第2話 来栖 その2

 来栖の放った銃弾は牛鬼の青か光る左眼を貫いた。

 衝突する寸前で、怯んだ牛鬼が身を捩った。

 同時に来栖も手綱を引いて馬を急旋回させた。牛鬼の体を躱す。しかし急激な旋回に耐えきれず、来栖は馬から投げ出されるように地面を転がった。


「いってぇ……!」

 落馬の衝撃で全身に痛みが走った。身に纏う装備品が肉に食い込んで余計に痛かった。ライフルも何処かへ行ってしまった。

 しかし、弱音を吐いている場合では無い。来栖は痛みを堪えて立ち上がると牛鬼を見据えた。


 牛鬼は足を止めて来栖を見ていた。左眼からは鮮血が滴り、荒い呼吸を繰り返していた。興奮しているのだろう。

「ぶおおおおおおおおお」牛鬼が雄叫びを上げた。

 そして、大きな口を開けて来栖に襲いかかった。

 来栖は突進してくる牛鬼に向かって踏み出すと、その胴体の下へ滑り込む様に牛鬼の攻撃を躱した。

 同時に腰に下げた刀を抜く。


「うおおおおおお!」来栖は叫びながら刀を頭上の牛鬼に突き刺した。鮮血が溢れて来栖の体を濡らす。

 来栖は刀を突き刺したまま、牛鬼の体の下を駆け抜け、その体を一直線に切り裂いた。

 体の下から抜け出したところで振り返ると、切り裂いた牛鬼の体からは、血に塗れた腑が飛び出していた。


 やったか?そう思った瞬間、体の側面に強い衝撃を受けて来栖は吹き飛んだ。

「うあ……!?」

 身を起こすと、牛鬼はその体から生える腕をまるで鞭の様のしならせていた。アレにやられたのだ。

「くそ、油断した……」

 立ち上がって再び刀を構えるも、打たれた脇腹が痛んだ。肋骨が折れているのかも知れない。


「上等だよ。クソ悪魔」

 来栖は笑みを浮かべると、牛鬼に向かって駆け出した。

 牛鬼の鞭の様な腕が飛んでくる。来栖は頭部目掛けて飛んできたそれを身を屈めて躱した。

 牛鬼の攻撃は続く。今度は二本、両側面から来栖の頭と足を狙う様に飛んで来た。

 その攻撃に来栖は驚きを隠せなかった。

 マジかよ、こいつ。確実にこちらの急所を狙って来やがる。

 来栖は体を捻りながら、二本の腕の隙間を通る様に地面と水平に跳んだ。

 体の上下を牛鬼の腕が掠めるように通り過ぎた。


「ぐあああ……」地面に着地した来栖の口から嗚咽が漏れた。無理に体を捻った所為で傷を負った脇腹が更に痛んだ。

 しかし、牛鬼の攻撃が止むことは無い。

 再び襲い掛かる腕を、来栖は上体を後ろに倒して躱した。そして、伸びきったその腕を一刀両断した。

 直ぐさま、別の腕が襲い来る。

 それを躱して、斬る。躱して、斬る。躱して、斬る。躱して、斬る。


 気づくと牛鬼の腕は残り一本になっていた。

 切断された腕を地につきながら、腑の飛び出た身体を支える牛鬼の姿は酷く弱って見えた。

 来栖の口から自然と笑い声が溢れた。

「ははは、何が悪魔だ。大した事ねぇな!」


 勝利を確信した来栖はトドメを刺そうと牛鬼に近づいた。

「ぶもおおおおおおお」牛鬼が雄叫びと共に最後の腕を突き出した。

 来栖はそれを躱すと、その腕に刃を振り下ろした。

 切断された腕から鮮血が吹き出す。

「トドメだ!」

 来栖は牛鬼の頭目掛けて駆け出した。

 首を斬り落としてやる。悪魔と言えど首を斬られて無事なはずがない。

 来栖は牛鬼の首に飛びかかった。


 次の瞬間、来栖の体が空中で止まった。

「あ?」来栖は一瞬、何が起きたのか分からなかった。

 腕だ。牛鬼の背中から生えた大小無数の腕が、来栖の胴体と両腕を掴んでいた。

「なんだよ、これ……」

 先程までそんな場所に腕は生えてなかった筈だ。つまり、一瞬で牛鬼の背中から無数の腕が生えたのだ。


「ぐあああああ」来栖が悲鳴を上げた。牛鬼の腕が万力のような力で体を締め上げていた。

 このまま、握りつぶされて死ぬのだろうか。そう諦めかけた時、死んだ妹の顔が浮かんだ。

 妹の分まで悪魔を倒す。その為に今日まで生きて来た。

「こんなとこで死んでたまるか……!」来栖は自分に言い聞かせる様に言った。


「あああああああ」来栖は叫び声を上げると、胴体を掴む大きな腕に思い切り噛み付いた。そして、そのまま肉を噛みちぎった。

 しかし、そんな事では牛鬼の腕はビクともしなかった。


 パンッ。乾いた発砲音が鳴った。

