真実は二股よりも多し

第1話

 感情共有システム(emotion share system)が開発されたのは今から20年前だ。僕はそのシステムが世界に発表された当時はまだこの世に生を受けていなかったので詳しくはわからないが、当時の衝撃は相当なものであったらしい。

 他人が抱いた感情を共有できる。

その画期的な発明は世界を震撼させた。発売当初はそのアプリケーションソフトウェアとヘッドエモーションがセットで200万という高額だったのに関わらず、多くの人が購入した。発売一年間で販売台数1000万台。これは驚異的な数字だった。

 後にコミュニケーション革命と呼ばれるようになったこの年、人類の他者との関わり方は確実に変化した。

 発売当初は法律の整備も進んでいなく、人体に、特に脳にどんな影響が出るのか調査も間に合わず、ある意味で無法地帯の期間があった。それから発明会社の悪用しなければ人体に悪影響はないという報告や、それに反対する研究機関や識者と呼ばれる人が現れて、ニュースやドキュメンタリーでもこの新しいコミュニケーションツールをどう扱えばいいのか語り合われた。

 けれども危険性よりも有用性のが高いと考える人は多く、徐々に、けれど着実にこのシステムは社会に浸透していった。

 就職の面接や介護、教育などで使用する団体も出始め、毛嫌いする人はいる中でも、その存在を無視し続けることはもはやできなくなっていた。

 20年後の現在は価格も3万円程度になり、高校生になればほとんど自分用のヘッドエモーションを持っているし、持ってない子でも家には必ず一台ある。それに高校では必修科目として感情共有システムを使った授業が組み込まれているので、たいていの子が慣れた手つきで扱うことができた。

 慣れているというより、もう生活の一部分となっていた。

 だから僕が雨宮光奈に出会い、さよならを告げたあとにすぐにしたことは自分の感情を保存することだ。毎日ではないにせよ何かが起こった時には感情を保存して日付とコメントを載せておく。

 そうしておくとふとした時に過去の感情を振り返ることができる。ちなみに僕が雨宮に感じた感情の区分は『戸惑い』だった。きっと突然のことに色々と戸惑っていたのだろう。

 そして雨宮はESP部に入部したいと言っていた。それなら顧問に入部届と出せばいいよと伝えたら彼女はすぐにそれを実行した。

「尾道陽介。彼がこの部の部長だ」

 5月末の金曜日の放課後。

今日の部活で使う資料を整理していたら顧問に職員室に呼び出され、そこに雨宮光奈がいた。

「雨宮光奈。今日から入部することになった子だ」

 銀縁めがねをかけた痩せ形の顧問はそう言って僕らをそれぞれ紹介した。

「よろしくお願いします」

 雨宮はそう言って頭を下げた。さらさらと髪が流れる。

「こちらこそお願いします」

 慌てて僕も頭を下げる。

「まさか部長さんだったとはね」

 職員室を出て部室である情報処理室に向かっている時に、雨宮はそう言って笑った。よく笑う子だ。

 廊下を歩いていて気づいたのはすれ違う生徒の視線が彼女に集まることだ。手品のように視線が彼女の綺麗な容姿に引き寄せられていく。それは男子生徒も女子生徒も。

 そういえば同じ学年にかなり可愛い子がいるという噂が回ってきたが、たぶん彼女のことだったのだろう。僕たちの高校では手に余るほど整った容姿の持ち主だ。

 僕、尾道陽介と雨宮光奈が通う県立高校は都心から離れた山の中腹にある。卒業後の進路は半分が就職で半分が進学。どちらもほどほどの成果を残しているらしく、受験での人気は高い。

 古い鉄筋コンクリートの校舎。老朽化が目立ち始め、3年後に改築工事をすることが決定している。

「部長だから部活がないときもああやって色々と準備してたの?」

 並んで歩きながら雨宮が質問を投げかけてくる。

「部長だからと言うよりも好きだからかな。去年も立候補してやってたし」

「へーそうなんだ」雨宮が感心するように言った。

 少し逡巡したあと、僕は気になっていたことを雨宮に訊ねる。

「なんでこんな時期に入部しようと思ったの?」

 5月の末。

高校二年生というただでさえ中途半端な学年の、しかも5月というこれまた微妙な時期に部活動を始めようとする生徒は少ない。

 個人的なことだっただろうかと表情を窺うが、雨宮は気にしていないように嬉しそうに微笑む。

「それは今になって興味が出てきたからだよ」

 なるほどと納得する。

「それは何かきっかけがあって?」

「うーん」雨宮は小首を傾げる。「まあ、色々とね」

 はぐらかされてしまった。

 まだ知り合ったばかりなのに、つい色々知りたくなって踏み込んだ質問してしまったと僕は反省する。

 情報処理室に到着し、待っていた部員たちに雨宮を紹介する。雨宮に向ける部員たちの視線に動揺が見られる。あまり目立った活動をしていない部に、いるだけで人の目を引く雨宮が加入することは、それだけで普段とは違った空気になる。

