☆第31話 ロイズとの契約
「契約だ」部屋に入って来たロイズは言った。「手を結ぼう、レイヤにミナ」
レイヤはミナを庇うように立ち上がった。
「ミナは関係ない。話ならおれとだけにしろ」
「それはだめだ。この家に来て、私の娘になった以上は、ミナにもしてもらいたいことがある」
ミナがレイヤの背後でびくりと体を震わせる。その様子を見て取って、レイヤは同じように主張した。
何度目かにロイズは折れて、「話はお前としよう、レイヤ。だが、契約に乗ってもらうのはミナも変わらない。いいな」と言った。
ミナはレイヤの背中にしがみつき、泣きそうになっていた。レイヤが場所を変えるために側を離れようとすると、妹の手に引っ張られて倒れそうになった。
ロイズはそんなミナに近づき、腰を落として話しかけた。
「怖がらなくていい、ミナ。私は君のその病気を治してあげることができる。君は今日からこのロイズ・サミーダの娘になる。父として君にいろいろとしてもらいたいことはあるが、基本的にはいつもと同じように暮らしてくれればいい。何かしたいことがあればいくらでも応援する。分かったね」
ミナは目を丸くしてロイズを見ていたが、やがてレイヤと見比べるようになった。震えが止まらなかった。
彼女の手をぎゅっと握ってやる。妹の震えに同調しそうになるのを、レイヤは意志の力で押さえつけようとした。
「よし。私は今日から君の父だ。父上と呼びなさい」
「父上……お父さん」
ミナの口から柔らかい響きが零れ落ちる。
警戒心が幾分剥がれているその声を聞いたレイヤから、「ばか、そんな風に呼ばなくていい」との言葉が思わず口をついて出た。
ロイズの口元に笑みが浮かぶ。
「呼ぶようになる。きちんと」
「ミナ。こんなやつを父さんなんて呼んでやる必要はない。やめろ」
「でも、お兄ちゃん」
ロイズが腰を上げた。
「慣れが必要だから、すぐにとは言わない。それとミナ、お兄ちゃんという呼び方はよくない。それも兄上か、お兄さまという風に改めなさい。さあ、朝食に行こうか」
朝食は昨晩と同じく豪勢だった。そもそも朝食を食べる習慣のなかった二人だが、昨夜食いそびれた分を取り返すつもりでレイヤは懸命に口に運んだし、ミナもそんな兄を見習うようにおずおずといろんなものに手を伸ばした。
朝食が終わると、レイヤだけがロイズの部屋に呼び出された。
「契約の内容は簡単だ。もらうものと、与えるものがあって成立する。私がお前たちに与えるものは、宿と食事と貴族としての称号だ。さらにミナには健康な体も与えよう」
「……で、もらうものは?」
「お前たちの体を丸々もらいうけよう。条件は二つだ。私の指示には従うこと。サミーダの名を貶めないこと」
「あんたの手下になれということか?」
「貴族というものをまだ知らないお前は考えが及ばないだろうが、先々、いろいろとしてほしいことは出てくる。お前たちはそれを逐一こなしていけばいい。なに、難しいことは要求しない」
「難しいことって」
「人を殺せ、とかな」
言ったロイズの瞳がきらりと光った。レイヤは内心ぎくりとしたが、それを悟られるのが癪だった。ロイズが声を低くして、レイヤの瞳の奥を覗き込むように言った。
「人を殺したことがあるか」
「ないよ」
「分かりやすい嘘だ」
「嘘じゃない」
「まあ、どちらでもいい。重要なのは、今までしてきたかどうかではなく、これからやれるかどうかだ」
レイヤはあれと思った。
「要求しないって、今」
「要求はしない」
ロイズはにやりと笑った。
「だが、お前がどうしようと自由だ」
「……どういうことだ」
「一つ、忘れていることがあったな」
ロイズは探るようにレイヤを見た。
何のことか分からず、そう思っている心の内を読まれそうで、レイヤは視線を逸らす。
「お前の母親の事件に関する情報」
レイヤは弾かれたように顔を上げた。
何故忘れていたのか分からない。
そもそもそのことでレイヤは挑発され、ここに連れて来られたではないか。
「レーベル卿」
ロイズはゆっくり、紡ぐようにその名を唱えた。
