を放り出し、さらに帰還すら拒むと? ――貴様、ここで死ぬか?」


「いえ、その、死にたくはありませんが」


 たらり、とハウエルの頬を汗が伝う。熱のせいかバートレストの威圧のせいか、考える余裕はハウエルにはなかった。


「阿呆な貴様のために敢えて言葉にしてやろう。本来であれば職務から逃亡した時点で、貴様は首を刎ねられるような立場だ。まごうこと無き皇帝陛下への反逆である」


「い、いや、陛下への反逆心なんて全く! これっぽちも! あるはずがないではありませんか!」


「だから貴様は阿呆なのだ。皇帝陛下より頂いた命から逃げておきながら、その実のない言い訳が通用すると思っているのだからな」


 熱量が増す。水分を奪われた地面がひび割れ始めた。


「重ねて言おう。貴様は阿呆だ。だが厄介なことに、替えの効かない優秀な技能を有している。ならば、足りない頭なりに国に尽くせ。祝福された力を祖国のために使え。――でなければ、ここで燃え尽きろ」


 冗談ではない殺気に、ハウエルはごくりと唾を飲み込む。


 国のために働く意思はある。自分の最も大切な役割は自覚している。――しかし、目の前の男は血の一滴まで国に捧げると誓った国士だ。

 “国のために働く”という意味が常人とは基準が違う。


 軽い言葉での言い訳など、燃える火山に水を注ぐような愚行に他ならない。


 説得は……不可能だろう。ハウエル自身、自分に利がないことは理解している。

 ただ、それでもすぐに頷くことができないほどに、この村での慎ましくも自由な暮らしを、小さな日々の幸せを、ハウエルには気に入っていた。


 ごくり、と再び喉が鳴る。

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