第10話 呪力

「くそ……!やられた……!」

 地面に叩きつけられた貂は痛む体を起こして、そう吐き捨てた。

 頭上を見上げると、鬼がこちらに向かって真っ逆さまに急降下していた。

「なっ……!」

 避ける暇も無かった。ズドン、という低い音を上げて、鬼が貂の体ごと地面に突っ込んだ。

「がっ……は……!」あまりにも強烈な衝撃に、悲鳴すら上げる事が出来なかった。


 土煙が舞う中、地面に空いたクレーターの中心に貂は倒れていた。その上に馬乗りになる様な形で、鬼が体を押さえつけていた。

 しかし、今の攻撃は鬼自身にもダメージがあったようで、その左腕はあらぬ方向に曲がっていた。

 

「くそ……!」

 貂はどうにか鬼の下から抜け出そうともがくも、その巨体はビクともしなかった。

「殺す……!」

 鬼は自らの体も顧みず、折れた左腕で貂に殴りかかった。

 貂はそれを翼で受け止めた。体の前で両翼を交差させて盾を作る。

 そこに続けて鬼の右拳が飛んできた。その次は左、右と交互に拳が飛んでくる。まさにタコ殴りというやつだ。


「ぐうぅ……!」貂は鬼の攻撃を受け止めるだけで精一杯だった。

 まずい……!いくら天使の肉体が丈夫とはいえ、このまま殴り続けられては体が持たなかった。

 鬼が貂の翼を掴んだ。

「な……!?」

 いつの間にか、折れていた鬼の左腕は再生して元通りの姿になっていた。

 鬼はその膂力で貂の翼の盾を無理矢理広げようとする。その口からは炎が溢れていた。


 直接、燃やすつもりか……!

 貂は必死に抵抗したがそれも虚しく、鬼の顔が目の前に迫った。

 それだけで、顔が焼ける様に熱かった。直接食らえばタダでは済まないだろう。

 鬼が鼻から大きく息を吸い込み、肺に空気を溜め込んだ。次の瞬間には口らからその灼熱の炎を吐くだろう。

「仕方ない……!」貂は心の中でそう呟くと、体の力を抜いて抵抗を辞めた。


 ごおお、と鬼が炎を吐いた。

 貂と鬼の体が一瞬で炎に包まれた。鬼は自身の体が燃えるのも御構い無しに、炎を吐き続ける。

 次の瞬間、青白い閃光が走った。

 そして、炎を吐く鬼の動きが止まった。

 貂の口から放たれた光線は、鬼の顔半分を消し飛ばした。

「お、あ……?」

 鬼は何が起きたのか理解できない様子で、よろめきながら背後に倒れた。


「光の矢だ」貂は立ち上がって言った。

 それは体内のエネルギーを一点に凝縮して放出する奥の手とも言える技だった。

「ぐっ……!」嗚咽が漏れた。

 体のあちこちが焼け爛れ、動くたびに全身に痛みが走った。

 光の矢は体内のエネルギーを放出する為、一時的に肉体の機能が低下する。運動能力はもちろん、再生能力も例外では無い。


「おおおおおおおお!」鬼が雄叫びと共に起き上がった。

 光の矢で消し飛んだ顔は既に修復されつつあった。

「殺す、殺す、殺す!」

 鬼はそう叫ぶと、自らの拳に火を吐いた。鬼の拳が炎に包まれる。

「焼けた側から瞬時に再生しているのか……。ものすごい再生能力だな」そう言った貂の顔は自然と笑みに満ちていた。「お前みたいな強い悪魔は初めてだ……!」

 正に、これこそ貂が求めていた戦いだった。


「ぐ、ぐちゃぐちゃに、してやる……!」鬼が燃え盛る拳を構えて、一歩前へ踏み出した。

「こっちも本気で行かせてもらうぞ……!」貂はそう言うと、左手に持った弓を手放した。

「転送」その一言と共に貂の手元の空間がぐにゃり、と歪んだ。「聖弓マスティステイン」

「お、おおおおおお!」

 同時に鬼の燃える拳が襲いかかった。


 しかし、その拳が貂に届く事は無かった。

 鬼の体には無数の風穴が開いていた。貂が転送した武器で鬼の体を撃ち抜いたのだ。

「すまない。コイツを使ったのは初めてだからな、加減を間違えた」

 そう言った貂の手元にはもう既に武器は無かった。

「お……あ……」鬼が地面に崩れ落ちた。


「こいつは、何だったんだ……」貂はふぅと息を吐いた。

 呪力を使いこなせる悪魔など、神話の中でしか聞いた事がない。まだ世界が今の状態になる前、千年以上昔にはそんな悪魔が大勢いて、大天使達と争いを繰り広げていたというが……。

