第9話 敵襲

「悪魔の姿は一切見ていないんだな?」貂は南西の国境警備隊長を務める男にそう訊ねた。

「はい、その日でしたら一匹も見ておりません」男はそう言って首を横に振った。

「そうか……」

 連日、各地の国境を回って情報を集めているが、今のところこれといったものは得られていなかった。


「結界を調べさせてくれ」貂は警備隊長に言った。

「えぇ、どうぞ」

 貂は国境線に沿って建てられた石塁の上を歩き出した。

 リメスと呼ばれる高さ約二メートルほどの石の防塁は悪魔に対する防御力はほぼ無いに等しかった。神州南西部には悪魔が現れる事は殆ど無く、北の国境にあるような高い石壁の長城は必要無いからだ。


 貂の前方に少し高い建物が見えた。

 石塁の間に等間隔に並んだその建物は物見櫓として使用されている他、悪魔を感知する結界の役目を果たしていた。


 貂は翼を広げ、物見櫓の屋根に飛び乗った。

 そこには、しめ縄を張った小さな鳥居があった。

 貂が鳥居に手をかざすと、鳥居が胎動するかの様にドクンと揺れ、その振動が空気中を波の様に伝わって行った。

 少し経って、今度は複数の方向から波が帰ってきた。波を受け取った別の鳥居が共鳴して、新たな波を発したのだ。

 波はそのまま貂の体を伝わり、貂の脳裏に周囲にいる生物の位置、姿を伝えた。


 人間が複数人、それ以下の生物が多数。そして、天使が一人、これは雀の反応だ。

 どうやら結界は正常に作動している様だった。


「わ!」雀が声を上げた。

 雀の脳にも情報が伝わった様だ。雀はそれが未だに慣れない様で、毎度驚いた声を上げていた。

 そんな雀を無視して、貂は言った。

「結界に異常はないみたいだな……」

「これで国境は全て確認しましたよね?」雀が訊ねた。

「あぁ」

 やはり、単純に国境を越えてきた訳では無いみたいだな。

 ラミエルから既に国境に異常は無いと言われていたが、貂は自分の目でもう一度確認しておきたかった。しかし、結果は同じく異常無しだった。


「一旦、内地に戻るぞ」

 貂がそう言ったのと同時に、喇叭の音が響いた。

 それは悪魔の接近を告げる音だった。

「西北の壁からか、悪魔が接近しているな」貂は雀に向かって言った。「丁度良い、行ってこい」

「いぇ!?」雀が驚いた声を上げた。「い、行けって?」

「別に戦えとは言ってない。本来我々の管轄では無いんだ。他の天使が直ぐに向かうだろう。お前はそれを見学してれば良い」


「貂さんはどうするんですか?」雀が訊ねた。

「俺はもう少し調べた後で向かう」

「……わかりました」雀はそう言って飛び去った。


「さて……」雀の姿が見えなくなった後で貂は呟いた。

 これからどうするべきだろうか。誰がが意図的に悪魔を引き入れたとして、そんな事が出来る人間が果たして何人いるのだろうか。

 自ずと数は絞られてくるはずだ。悪魔や天使、結界などに精通しているとなると、やはり怪しいのは四大貴族だろう。

 しかし、彼らの影響力は大きい、下手に問い詰めれば要らぬ波紋を呼ぶ事になるだろう。


 貂が思考を巡らせていると、警備隊長の男が近寄ってきた。

「天使様!」

 その後を男が一人ふらふらとした足取りで付いて来ていた。

「なんだ」貂は警備隊長に声をかけた。

「すいません。この男がどうしても一目、天使様に会いたいと申すもので……」警備隊長はが背後の男に目を配った。


 男は全身をボロ切れの様な布で覆っていた。目は落ち込み、頬はやつれ、見るからに具合が悪そうだった。

 貧民だろうか、何か施しを期待しているのかもしれない。

 男が虚ろな目で貂を見つめた。

「………したな」男がボソボソとした声を出した。

「何だ?」貂は男に訊き返した。

「おい、天使様の前なんだ。もっとしっかり話せ」警備隊長が発破をかけた。


「穂乃果を……殺したな……」先程よりはっきりとした声で男が言った。

「何?殺しただと?この私が?」

