番外編『ジュリオット=ロミュルダー生存録』②

 ロイデンハーツ帝国のプレアヴィール公爵家。


 その名前は貴族に縁のないジュリオットでも、度々耳にする程度には有名な一族であった。ロイデンハーツの地方にて豪邸をひっそりと構え、周辺の農村を自領として治めている領主でもあり、その一家の功績は数えれば計り知れない。


 かつてより優秀な人材を輩出し、いつぞやには帝国の誉れ高き警備団の団長であったりとか、大南大陸にて古の国の跡地を発見した考古学者であったりとか、輝かしい功績を誇る者を何代にも渡って育ててきたという。


 そしてまた今回の依頼により診察をすることが決まった公爵令嬢というのも、話によれば彼女の家が運営する歌劇団の花形女優であり、その類い稀なる美貌で多くの観客を虜にしてきた人なのだとか。


 で、真冬の雪の中ジュリオットは馬車に乗り、森林地帯に建てているという本家に遥々やってきたのだが、


「……何の用だ」


 大扉に寄りかかった美丈夫が、鋭い視線を寄越しながら問うてくる。――訪問から初っ端、ジュリオットは崖っぷちに立たされていた。


「えっと……」


 ジュリオットは困ったように眉をひそめながら、今までの出来事を整理する。


 まず、雪が積もり過ぎているためここから先へは馬車ではいけないと御者に言われて、仕方なく極寒の森の中を1人で荷物を抱えながら歩いてきたのだ。


 それで、鬱蒼とした森には似合わぬ豪奢な領主邸を見つけて、正面玄関の大扉をノックしたのである。すると、明らかに使用人ではない男性が不機嫌そうに出てきて、『幸の薄そうな顔だな、誰だお前は』と喧嘩を売ってきたのだ。


 薄幸そうな顔をしているのは自覚こそあったが、どうしたって初対面にかける言葉ではないだろう。と、ジュリオットは目の前に立つ人物の顔面を凝視していたのだが、その造形の良さにこの世の運命の残酷さを突きつけられる。


 短く切り揃えられた、ミルクティー色にも近しい煌めく金髪。全てを見透かすような紫紺の目は切れ長で、彼の何者をも寄せ付けぬ硬い声音と相まって冷酷な印象を与える。しかし距離を感じるにも関わらず、薄桃色の唇から紡ぎ落とされる男声は酷く心を揺さぶった。


 肌は邪がなく透き通り、白雪のようで女性的な印象があるが、喉仏や長く骨張った指先、何よりも圧倒的に高い身長といった男性的要素が中和しに来て、中性的美人というイメージに落ち着く。


 世界一の絵師が描いた架空の王子様、と言われれば普通になるほどと頷いてしまうだろう貫禄があり、それこそ作り物でなければ納得し得ないほどの人外じみた美の暴力がそこに存在していた。


「ロイデンハーツ帝国病院に勤めている医療研修生のジュリオット=ロミュルダーと申します。レクサス公爵から手紙を頂いて参りました」


「……手紙を渡せ」


「はい、どうぞ」


 ジュリオットはコートの下の、紺のベスト裏ポケットに隠していた手紙を取り出して、素直に美丈夫に差し出した。


 すると美丈夫はそれを引ったくり、まず差出人のサインを確かめた後に中身を取り出して、手紙に書かれている文字をくまなく睨みつけた。その後雪雲の隙間から差し込んでくる陽光に透かしたりとやけに念入りに手紙を調べ、


「――確かに父上の筆跡だ。お前が、姉上を診察するんだな」


「……あぁ、弟さんでしたか」


 薄々予感はしていたが、噂の令嬢の兄弟だと判明してますます患者のその噂の美貌が気になり始めるジュリオット。ただ美しい美しいと噂で聞かされていた女優の親族が実際にこうも美形となれば、噂が真実味を帯び始めてくる。


 いっそ整い過ぎて後光とか差しているんじゃないだろうか、とまだ見ぬ患者に対して医療研修生にあるまじきのんきな思考を広げていれば、


「私は【ロビン=プレアヴィール】だ。……ジュリオットと言ったな、お前を今から姉上の部屋へ案内する。父上は今はいらっしゃらない。お前が到着したらすぐに姉上を診せるよう言われている」


「あ、えっ、公爵にご挨拶もなしに上がるのは……」


「諸々は全て後で構わないそうだ。悪いが、もてなしも後回しにさせてもらう」


「えぇ、それは構わないんですけど……」


 手前のにあるはずの段階を踏まずして、早速本題である令嬢とのご対面を要求されたジュリオットは、事態の圧迫感に困惑の表情で頷く。するとロビンと名乗った美丈夫は、『着いてこい』と短く伝えて身を翻した。


 その振り返るだけのアクションでさえ歌劇のトップスターのように麗しく、ジュリオットは生きる世界の違う人間と出会ってしまったのだと痛感した。





 ――ジュリオットはひとつ、勘違いをしていた。


 豪華絢爛でダイヤやルビーを満遍なく使った黄金の冠を擬人化したような、そんな印象を持つロビンと先に出会っていたが故、彼の姉である令嬢もまた眩い光を全身から放っているような女性なのだと思い込んでいた。


 しかし、ロビンに案内された先の部屋の扉を開けた時、そこに居たのは女神でも女王様でもなかった。


「――初めまして、カトラ=プレアヴィールと申します」


 天蓋つきのベッドで下半身にだけ布団をかけて、身を起こしたまま読書をしていたらしい彼女はゆったりと微笑んだ。


 その柔らかな日差しのような、そよ風に揺れる小さな花のような、雪の溶ける季節を祝福する妖精のような。落ち着きのある質素な可憐さに、室内にも関わらず春風にこめ髪を遊ばれたような感覚に陥るジュリオット。