 向こうから誰かが馬で駆けて来るのが見えた。

「この馬鹿!」美智花だ。

 美智花は馬上で次の弾を装填すると、牛鬼に向かってライフルを構えた。

 それは無駄のない美しい動作だった。


 美智花が引き金を引いた。放たれた銃弾は正確に牛鬼の右目に命中した。

 しかし、突然視力を失ったことに驚いたのか、牛鬼が暴れ始めた。

「ぐあああああ」来栖を掴む腕にも更に力が加わり、体から骨の折れる音がした。


「くそ!」美智花が叫んだ。「これならどう!?」美智花は懐から黒い筒状の塊を取り出すと、牛鬼に向かって投げた。それは牛鬼の足下に落ちるとドンッとい激しい音と共に炸裂した。手榴弾だ。

 その衝撃で来栖の左腕の自由を奪っていた牛鬼の腕が解けた。

「ぶもおおおおお」牛鬼が雄叫びを上げ、血を撒き散らしながら更に暴れまわる。


 左腕は自由になったものの、未だに胴体と刀を持つ右腕は牛鬼の腕に掴まれたままだった。このままでは握りつぶされるのも時間の問題だ。

「美智花!」来栖は叫んだ。「手榴弾を俺に投げろ!」

「は!?何言ってんの!?そんな事したらアンタが……」

「いいから早くしろ!見殺しにする気か!?」

「くそ!」美智花は迷いを振り切る様に手榴弾の安全装置を外すと、それを来栖に向かって投げた。


 放物線を描いて飛んでくる手榴弾を、来栖は左手で掴み取った。そして、体を締め付ける牛鬼の腕に手榴弾を押し付けた。

「喰らえ」来栖の言葉と共に手榴弾が爆発した。


「あぁ!?」美智花の悲鳴が上がった。

 次の瞬間、爆煙の中から来栖は飛び出した。

 そして、右手に持った刀を牛鬼の脳天に突き刺した。

「うおおおおおおおお!」雄叫びと共に深く刺さった刀を捻り、牛鬼の頭を切り裂く様に刀を振り抜いた。

 そして間髪入れずに、再び刀を突き刺す。

 来栖は何度も何度も、繰り返し刀を牛鬼の頭に突き刺した。

「はは、はははは、ははははは」自然と笑い声が溢れていた。


 ふと気づいた時には、牛鬼は地面に這いつくばる様に倒れ、動かなくなっていた。

「あ、悪魔……」美智花の声が聞こえた。

 振り向くと、美智花はまるでおぞましい物でも見るかのような目で来栖を見ていた。

 来栖はそんな美智花に声をかけた。

「美智花!助かったぜ!ありがとな」

「助かったってアンタ、自分の状態わかってるの!?」

「んぁ?」

 言われて初めて来栖は自分の体を見た。

 左腕は前腕が吹き飛び、骨が飛び出していた。さらに体のあちこちには手榴弾の破片が突き刺さっている。

「あー……やべぇな、これは……」まるで人事の様な台詞が出た。


 同時に体の力が抜けて、来栖は地面に倒れた。

「来栖!」美智花が駆け寄る。「ちょっと、しっかりして!」

 美智花は自分の衣服を切り裂くと、来栖の左腕にキツく巻きつけた。

「ははは、美智花。悪魔を倒したぜ」

「わかったから動かないで!」


 左腕の応急処置を終えてから美智花は改めて、地面に倒れる牛鬼を見た。

「でも、まさか本当に倒すなんて……信じられない……」

「悪魔は不死身だっけ?それ、誰が言ったんだ?」来栖は勝ち誇ったように言って、牛鬼の死体に視線を移した。

 すると、一瞬牛鬼の体が動いた気がした。

「そうね。悪魔に対する恐怖から、不死身って話が伝わったのかも……」美智花はそう言いながらゆっくりと牛鬼に近づいた。

「まて、美智花!なんか、変だ!」来栖は叫んだ。

「え?」


 美智花が此方を振り向いたのと同時に、牛鬼が身を起こした。そして、大きな口を開けて背後から、美智花に襲いかかった。

 やられた。そう思った次の瞬間だった。

 白銀に輝く矢が天から降り注ぎ、牛鬼の体を貫いた。


 美智花の眼前で大きな口を開けたまま牛鬼は停止した。そして、再び倒れた。

「あ、ああっ、ああ……あ」動揺した美智花の口から言葉にならない声が溢れる。

「あの!大丈夫ですか!?」

 来栖達の頭上から女性のような柔らかい声が響いた。

「て、天使様!」美智花が甲高い声を上げた。


 頭上に目を向けると、そこには頭に光の輪を、背に白い翼を携えた天使が、赤い髪を風に靡かせ羽ばたいていた。

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