「おい、お前!天使様に何言ってるんだ!?」警備隊長が叫んだ。

 またこの手の輩か、と貂は辟易とした。

 恐らく殺したとは魂送りの事を言ってるのだろうが……。


「いいか、魂送りは殺人ではない。魂の救済……」

「違う!」貂の言葉を遮るように男が叫んだ。

「おい!」

 警備隊長が男に掴みかかろうとして、動きを止めた。

「痛……」そう呟いた警備隊長の腹部にはナイフが刺さっていた。「あ、お、お前……!?」

 男が警備隊長を刺したのだ。

「穂乃果を殺した天使……お前を……殺す……」

 男は懐から小さな鉄製の瓶を取り出した。

 そして、男は瓶の蓋を外し、中に入った液体を飲み込んだ。


 次の瞬間、男の体が膨れ上がった。

 衣服が破け、筋肉が肥大化した肉体が露わになる。同時に、男の歯と爪が抜け落ち、代わりに獣の様な鋭い牙と爪が一瞬で生えた。

 男の血走った瞳は、瞳孔が開き、虹彩が青く光っていた。

 そこに先程の男の面影は一切無かった。

 その姿はまるで、鬼の様だった。


「これは……どういう事だ……!?」貂は驚きを隠せなかった。

 先程の探知では周囲に悪魔の反応は無かった。いや、それもそのはずだ。この男は目の前で今、悪魔に成ったのだから。


「穂乃果……の……仇……!」鬼が喋った。

「まさか……あの時の悪魔のことか!?」貂の脳裏に蟷螂の様な腕を持った悪魔が浮かんだ。

「そ、そ、そうだ……お、お前が……殺し、た」

「そんな馬鹿な……!」貂は心の中で叫んだ。

 悪魔が仲間の死を悼むなど聞いた事がない。そもそも、仲間意識があるのかどうかさえ分からなかった。

「おおおおおお!」雄叫びと共に鬼が貂に向かって拳を振り下ろした。

 貂は咄嗟に、それを後ろに跳んで躱した。


 鬼の拳が地面に突き刺さり、大地が抉れた。

 まともに食らえばタダでは済まないだろう。

 すかさず、鬼が距離を詰めてきた。

 貂は弓矢を構えると、こちらに向かってくる鬼に矢を放った。心臓目掛けて飛んだ矢を鬼は左腕を前に出して受け止めた。

 貂の矢は並大抵の悪魔なら、そのまま貫く事ができる筈だが、矢は鬼の腕を貫く事なく止まった。


「ちっ」貂は舌打ちをすると腰の矢筒から新たな矢を三本取った。

 鬼が今度はその鋭い爪で貂を切り裂こうと、腕を振った。

 貂は鬼の攻撃を、後ろに跳んで躱すと今度は同時に三本の矢を放った。

 矢は全て鬼の胴に突き刺さった。

 しかし、先ほど同様あまり効果は無い様だ。

「殺す……殺す……殺す」鬼はぶつぶつと呟きながら貂を睨み付けた。


 硬い。この距離の矢で致命傷を与えられないとなると、もっと接近するしか無い。しかし、蟷螂の悪魔同様、あの攻撃力は侮れない。やはり、ここは距離を取って少しずつ削るのがベストだろう。

 貂が距離を取ろうと翼を広げた瞬間、貂の視界が炎に包まれた。

「なっ!?」貂は咄嗟に飛び上がり、炎を躱した。


 何が起きた!?鬼が大きく息を吸ったと思った次の瞬間、その口から炎を吐き出した。

 火を吐く悪魔など貂は今まで見たことが無かった。

「まさか、呪力を使いこなせるのか……!?」貂は上空から眼下の鬼を見つめた。

「に、にげ、逃げるな」鬼は自身の体を抱く様に背中を丸めると、悲鳴に似た叫び声を上げた。「あ、ああああああああああ!」

「なんだ!?」


 すると、鬼の背中が膨らみ、弾けた。鬼の血が溢れ、中から鳥の様な翼が現れた。

 次の瞬間、鬼が飛び上がった。

 そして、一瞬で距離を詰めると貂の脚を掴んだ。

「しまった!」

 目の前で起きる現象に理解が追いつかず、反応が遅れた。

「おおおおおお」鬼は雄叫びを上げながら、その膂力で貂を地面に叩きつける様に投げた。

 勢い良く投げられた貂は、そのまま地面にぶつかり土煙が上がった。

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