 先ほど使用した「神器」と呼ばれる武器も、その時代に作られた代物だ。

 もう少しこの悪魔を調べたいところだが、先ほどナイフで刺された警備隊長を放っておく訳にも行かない。

 貂は傷ついた体に鞭を打って、警備隊長の元へ駆けた。


 ***


 貂が石塁をよじ上ると、何者かが警備隊長を肩に担ぎその場から去って行くのが見えた。

「待て!」貂はその人物に声をかけた。

 しかし、その人物は貂の言葉を無視して警備隊長を担いだまま走り出した。

「なっ……おい!」貂は慌てて後を追った。

 しかし、追いつくどころか徐々に距離を離されていく。

 いくら体が消耗しているとはいえ、大人一人を担いで天使より速く走れるなど常人に成せる事ではなかった。


 何者だ?まずい、このままでは逃げられてしまう。

 貂は自分の背中をチラリと見た。

 先ほど鬼に焼かれた翼は未だに再生していなかった。この状態では飛ぶ事は出来ない。

「ちっ」貂は舌打ちをすると再び視線を前方を走る人物に向けた。

 しかし、既にそこに人影は無かった。


「なに!?」貂は思わず脚を止めた。

 同時にエンジンを吹かせる音が鳴った。そして、石塁の影から一台の車が走り出した。

 その運転席には先ほどの人物の姿があった。

「車……!?」

 貂が驚いている間に、その車は猛スピードで遠ざかって行った。

「くそ……!」貂は吐き捨てる様に言った。

 いくら天使といえど、飛べない状態では車に追いつけるわけもない。


 一体何が起きている……。今のヤツはさっきの悪魔の仲間か……?

「ちっ!とにかくヤツを追わなければ……!」貂は腰の金具から喇叭を取り外すと、それを吹いた。

 ぷぁん、という音が鳴り響いた。

 これで近くにいる天使が駆けつけてくれるはずだ。


「天使様!何事ですか!」騒ぎを聞きつけた警備隊員達が石塁の上を駆けつけて来た。「そのお怪我は!?」

「私の心配は無用だ……。悪魔と戦闘があったが、ヤツは倒した」

「え!?何故悪魔が……!?」隊員達が騒めいた。

 無理も無い。貂自身、理解が追いついていないのだ。彼等は尚更訳がわからないだろう。

「詳しい事は後で話す。それよりも緊急事態だ。警備隊長が何者かに攫われた」

「隊長が……!?」

「あぁ、先ほど車でな」

「先ほど走り去った車ですか!?」隊員の男が叫んだ。「こんな所に車がいるなんて、おかしいと思ったのですが……まさか、そんな」


「すぐにでも追いたいところだが……見ての通り私は飛べない状態だ」

「分かりました!直ぐに後を追わせます!」

 隊員の男はそう答えると背後の隊員達に指示を出し、数人が急いで引き返して行った。

 男は振り返ると、困った表情で言った。

「今、数人に馬で追いかけるよう指示を出しましたが……相手が車では追いつけるかどうか……」

「あぁ、此方も応援を呼んだ。天使が着き次第、空から追うつもりだ」


「しかし、一体何者なんですか?何故隊長を?」男が訊ねた。

「わからない」貂は答えた。「ただ、車を持っているとなると自ずと数は限られてくる。違うか?」

「えぇ……確かに……」男が呟いた。「十中八九、首都に住む者かと」


 益々、四大貴族達が怪しくなって来たな。貂がそう思うっていると、

「貂さーん!」雀の声が響いた。

 見上げると、雀ともう一人、別の天使が上空からゆっくりと降りて来た。

「何があったんですか!?」貂の姿を見るなり雀が叫んだ。

「応援が来たようだ。すまないが外してくれ」

 貂は警備隊員の男にそう言うと、雀に話しかけた。


「話は後だ。とにかく車を追え」

「え!?い、いきなりなんですか!?」

「黒のセンタードアタイプのセダンだ」貂は困惑する雀に構わず続けた。「俺と同じくらいの背丈の人間が運転している。そいつが警備隊長を攫った」


「えっ!?攫ったって……。どういうことですか!?」

「説明は後だ。とにかく、その車を追え!いいな!」貂は語気を強めた。

「は、はい!」貂の気迫に押されたのか、雀はそう答えると直ぐに飛び去った。


「貂さん。いくらなんでも冷たくないですか?」雀と一緒にやって来た天使が言った。

 名はアトリ。腰まで伸びた銀色の後ろ髪を三つ編みにし、前髪で片目を隠しているのが特徴的な天使だ。

「アトリ。緊急事態だ。四の五の言ってる場合じゃない」

「それはそうですけど。もっと優しくしてあげて下さい」

「十分優しくしてるつもりだ」


「さっきだって私が到着する前に、雀ちゃんが牛鬼を倒してくれたんですよ」アトリが言った。

「何?あいつが?悪魔と戦ったのか?」

「ええ、雀ちゃんがいなかったら危ないところでした」

「どういう意味だ?」貂は訊き返した。

「人間が悪魔と戦っていたんですよ」

「なんだと!?」思わず声が大きくなった。「まさか、国境内に悪魔が現れたのか!?」


「いいえ」アトリが首を横に振った。「人間が国境の外で戦っていたんです」

「なに?どんな命知らずだ」

 悪魔を殺す事が出来るのは天使の武器だけだ。人間がいくら頑張ったところで勝てるわけがないというのに。

「私も驚きました。しかも、牛鬼を瀕死の状態まで追い込んだようで……」

「待て」貂は話続けるアトリを制止した。「その馬鹿な人間の話はもういい。それよりもこっちだ」


「分かりました。車を探せばいいんですね?」アトリが言った。「でも、私達の掟に反するのでは?」

「連れ去った人物がただの人間ならばな……」貂は呟いた。

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