子供の頃に観た『あらいぐまラスカル』。キューっと鳴いて角砂糖を洗っちゃった場面を思い出しました。
思えば、子供時代はどんな猛獣だってかわいいのです。ライオン、トラ、ゾウ、キリン等等。
ですが、成長にしたがい、きちんとしつけをするうちに、家で飼える生き物と、そうでないものに気づくはずです。できれば、飼う前に気づいてほしいものですが。
あらいぐまをはじめとした野生動物や大型動物。崖の上に逃げたヤギに逃走したサーバルキャット。
あなたは、それらの動物を本当にしあわせにできる自信がありますか? 自己満足でかわいい時だけそばに置きたいのではありませんか? その辺を考えさせてもらえる作品でした。
受け取り手、それぞれが異なるメッセージを胸に思い描くであろう御作品から、私が受け取った印象は。
大人になるにつれすっかり忘れていた、道徳的に『善』『悪』何れに分類すればよいのか判断のつかない古い玩具。
胸の奥底に隠しておいた品を発掘されたような心地になり、今尚、感慨深く溜息をつくばかりです。
果たして、ペットを家族と呼ぶを、偽善と取るや否や。
人とペットとの関係を光に例えるメディアは多く、だからこそ、御作者様が挙げた二つの作品が伝えるメッセージについて、今一度目を向けるべきだと私は思います。
奇しくも、私の身の回りには『癒し』として『友』として『家族』として動物と暮らす方が大変多く。
ほとんどの場合、それを分かつに『死』という善悪の存在しない節目が訪れるだけ。
ですが、それと異なる幕を選択しなければならない場合。
恐らく全ての方が、愛よりも社会を取るはずで。
それが『善』なのか『悪』なのか。
きっとまた、いつまでも答えを出せない私は。
この玩具を、胸の奥底に隠したまま大人のふりを続けることと思います。
道徳の授業。必須科目。
どうぞ皆様も御作品をご覧になって、心の奥の方、隠していた何かを掘り起こしていただきたい。
ちなみに私。ラスカルが、ちゃーちゃーと鳴く生き物だったと話しては、お前は何と勘違いしているのだと笑われます。
…………ちがった?