松成敬輔

30-1

 必死な形相で叫んでいる奈々子の父親を見て、まるで飛行機の中で医者を探しているみたいだなとぼんやりと思った。

 奈々子の好きな人か。そうか。奈々子にも好きな人がいたんだ。

 考えてみれば何も不思議なことじゃない。奈々子だって子供じゃない。好きな人ぐらいいるだろう。

 そしてそれはおそらく自分ではない。

 敬輔は自らの下半身を見て、ズボンを上げ、席に座った。

 もし仮に奈々子が好きなのが自分だとするなら、ラブレターを渡したときに内容なんて関係なしにオーケーの返事がもらえたはずだ。ラブレターを渡したというだけで、内容なんて関係なしに両想いが確認できたはずなのだ。

 そうならなかったということは、奈々子の好きな人は他にいる。

 と、雄大がまっすぐ敬輔を指さした。

 奈々子の父親が近寄ってくる。

「君なのか?」

 敬輔は首を振った。

「違います。勘違いですよ。おれは奈々子とはただの友達です」

 その友達関係も今日一日でだいぶ弱くなってしまったが。

 上戸美姫が近づいてくる。そして彼女も敬輔を真っすぐに見て指さした。

「あんた以外にいないでしょうが」

 敬輔はまた首を振った。

「ありえない。そんなわけないだろ」

 上戸美姫は敬輔のシャツを掴んだ。

「あたしだってわかんないよ。松成はいじいじしているところがあるし、頼りないし、時々きもいし、とてもじゃないけど奈々子のこと安心して任せられない」

「ひでー言われようだ」敬輔は小さく笑った。けど自分でもわかってる。

「けどね。それでも奈々子は松成のことが好きだよ。そんな欠点が長所に見えるぐらいに松成のことが大好きなんだよ」

 敬輔は黙っていた。奈々子が自分のことが好き? そんなこと信じられない。

「ねえ、松成はどうなの? こんなとこでいじいじしてて、奈々子のこと好きなの? それともどうでもいい存在なの?」

「そんなわけない」敬輔は上戸美姫を見た。

「なら、奈々子のところに行きなよ」

「でも、おれなんて……」

 そう敬輔が言ったら、雄大が敬輔の頭にヘッドホンをつけた。

「敬輔ならできるさ」

 耳に大音量のアイドルソングが流れてくる。胸に熱いものがこみ上げてくる。

 アイドルは歌っていた。

 心の底から愛を叫べと。

 そうだ。奈々子のことが好きだ。

 これまで何年も奈々子を見てきた。奈々子が優しくて、いつも周りの人を笑顔にすることを考えてきて、そればっか考えているから時に奈々子自身が損することもあって、けどそんなこと全然気にせずに笑ってて、どんなことでも一生懸命で、楽しそうで、嬉しそうで、笑っている奈々子を見るのが何よりも幸せで。

 そしてその笑顔を一番近くで見ていたかった。

「奈々子が好きなのか君か?」

 もう一度奈々子の父親が質問した。

 敬輔は立ち上がる。

「わかりません。ただ、おれが好きなのは奈々子です」

 敬輔の目を見て、すべてを悟ったように奈々子の父親は笑った。

「わかった。じゃあ一緒についてきてくれ」

 もう迷わない。

 敬輔は走る甘木秀彦の背を追いかけた。

 校舎を出る。グランドの中央に奈々子の姿が見えた。

 奈々子はその場でうろうろして、どうすればいいかわからず困り果てているようだった。

 ちゃんと伝えよう。

 そう思った。

 そして、今ならそれができる気がした。

「敬ちゃん」奈々子が敬輔を見る。

「奈々ちゃん」

 思えば一日長かった。いや、奈々子に対する恋心を自覚してからここまでくるのに長い時間がかかった。

 でも、それも無意味じゃなかったはずだ。

 すべてのことに奈々子に対する気持ちが詰まっている。

「あのさ。ずっと言いたくて、ずっと言えなかったことがあるんだけど」

 敬輔は頭をぽりぽりと掻いた。

「……うん」奈々子は戸惑ったような、何かを期待しているような複雑な顔をしている。

「おれさ」自分がこれから言う言葉に思わず顔を伏せそうになるが、それに耐えて敬輔は奈々子の目をじっと見た。「奈々ちゃんのことが好きだ」

 奈々子がゆっくりと笑った。

「うん」奈々子の顔がみるみる真っ赤に染まっていく。

 敬輔は奈々子を見る。自分が大好きな少女を。

「ずっと。ずっと前から好きだったんだ。奈々ちゃんの笑った顔見ると嬉しくなるし、奈々ちゃんが悲しそうだとおれも悲しくなる。奈々ちゃんが喜ぶことなら何だってしたいし、奈々ちゃんを悲しませるようなことから守りたい。これからも奈々ちゃんの側にいて、一緒にいろんなところに行って、色んな思い出をふたりで作りたい」

 敬輔はそこで一度言葉を切って、深く息を吸った。

「だから、おれとつき合ってください」

 まっすぐに奈々子を見る。

 奈々子の視線はあっちに行ったりこっちに行ったり落ち着かない。手は何かをもとめるように空中をふらふらして、自分の髪を触ったり頬を触ったり彷徨っている。「えっと、その」顔がいっそう赤くなっていく。

 そして意を決したように奈々子は顔を上げて敬輔を見た。

「よろしくお願いします」

 その瞬間。敬輔は最高の未来を手にした。

 奈々子の手を引っ張り、引き寄せて力強く抱きしめる。

「大好きだ!」大声で叫んだ。

 嬉しい。

 嬉しすぎる。

「……わたしも」照れるように小さな声で奈々子は言った。

 その時奈々子のスカートから何かが落ちた。

 けど、そんなことはどうでもいい。今までで一番幸せだった。

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