 顔の造りはロビンと瓜二つであるのに、纏う空気感だけが彼と圧倒的に違っていた。


「ごめんなさい、きちんとお迎え出来ずに。本当はもっとちゃんとご挨拶するべきだと思うんですけど、どうにも足が上手く動かなくて……」


 カトラと名乗った女性は、身体の向きをこちらに変えて静々と謝罪を述べる。

 一方、春の幻覚に囚われていたジュリオットは慌てて我に返り、


「……いえ、お気になさらず。それで、緊急のご様子ですので今から診察を始めますが、よろしいでしょうか?」


「はい、よろしくお願い致します。えっと……お名前は」


「あ、すみません。ジュリオット=ロミュルダーと申します、ロイデンハーツ帝国病院で3年ほど研修をさせて頂いております。それで、えっと……今先ほど『足が上手く動かない』という風なお話を聞きましたが……」


 おずおずと縮こまりながら、カトラの部屋に入るジュリオット。


 当然、公爵家の屋敷だけあって一部屋の内装もこれまた豪奢だ。冗談抜きで一部屋の中にあるものだけでジュリオットの幼少期の実家が購入できそうな気がして、あまりのスケールの大きさに妬みを超えて、とうとう放心するしかない。


 が、格差を実感しているジュリオットの手前、当たり前のようにこの眩しい空間に居るカトラは不安を覗かせながら頷いて、


「えぇ、そうなんです。具体的には膝は曲げられるんですけど、そこから下の感覚があまりなくて……歩こうとしても床を踏んでいる気がしないんです。それで、気を少しでも抜くと倒れてしまって」


「足の先の感覚がない……となると、血液の循環不足による神経麻痺が妥当かとは思いますが、少々……少々、足に触れてもよろしいでしょうか?」


 若干、緊張で声が震えるジュリオット。実際カトラが言ったような症状の場合、医師が患者の足に触れることは何ら珍しいことではないわけだが、こちとら田舎出身の若造で向こうは貴族のお嬢様。


 正直カトラ本人はともかく、田舎者に厳しそうなロビン辺りがセクハラと受け取りかねないと、口に出してお願いするのを少し躊躇っていたのだが、


「え、えぇ、どうぞ」


 壁に寄りかかって腕を組みながら、無言でこちらを見守っている――もとい、監視しているロビンはジュリオットに対してお小言を言う様子はない。カトラがOKを出したら、それに従うという暗黙の了解があるのだろうか。


 しかし、それでも何らかのアクションでロビンの地雷を踏み抜きそうだな、とジュリオットは戦々恐々。


 天蓋つきのベッドの傍にしゃがみ込み、恐る恐る伸ばされたカトラの白い足をなるべく不審者感のない手つきを意識しながら受け取って、


「これは……いえ、一応断定するには早いか。あの、ちなみにお聞きしたいんですが、このような症状を自覚したのはいつ頃なんでしょうか?」


「えっと……いつ頃だったかしら?」


 助けを求めるように、ロビンの佇む方向に紫紺の視線をやるカトラ。すると、ロビンは心の底から呆れたような表情を浮かべ、


「――2ヶ月ほど前、ヘロライカ・パンデミックにつき歌劇団の公演が片っ端から延期になっていた頃だ」


 男声を最大限に活かした低く滑らかな声を使い、カトラに代わって報告する。


「うちのトレーニングルームで自主練習をしていた時が決定的だった。あの日、台詞の読み上げをされていた姉上は私の真横で突然倒れられたんだ」


「そうだわ、その後ロビンが焦って使用人を呼んだのよね。私はただ転んだだけだから大丈夫って言ったのに……」


 慎ましい胸に手を添えて、視線をどこかへと逸らしながら呟くカトラ。一方でロビンは、溜息を吐いて肩を落としながら目を瞑り、


「姉上に何かがあれば当家の大損失だと、父上から口煩く言われているだろう。仮に姉上が脳震盪でも起こしてしまえば、全ては傍に居ながら姉上を守れなかった私の責任になるんだ。もう少し、その辺りを自覚して行動してくれないか」


「まさか、私なんかがプレアヴィール家に影響を与えられるわけ……」


「――やめてくれ、姉上」


 謙遜する姉の言葉に被せるようにして、短く、鋭く、言葉を突きつけるロビン。その声は酷く冷たくて、静かな怒りに満ちていて、直接その怒気を向けられたカトラだけではなく居合わせているだけのジュリオットも揃って気圧される。


「姉上こそがこの家にとって最優先される存在、それが覆ることはないんだ。自覚がないようでは、流石の私も本気で呆れるよ。いい加減にしてくれ」


「……ごめんなさい」


 何かロビンの地雷を踏んでしまったのだと理解して、小さく身を縮こめながら頭を下げるカトラ。


 しかし、彼女も本気で自分を卑下していたからなのだろう。何故ロビンが謙遜する自分を怒っているのかまでは理解できず、それを更に汲み取られたからなのかロビンの静かな激怒が収まることはなかった。


 だが、


「……はぁ」


 追及は不毛であると感じたのだろうか。ロビンは付き合ってはいられないと言うように、即座に身を翻してカトラの部屋から出て行った。お陰で、ジュリオットとカトラが同室に取り残され、気まずい空気に苛まれるわけだが、


「……診察の、続きをしましょうか」


「……はい」


 重い空気の中、ジュリオットが提案を喉から捻り出すことにより、無理やり診察を続行したのであった。

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