松成敬輔
28-1
3階にある二年A組の教室にたどり着く。全身に制服が張り付いて気持ち悪い。特にパンツを履いていない下半身の不快感は大きかった。
教室の後ろ隅にあった古い掃除用具入れのロッカーはすでに運び出されていた。新しい掃除用具が教壇の横に置かれている。きっと帰りのホームルームで新しい掃除用具の使い方が説明されるのだろう。
掃除用具入れを教室の後ろに置いて自分の席に戻る。
「奈々子は?」
上戸美姫の鋭い言葉が飛んできた。敬輔は後ろに置かれた掃除用具入れを見る。
「……さあ」
とてもじゃないが真実は伝えられない。敬輔は素知らぬ顔をした。
「まあ、いいわ」上戸美姫は不気味に笑った。「今から二人の変態行為を白日の下にさらしてやる」
冷たい声音。
敬輔は身体がびくりと震えた。忘れていた。そういえば上戸は怒っていたのだ。もしかして、まだプールの授業のことを根に持っているのだろうか。これから帰りのホームルームでみんなにそのことを伝えるのだろうか。
「じゃあ、帰りのホームルームを始めるぞ」
担任の声で生徒全員が前を向いた。
担任が掃除用具をひとつひとつ説明する。学校の備品だから丁寧に扱うようにと何度も念を押された。
敬輔は目で見ずにロッカーが置かれている後ろに意識を集中した。奈々子はもしかしたら中に入っていないんじゃないかと思うほどに静かだった。けれども帰りのホームルームが終わり掃除が終わったら掃除用具を仕舞うために誰かがロッカーを開けるはずだ。そうなったらどうすればいいのだろう。
背中嫌な汗が流れる。息が苦しい。
「じゃあ、何か連絡事項がある人いるか?」
担任がそう言って教室を眺めると、上戸美姫が背筋を伸ばして手を上げた。
冷や汗が流れる。
「おっ、どうした?」
担任が促すと上戸美姫は立ち上がった。
そして急に目元を押さえてすすり泣くような声を漏らした。
「ど、どうしたんだ?」
担任が慌てた声を漏らす。
上戸美姫は腕で涙を拭う仕草を見せた後、まっすぐ前を向いてよく通ることでこう言った。
「あ、あたしのパンツ、か、返してください」
二年A組の教室の中にいるすべての男子に戦慄が走った。
帰りのホームルーム中。上戸美姫は突然立ち上がってその言葉を吐いた。クラスで一番かわいい女の子が、肩を震わせながらスカートを掴んで、涙目で訴えたその姿は見る者に衝撃を与えた。
そして男どもは考える。
いったい誰がパンツを盗んだのかと、そしてそれ以上に、いまどこにパンツが存在しているのかと。探り合いの視線が飛び交う。
と、上戸美姫が振り返った。そして席の間を歩き出し、敬輔と雄大の前で立ち止まった。
「な、なんだよ」敬輔が狼狽えるように言った。
「立って」上戸美姫は命令した。
「なんで?」
「いいから」
そう言って上戸美姫は敬輔と雄大を立たせた。
なにが起こるのかと周りの生徒は息を飲んでその光景を見守っていた。
と、突然上戸美姫が左右両方の手を使って敬輔と雄大のズボンを勢いよく下ろした。
教室に悲鳴があがる。
二人共パンツを履いてなかったからだ。
上戸美姫は顔を真赤にしながら屈んだ姿勢のまま敬輔と雄大を見上げて訊いた。
「ど、どっちなのよ」
どういう意味なのかわからなくて、敬輔と雄大はお互い顔を見合わせた。
とその時、教室の後ろの隅に置いてある掃除用具入れのロッカーが音をたてた。そのロッカーに視線が集まる。ロッカーは中でうごめく何かの存在を知らせるように、揺れて、また音を鳴らした。
緊張感が教室を満たす。
ロッカーの扉が軋む音をたてながらゆっくりと開いた。中から倒れこむように出てきた塊。それは銀色のテープで身体をぐるぐるに巻かれた甘木奈々子だった。前のめりに倒れた拍子にスカートがめくれて、白いパンツが丸見えになっていた。
甘木奈々子がいもむしのように身体をくねらせるとポケットから布状のものが出てきた。
それもパンツだった。
静寂。
と、突然教室の後ろの扉が勢いよく開いた。
乱れた髪にスーツ姿の甘木秀彦がよろよろと教室に入ってきた。
そして銀色のテープで身動きが取れない甘木奈々子の近くまで来ると、膝からその場にくずおれた。
「やった」甘木秀彦の声は震えている。
両膝をつき、手で顔を覆い、甘木秀彦は声を押し殺して泣いている。
「やった。やったぞ。ついにやったんだ」
甘木秀彦は喜びを噛みしめるようにそう言うと、鋭い視線を教室の窓の外に向けた。
「奇跡を、起こすんだ」
甘木秀彦はそう言うとテープで拘束された奈々子を大切そうに抱き上げた。
「まだ間に合うぞ」
甘木秀彦は離ればなれになっていた我が子に再会したかのように、拘束された奈々子を抱きしめた。そして、奈々子を抱きかかえたまま、今にも踊り出しそうな軽い足取りで教室を出て行った。
甘木秀彦が残した鼻歌だけが静かに空気を震わせている。
その光景を教室にいるすべての人が呆然と見送った。先程まで涙を浮かべていた上戸美姫までもが目を白黒させていた。
担任は教室を見回し、最後に甘木秀彦が出ていった後ろのドアを見据えた。
「いったい、なにがあったんだ?」
担任の声は静寂に包まれた教室をわずかに震わせただけだった。
同時刻。真空を切り裂きながら巨大な隕石が地球に突き進んでいた。空気を震わすこともできず、音を響かせることもできず、けれどもスピードを緩めることもせずに直進していた。
6月11日。午後2時40分。
世界中でごく少数の人間にしか知らされていない地球の終末。
隕石が落下して地球が滅亡するまで、あと20分と迫っていた。
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