 部員ひとりひとりも雨宮に簡単な自己紹介をした。総勢14人の小さな部だ。たいして時間はかからない。

 それから部員たちはそれぞれの作業に戻る。

 僕は二つの椅子を用意して雨宮と向かい合って座った。

「まずは僕たちESP部がどんな活動してるか知ってる?」

 雨宮は少し考える仕草をする。

「ヘッドエモーションをつかったなにかだよね?」

「まあ、その通りだね。あんまり外部と関わる活動してないから認知度は低いだろうけど」

 僕はそう言って近くの机の上にあった一冊の冊子を手に取った。

「一番大きな活動はこの部誌だね。これを9月の文化祭の時に色々な人に配る。内容は色んな調べたことや分析したもの、創作物が載ってる」

 雨宮は受け取った冊子をぺらぺらと捲る。小さく頷いて目で中の情報を読み取る。

「すごいね。QRコードをつけて感情のファイルをダウンロードできたりするんだ」

「うん。だから最初は雨宮もこの部誌を読んで、自分がこの部活でどんなことがしたいか考えてみてくれる?」僕は頭を掻いた。「けっこう個人プレイというか自主性に任せちゃう感じの部活なんだけど」

 僕は申し訳なくてそうつけ加えた。部活と言っても名ばかりで、結局はそれぞれがヘッドエモーションを使って興味あることを好き勝手しているだけだ。部員同士が協力することもあるが、週末に一回進捗状況を確認しあうだけで、あとはほぼ個人作業だ。

「去年こんなの出てたんだね。全然気づかなかった」

 雨宮のその言葉を聞いて少し落ち込む。無料頒布しているけどやはり知名度は低いようだ。

 僕の表情の変化を読み取ったのか雨宮は慌てて顔の前で手を振った。

「けど今読んでみたら面白そうだった。去年も知ってたら手にとってたよ。間違いないね」

「ありがとう」お世辞だろうとわかっても励まされると嬉しかった。「じゃあとりあえず今日はそれ読んでもらえる? 何かわからないことがあれば何でも訊いてね」

 そう言って席を立とうとした僕を雨宮の視線が止める。

「あ。えーと」彼女は少し逡巡するような表情を見せたあと、「ESP部って前の保存形式の感情ファイルも使ったりするの?」と訊ねてきた。

「あーそれは」

 今年の7月から10年以上前に保存された感情ファイルは通常のヘッドエモーションで読み込めなくなる。

 販売当初の保存形式は質が悪く、脳に与える影響も現代のものと比べて大きいという理由で国が決めて廃止することになったのだ。

 脳に異常が見られたという明確な研究データはなかったので、それに対しての反対運動も起こったが、人々の脳を守るためという大義名分がある以上廃止の流れを止めることはできなかった。

「いまは全然使ってないね。みんな新しいやつばっか使ってる」

「そっか」雨宮は少し落ち込むような気配を見せた。

「で、でも、7月まではまったく問題なく使えるからね。もしかして昔の感情ファイル持ってたりする? それなら今の保存形式に保存し直すこともできるけど」

「あー。うん。そうだね。それは知ってるんだけど」

 雨宮は言い淀んで、それ以上なにも言わなかったので僕は部で使用しているオンラインストレージのアカウントとパスワードを彼女に伝える。ボランティアで送られてきた感情がすべて保存されているが、当然僕のコメント付きのは自分用のオンラインストレージに鍵つき保存しているので僕以外の人が見ることはできない。

「一応フォルダ分けされてるから。それと部員以外の人に送ったりするのは禁止で」そう言ってから僕はつけ加える。「あと睡眠とかそういった感情は入ってないよ」

 雨宮は面白そうににやける。

「なんだ。せっかく寝ようと思ったのに」

 雨宮が空いている席に座ってパソコンを起動させる。それを見届けて僕も作業を始める。

 パソコンを立ち上げてESS(emotion share system)を起動させる。頭にヘッドエモーションを装着する。

 けど感情ファイルを開けずにじっと雨宮を観察していた。雨宮の様子が気になった。ちゃんと部活を楽しめているだろうか。今日だけで飽きてしまって来週には辞めるって言いださないだろうか。

 さっき昔の保存形式のことを言っていた。もしかして雨宮は販売初期の感情ファイルに興味があるのだろうか。

 気になって雨宮に訊こうと立ち上がろうとしたら勢いよく情報処理室の扉が開けられた。力任せに開けたような音に驚いて視線を向ける。

 視線の先には綺麗な女子生徒が仁王立ちで立っていた。僕は目を見開く。それはその女子生徒が号泣しながら大きな嗚咽を漏らしていたからだ。

「わた、わた、わたし」

 しゃくりあげて大粒の涙をこぼしている。

 女子生徒は手で顔を押さえて泣き崩れた。

 僕は慌てて立ち上がるが、どうしたらいいかわからなくてその場でうろうろしてしまう。

声をかけるべきなのだろうか。

けれど大声で泣いている女子生徒にかけるべき言葉を僕は知らない。

なら近づいて何も言わずに彼女の背中を撫でるべきなのか。

いや、僕がそんなことをしたら間違いなく変態だと思われてしまう。

なら、ハンカチでもそっと差し出すべきか。

いや、学校にハンカチを持ってくるほど僕は身だしなみがしっかりした男ではない。

 どうすればいいかさっぱりわからない。

 後ろを振り返るが部員たちも心境は同じようで、みんな呆然とした顔をしていた。と、雨宮が立ち上がって泣きじゃくる女子生徒に駆け寄った。

 優しく穏やかに雨宮は女子生徒に声をかける。雨宮のどうしたのという言葉に、助けを求めるように女子生徒は雨宮にしがみついた。

「わたし、二股されてるの!」

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