第8話 調査

 貂は浅い眠りから、目を覚ました。

 いくら天使が丈夫な存在とはいえ、休息は必要だ。

 貂はベッドから起き上がると、殺風景な部屋の壁に手を当てた。

 すると、壁の中からクローゼットが現れた。

 クローゼットには同じ衣服が並んでおり、貂はその中の一つを手に取り、袖を通した。

 装飾の施された白を基調とした上着とズボン、そして黒いブーツ。

 それは天使の正装だった。


 続いて貂は別の壁に手を当てた。

 今度は壁の中から、銀の弓と矢が出てきた。

 貂は弓と矢を手に取ると、軽く弦を引っ張り、弓の調子を確かめた。そして、矢を一本弓に番うと、反対側の壁に取り付けた的目掛けて矢を放った。

 放たれた矢は的の中心に当たった。


 どうやら、弓の腕前は落ちてはいない様だ。貂は胸を撫で下ろした。

 これが貂の毎朝のルーティーンだった。

 しかし、首都に戻ってからと言うもの、まともに戦闘をしていない為、腕が落ちているのでは無いかと少し不安だった。

 気を取り直して、装備を整えると貂は自室から出た。


「おはようございます」

 自室を出た所で雀が声を掛けてきた。

「……おはよう。早いな」悪い事ではないが少々鬱陶しいな、と貂は思った。

「今日は何処に行くんですか?」そんな事はつゆ知らず雀が訊ねた。

「今日は南西の国境まで行く」

「また調査ですか?」

「あぁ」


 貂は連日、先日戦った悪魔が何処から来たのか調べていた。

 勿論、本来の使命も同時にこなしながらだ。と言っても貂の仕事は雀を見守ることだけだ。


 天使達の部屋が並ぶ廊下を進むと、開けたロビーに出た。

 ロビーの天井は吹き抜けになっており、上階と繋がっていた。その空間を利用して、ロビーの中央には螺旋を形作った巨大なオブジェクトが飾られていた。

 そのオブジェクトの脇を通りながら、貂はロビーの一角に備え付けられたテーブルに目をやった。


 そこには白銀に輝く短髪が特徴的な天使が一人、座っていた。

「イスカさん」貂はその天使に声をかけた。

「貂か、久方振りだな」イスカはテーブルに並べられた食器から顔を上げた。

「えぇ、いつの間にこちらへ戻ったんですか?」

「あぁ、ちょっとね。貂、君に話しておきたい事があって」

 そう言いながらイスカは、その灰色の瞳で貂の隣にいる雀を見つめた。

「そっちが、新人の雀くんかな」

「は、はい!雀です!初めまして!えっと……」

「イスカさんだ。俺の先輩に当たる方だ」貂は雀にそう言うと、テーブルの上に並べられた色とりどりの料理が載った皿に視線を落とした。「人間の食事……ですか?」


「あぁ、最近、食事を摂るようにしているんだ」イスカが言った。

「何故ですか?我々に食事は必要無いじゃないですか」

「そうだね。でも僕たちの体は人間とそっくりに創られている。本当に必要が無いなら、そんな機能をわざわざ付けると思うかい?」

「それは、人間に近い方が彼らを統率しやすいからでは?」貂は訊ねた。

「僕もそう思っていたんだけどね。実際、食事を摂ると、ちゃんと消化されるんだ。そして、消化しきれなかった物は排泄される。そういう風に僕たちの体は創られている」イスカはそう言ってから付け加えるように、

「まぁ、人間より分解吸収効率は何倍も良いから排泄物も殆ど出ないんだけどね」と言った。


「それが一体なんだと言うのですか?」

「美味しそうだろう?」イスカは皿に載った肉の切れ端にフォークを刺すと、貂に差し出した。

 貂にはそれが美味しそうには思えなかった。いや、正確に言えば美味しいという感覚を持ち合わせていなかった。

「美味しそうですね!」横から雀が嬉々とした声を上げた。

「食べてみるかい?」

「はい!」そう言って雀は肉の切れ端を頬張った。


 すると、雀は目を見開いて、

「お、美味しいです〜!こんな美味しいもの生まれて初めて食べました!」と言った。

「ふふ、そうだろう」イスカが嬉しそうに笑った。

 その様子に何となく腹が立った貂は雀に突っかかった。

「おい、まるで他に何か食事をした事があるみたいな言い方だな」

「あれ?そういえばそうですね」雀はキョトンとした表情を浮かべた。「なんか、食べた事があるような気がして……」


「貂、僕は最近、改めて人間を知る事は重要だと思うようになったんだ。これもその為さ」イスカはそう言うとテーブルから立ち上がった。「それはそうとして、君に話しがあったんだ」

「何でしょうか」

 イスカが歩き出した。

 貂もその後を追う。雀が更に後を追おうしたが、「雀くん食べていていいよ」イスカがそれを制した。


「神州内に悪魔が発生した。そしてそれを君が追っていると聞いて飛んできたんだ」イスカが言った。

「えぇ、そうですが……」

「君は知らないだろうけど、いや、恐らく大半の天使に知らされて無いと思うが……」イスカが慎重な口ぶりで言った。「十年前にも同様の事件が起きている」

「なっ!?本当ですか!?」

「うん。神州の北で低級の悪魔が出現して、人間が二人襲われた。襲われた二人の内、一人は悪魔としてその場で処理された」

「何故その情報が共有されていないのですか!?」


「分からない」イスカは足を止めた。「当時、対処に当たったのは偶々近くにいた僕の師匠、ヌエさんだった」

「確か数年前、上に行った方ですよね」

「そう、その事件の後直ぐにね。師匠がラミエル様への報告を怠ったとは思えないけど……」イスカが黙り込んだ。

「どうかしましたか?」

「いや……当時、師匠は言動が少しおかしかったんだ」

「おかしいとは?」貂は訊ねた。


「僕たち天使の存在意義について抗議する様な言動が見られた」

「ヌエさんはラミエル様の次に長く神州に居た方ですよね?そんな方が何故?」

「分からない。師匠は何も言ってくれなかった。ただ、師匠は最後に『ラミエル様に気をつけろ』そう僕に言い残して上に行った」

「それはどういう意味でしょうか」

 貂も先日のラミエルの様子に少し違和感を感じていた。


「すまない。それは僕にも分からない」イスカが答えた。「ただ、その事件で師匠とラミエル様の間に何かがあった事は確かだ」

「そうですか……」

「それに、師匠は上に行くことを望んでいなかった……。少なくとも僕にはそう見えた」

「天界に行く事は我々の名誉のはずでは?」


 貂の問いかけにイスカは首を横に振った。

「すまない、僕が知っているのはこれだけだ。正直、この情報が役に立つかどうか分からないが、どうしても君に伝えておきたかったんだ」

 イスカはそう言うと、テーブルへ引き返した。

 テーブルの横で雀が頭を下げているのが見えた。

「す、すいません!私つい食べ過ぎちゃって……」

「ははは、構わないよ」イスカが雀の頭を撫でた。


「イスカさん、ありがとうございました」貂は雀と戯れるイスカに声をかけた。

「うん。僕はもう北に戻るから、二人とも頑張ってくれ」イスカが言った。

「はい」貂がそう答えると雀も「はい!頑張ります!」と元気よく答えた。

「行くぞ」貂は雀にそう声をかけると、ロビーを後にした。

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