第3話 貂と雀

 てんはどんよりと曇った空を見上げてため息を吐いた。

 退屈だった。

 自分の力を発揮できる場所は此処では無い。近頃、そんな考えが頭の中から離れなかった。


「ぐおおおおお!」

 前方に建ち並ぶビルの隙間から悪魔が姿を現した。

 麒麟の様な姿をした悪魔だった。しかし、麒麟と違って、その長い首の先にあるのは人間に良く似た頭だ。

 一体何があればこんな姿になるのだろうか。貂はつくづくそう思った。


 ビルの隙間から更に二体の悪魔が飛び出して来た。一体は人間と同じような姿をしているが異様に手脚が長く、体のバランスが取れないのか、フラフラと揺れながらこちらへと歩を進めていた。

 もう一体の悪魔は他の二体と違って、空を飛んでいた。芋虫の様な身体から蝶の様な羽を生やし羽ばたく姿は、まるで進化の過程を飛び越してしまったかの様だ。


 どれも低級の悪魔だ。一瞬で終わるだろう。

 貂は腰に下げた矢筒から銀で出来た矢を三本手に取ると、左手に持った銀の弓に矢を番えた。そして弦を引き絞り、狙いを定めて、矢を離した。

 同時に放たれた三本の矢は銀の尾を引いて一直線に、それぞれの悪魔に刺さり、肉を抉るようにその体を突き抜けた。


 急所を射られた悪魔たちはバタバタと地に堕ちた。

 つまらない。もっと骨のある相手はいないのだろうか。

 そこで貂はハッと我に返った。一体自分は何を言っているんだ、と自問する。天使である以上そんな事を考えてはいけなかった。

 天使の使命は戦う事では無い、神州に暮らす人々の生活を守る事だ。そして、自分に与えられた使命を全うする事、それが天使の正しいあり方だ。


 しかし、ここ数年、何の為に己が存在しているのか分からなくなる時があった。

 このまま永遠に弱い悪魔を倒すだけなのだろうか。もっと強い相手と戦ってみたい。そんな考えが頭の隅から離れなかった。

 思考を振り払うように、貂は背中の白翼を広げて羽ばたいた。


 廃ビルの隙間を縫うように飛んだ。どうやら他に悪魔はいないようだ。


 貂がいるのは神州の北、国境から五キロほど離れた地点にある鉄の森と呼ばれる旧文明の都市である。

 かつては高層ビルが立ち並んでいたであろう都市も、今では殆どのビルが倒れ、僅かに残ったビルも長年の風化により今にも崩れ落ちそうだった。

 しかし、その入り組んだ土地が悪魔達にはお気に入りらしく、多くの悪魔がここから神州にやって来る。その為、貂はこの土地に現れる悪魔を殺す役目を担っていた。


 ここに配属されるということは戦闘能力の高さを買われている事を意味しており、貂も初めはここで悪魔達と戦う事に満足していた。しかし、そんな気持ちもこの百年の間に消え失せた。

 かといってこの神州に、ここ以上に危険な場所などありはしない。仮に異動する事になったとしても、より退屈な日々が待っているだけだ。


 唯一の希望はに行く事だ。

 長年の働きが認められた天使は、上、つまり天界へと招かれる。その後どうなるかは分からないが、それは天使にとって一番の名誉だった。


 そんな事を考えていた貂の耳に、喇叭トランペットの音が聞こえた。

「招集……?」

 その音色は貂に向けられた、首都に戻って来いという合図だった。

 まさか、遂に上に行く時が来たのだろうか。貂は逸る気持ちを抑えて翼を広げた。


 ***


「やぁ、久しぶりだね貂くん。百年ぶりくらいかな」

 貂が部屋に入ると、奥の机に座ったまま大天使ラミエルが声を掛けてきた。

 軽くウェーブのかかった美しいブロンドの髪に、彫像のように整った顔立ち。人間で言えば十代後半の少年といったところだろうか。天使は皆美しい見た目をしているが、大天使のそれは別格だった。


「ラミエル様、今日は一体どの様な用件で」貂は尋ねた。

「貂くんの実力を見込んで、新たな役目を与えようと思ってね」

 その言葉に貂は内心、遂にこの時が来た、とほくそ笑んだ。


「は!お任せください」貂はハキハキとした声で答えた。

「うん。じゃあ入っておいで」ラミエルが言った。

 すると部屋の扉がゆっくりと開いた。

「し、失礼します」

 緊張した面持ちで小柄な天使が現れた。

「ほ、本日から、天使として働く事になったすずめです。よろしくお願いします」

 腰まで伸びた赤い髪を揺らしながら、天使が言った。

 新人か、珍しいな。貂は心の中で他人事の様に呟いた。


 基本的に寿命という概念のない天使にとって、新しい人材が上から送られてくるという事は、どこかに欠員が出たという事を意味していた。つまり、誰かが悪魔に殺されたか、任期を全うして上に異動になったか、そのどちらかだ。


 何故このタイミングで新入りを呼んだのかと貂は疑問に思った。まさか、自分が上に異動する事になった、その後釜という事だろうか。

「雀ちゃん。こっちが、貂くん。今日から彼が君の教育係だよ」ラミエルが言った。

 その言葉に貂の思考が停止した。

 今、教育係と聞こえたが気のせいだろうか。

「貂さん、よろしくお願いします」

 雀の声で貂は我に返った。


「ちょ、ちょっと待ってください!」貂は思わず甲高い声を上げた。「新しい役目とは、まさかこの事ですか!?」

「そうだけど……何か問題でも?」ラミエルがキョトンとした顔を向けた。

「いえ……しかし、新人を連れて北に戻るのは危険かと……」

「あー、大丈夫、大丈夫。今日から数年は内地で働いてもらうから」

「な!?」貂は膝から崩れ落ちそうになった。


「雀ちゃんはまだ何にも知らないんだよ。だから一から僕達の仕事を教えてあげて」ラミエルはそう言いって「勿論これは貂くんの実力を認めてるから頼んでるんだよ。それに、君もたまには違う環境にいた方が良い」と付け加えた。

「……分かりました」貂はそう答えるしか無かった。


「流石貂くん。頼りにしてるよ」

「一つだけよろしいでしょうか」

「なんだい?」

「自分はいつになったら上に行く事が出来るのでしょうか」

 貂の言葉に一瞬、ラミエルの表情が曇った。

「大丈夫。神様は僕達の働きをちゃんと見てくれているよ。時が来れば君も上に行ける。だから、今は君の使命を果たす事だけを考えなさい」

「しかし、自分は北で長年悪魔を倒してきました。今更内地に戻って魂送りたまおくりをしたところで、それが評価されるとは到底思えません」


「貂くん。なんでそんなに上に行きたがるのかな?」ラミエルが尋ねた。

「なんでって、天使なら誰もが欲しがる名誉ですよ。それを目指す事に理由なんてありません」

「上は君が思ってるほど良いところじゃないかもよ」

「それは、どういう……」

 貂が言いかけた時、部屋に鐘の音が鳴り響いた。


「丁度いいタイミングだね」ラミエルが言った。

「この音って……」雀が呟く。

鐘の音はこの神州に暮らす人間が死の淵に立っている事を表す。

つまり、天使の出番というわけだ。


「貂くん、雀ちゃんに優しく教えてあげてね」ラミエルがニコリと微笑んだ。

「……わかりました」貂はラミエルにそう言うと、雀に向かって「行くぞ」と声をかけた。

「は、はい」

 そう答えた雀を連れて、貂は部屋を後にした。

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