第三十話 穢れ身の者


 呪術者とは、名の通り呪術を使う者のことである。そう柳楽は説明した。組織で動く者もいるが、たいていは個人で呪術の研究を行っていることが多い。


 そもそも日本の呪術とは、世にある怨念や恨みみたいな強い感情を力に変換して、対象を苦しめるために効率よく運用することを目的に編まれた技術体系なのだそうだ。それ以外は単純に『まじない』や『のろい』という。ホラー映画なんかで見る現象はこの『呪い』のほうなんだと。


 わら人形に釘を刺すうしこく参りも神社とか霊域でやれば立派な呪術になるし、大宰府だざいふ天満宮みたいに怨霊おんりょうを祀ってその呪詛を人への恩恵に変換する御霊信仰も、呪術の一種に分類されるらしい。そう言われるとけっこう身近な気もしてくる。ちょっと怖い、俺も誰かから呪われたらどうしよう。


 ようするに呪術とは、この世の不思議パワーをしっかり管理する術なのだ。それが失敗すると、奥沢おくざわ日菜美ひなみのように呪詛に身を巻かれることになる。あれ、放置してたら身体が腐ったりするらしい。


 だから柳楽は彼女の所業に激怒しながらも、その身についていた呪詛を浄化したのだ。

 呪詛に触れることは、命に関わることだから。


「だから今の時代、呪術とは禁忌に近い。己か他者か、誰かの身を必ず傷つける。常人の身で扱おうなどと思わないことだ。それを承知で使うということは、よほどの自殺志願者か、他人の犠牲なんてとも思っていない愚か者だよ。さて、長正路ちょうしょうじ勝政かつまさはどちらだろうね?」


 そう隠しきれない嫌悪ほのめく笑みを作る柳楽に、俺は言葉を返すことができなかった。






 勝政かつまさとの思い出を語れと言われたら、まず出て来るのは保健室だ。最初の出会いもそこだった気がする。勝政かつまさは保健委員で、昼休みには保健室にいることが多かった。怪我の絶えない俺が勝政かつまさと仲良くなるのは必然だったのかもしれない。


 勝政かつまさはよく厭悪えんおに顔をしかめて言っていた。


『僕は人間が嫌いだよ。他人を馬鹿にして、追い落として、醜いったらありゃしない。死体を蹴って得意になるような、そういう何の益にもならないクソな人間の多いこと。あっ、だからって皆嫌いってわけじゃないよ。柘弦つづる君みたいに一緒に居て楽しい人もいるしね』


 勝政かつまさの人間観についぞ俺は同意することはなかった。だが、勝政はその言葉からは想像できないくらい、笑みの絶えない良い奴だったのだ。


 他の奴は勝政かつまさを根暗だとか人を小馬鹿にしているとか言っていたが、俺の前ではそういうことは少なかった。少ないだけで無いとも言い切れない奴だったのでそれを完全に否定することはできないが。


 学校モードの柳楽ではないが、誰であれ己を着飾ることはあるだろう。俺だって生徒の保護者とかが来たら背筋を伸ばすし、柳楽の前だと理性的に振る舞うようにしている。


 皆の前と、俺の前。どちらが勝政の本当の顔だったかは俺には分からない。どちらも本当で、どちらも無理した姿だったかもしれない。


 それでも、と俺は思う。勝政が俺と共にいた時間は、きっと嘘ではなかったはずだ。


 そう思っていたからこそ、久しぶりに見た勝政かつまさの背中を、俺は本人のものとは思えなかった。


 柳楽の知り合いからの情報提供で、勝政かつまさが呪術を素人に提供する商売をしていることがわかった。柳楽はそこへ、『呪いたい人間がいる』と嘘の連絡を入れ彼を呼び出したのだ。


 落ち合う場所はちょうど、山尾先生の死体が上がった川沿いだ。元から人通りが少ないのに、死体が出たからかさらに人気がない。放課後だというのに近隣の学校から響くはずの声もなかった。うちの高校みたいに部活動が一時的に自粛じしゅくとなっているのかもしれない。


 簡素な堤防から、柳楽と並んで川辺を覗き込む。砂利ばかりの河川敷、時間通りに現れた男の姿を臨む。


 随分様変わりしていたが、それは勝政に違いなかった。目が細く丸顔で、耳の先が尖っている。男にしては小柄な体躯なので、昔はからかわれることも少なくなかった。勝政は自分を笑う奴を無視していたが。


 当時は男子にしては身なりに気を遣う男だったのに、今ではシャツがくたびれ背中は曲がり、目元には深いくまが刻まれている。額も広くなって、すっかり疲れ切った中年オヤジといった容貌だ。


「春高先生も人の事言えないだろう」


「んなこと分かってるよ。喧嘩売ってんのか」


「いや、理解しているならせめてその無精ひげはれと……あっほら、先生が喋るから気づかれたぞ」


 小声のつもりだったが聴こえてしまったらしい。勝政かつまさが堤防から飛び出した俺たちの頭をじっと見ている。俺たちは観察を止め、勝政の前に姿を現した。


「よお、勝政かつまさ。久しぶり」


 ぎごちなく挨拶あいさつする俺を、彼は据わった目つきで睨みつけた。それは、かつての彼が決してしなかった顔だ。俺はその顔を見て、あの日から無情にも過ぎ去った時間の重みを実感したのだった。


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