「クニュラ卿に、シラスナ卿。この三人が、この事件の犯人だ」
それに答えるレイヤの声が、心なしか震える。
「どうして、あんたが知っているんだよ。誰も知らないはずなのに」
「それは言わない方がいいな。この情報でお前を買っているんだから」
「それじゃあ、何でおれなんだ。何でおれに声をかけた」
「三度目だな、レイヤ。それは教えないと。この契約で、私が孤児のお前と対等に立つ気はない。恐らく、私がお前に与えるものの方が多いのだからね」
そうなのかもしれないが、そうは問屋が卸さなかった。
この契約に関してロイズと対等に立たないのはいけないと、まずいことになると、分かっていたのかもしれない。
「はっきり言えよ」
体面を保とうとして、レイヤが声を上ずらせる。
「ごまかすな。おれとミナに何をさせたいのか、今はっきりさせろ」
「なに、単純に言えば、このロイズの息子と娘になってくれればいいだけさ」
ロイズはあくまで調子を崩さずに話す。レイヤの情動を見越した上で、先手を打って話しているような感覚だ。
「貴族の子弟ならば、いろいろとやることはある。それは別に特別なことではない。例えば、どこかの私邸へ使いだとか、公の式に参列するだとか、そういうようなことだ。サミーダの名に相応しい行動をしてくれればいい」
「本当にそれだけか?」
「もちろん。ただし、さっき言った条件は忘れるな」
ロイズは真剣な顔つきになった。
「何かへまをしてこの家名に泥を塗るようだったら、私は即座にお前を切る。それさえ守れるなら、三人の男をどうしようと、レイヤ、お前の勝手だ」
レイヤは腕を組んでじっと考え込んだ。
はっきりと言わないが、ロイズはレイヤを暗殺者に仕立て上げたいのだろうか。
だがそれなら、レイヤをわざわざ養子にし、家名に傷がつく危険性を高める必要はないはずだ。
だとしたら、ロイズの意図は何だ。
息子と娘になって欲しいと言うが、ロイズはレイヤくらいの歳の子どもを持つような年齢には見えなかった。結婚だってまだしていないのかもしれない。
しかし、昨晩ここに来た時点でもうロイズの誘いを無碍にすることは不可能に思われた。
分からないことや、曖昧にされている部分はたくさんあるが、ロイズは既に手元の駒を出してきたのだ。
「もう一回言えよ。男たちの名」
ロイズは忘れる奴があるかというような呆れた顔つきだったが、もう一度ゆっくり発音してくれた。レイヤはそれを繰り返す。
「レーベル卿、クニュラ卿に、シラスナ卿」
ロイズは不敵に笑んで、立ち上がった。レイヤに手を差し出した。
「契約成立だ。同盟の握手をしよう」
レイヤは口元を歪めてその手を見たが、結局それをしっかりと握り返した。
「さあ、レイヤ・サミーダ。まずはこの家の配置を覚えてもらわないとな。お前の部屋はそこの通路を真っ直ぐに行った右手だ。ミナの部屋は二階にある。それから家庭教師もつけないと。貴族の暮らしについてよく学んでもらわなければならないからな。ミナの医者はもう呼んである。それから……」
「待てよ、ロイズ。おれとミナの部屋、何で離れているんだ。別に一緒でいい」
ロイズは失笑した。
「お前は男で、ミナは女ではないか。同じ階に設けることすらできるものか。それと私はロイズではない。お前の父上だ」
レイヤは唇を噛んでロイズを睨みつけた。
同盟は結んだが、その内容は不可解な点が多すぎる。
頭の隅でミナのことを考えた。ミナがいつも小さな声で、苦しそうに話すのはあの持病が原因だ。そしてロイズは、それを治してやると言う。
「ミナには何も話すな。ミナはおれたちの母親がどうして死んだのか知らない」
ロイズは驚いたように言った。
「話していないのか。何故だ」
「どうだっていいだろう、契約なんだから。ロイズのくそ野郎」
「また忘れているのか?」
レイヤはかっとロイズを睨んだ。口を開き、息を吐いた。
「……父上」と、嫌々加減も明らかに言い捨てた。
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