第4章 冥府の番犬 編

第63話『夢を売る死刑執行人』

 ――明くる日の朝は、それはそれは酷い空模様をしていた。


 鉛色を超えてほぼ真っ黒に近い色が、見上げた天の全てを支配しており、その雨雲の上にあるのであろう太陽は下界の者を照らしてくれることはない。ただ矢じりのように鋭い雨が絶え間なく地を殴り、海を殴り、人の肌を殴っていた。


 そんな悪天候の中、ぐっしょりと濡れる人々に対し意地悪をするかのように豪風が襲いかかる。大木をも薙ぎ倒しかねないその風は、傘を差すという選択肢を人間から奪い去り、ただ無力さを嘲笑うかのように地上を走っていった。


 これほどお手本じみた大荒れの天気では当然、海辺の漁師達も早朝の船を出すことを躊躇ためらう。そして酷い天気だと嘆きながら家の中に閉じこもり、ガタガタと揺れる薄窓を挟んで遠くの海を見つめていた。


「はぁ」


 溜息を溢すのは、ロイデンハーツ帝国の海辺に住むとある漁師の男だ。日が水平線から昇ってきたので、毎朝の如く船を出そうと思った矢先に突然天気が狂い、仕方なく家に戻ってココアで一息ついていたのである。が、


「……? 誰だ、こんな日に」


 別人のように荒れ狂う愛しの海を見ているとふと、1隻の大きな船が、青黒い波に抗いながら航海をしているのが見えた。


「――いや、待て」


 漁師は窓辺の椅子を蹴飛ばすようにして立ち上がり、慌てて窓の外をよく覗き、その帆船が誰のものであるのかと確認に勤しむ。これで海を超えて『大南大陸』からやってきた海賊であれば、のんびりとココアを飲んでいる場合ではない。

 今すぐに帝都の方まで逃げて、皇帝陛下に助けを求めなければ。


 誰だ、誰だと目を凝らせば、視界に入ってきたのは『天国の番人ヘヴンズゲート』――最近、ロイデンハーツ帝国と同盟を結んだとかいう宗教組織のマークであった。


「……なんだ……」


 窓辺の漁師は安堵する。彼らならば心配はいらない。


 何故こんな日に船を出しているのかは知らないが、彼らは全くもって真っ当な人間ばかりだし、何よりこの帝国を庇護してくれる。もしや海賊なのではという心配も、飛んだ杞憂であったと漁師は笑った。


 ――宗教集団・ヘヴンズゲート。彼らは世界から諸悪の排除を目標に掲げ、この世に天国を作ると決めている。


 それを『組織から派遣された』と言って、突然家に来た女性(確かイツメという名前だった)から明かされた時には正気じゃないと思ったものだが、実際に話を聞いてみればいやはや全く、彼らがいかに正しい人間であるのかをよく知らされた。


 ――諸悪を滅し、正しい人間が住みやすい世界を作る。


 人間の行いとして何も間違ってなどいない。正しい人間が悪い人間に苦しめられる日は終わるのだ。悪い人間が金も名誉も搾取して、ふんぞり返っているような黒の時代は終わったのだ。彼らによって、終わらさせられるのだ。


 彼らこそが正しい、彼らこそが人類を導く希望の光なのであると!!


 神に遣わされた、偉大なる天使様が教えてくださったのだ。


 だから漁師は、天使達を乗せているのであろう帆船の行先を見守る。何をしようとしているのかはわからないが、きっとあれも諸悪を滅するための素晴らしき活動の1つなのだろう。今更疑う余地はなかった。


 そして粒のようになったシルエットが見えなくなると、ようやく漁師は海から視線を外した。


 ――それにしても、


「あの方向にあるのって……大西大陸か孤島くらいしか……いや、『ヴァスティハス収容監獄』に向かわれているのか……?」


 ヘヴンズゲートに魅入られた漁師であったが、天使様が、果ては唯一神(ゆいいつしん)様が、一体何をどのようにお考えなのかは未だによくわからなかった。





「――……」


 ぐわんぐわんと縦横斜め、はたまた前後にゆらり揺られる感覚に平衡感覚を失いながら、ギルはあぐらをかいて真っ正面を睨んでいた。


 体調は良好、気分は最悪といったところだろうか。しかし無理もない。彼が今置かれているのは窓のない閉鎖空間。しかもその空間にどんと用意された、ライオンを閉じ込めるような檻に入れられては誰だって気分が悪くなるだろう。


 それにここは、大嵐を突っ切り中の大型船の物置部屋らしく、めちゃくちゃに揺さぶられているのも気分が悪くなる原因の1つだ。当然あのギルなので、吐き気やめまいがしたり酔うわけではないが、それでも居心地は大層悪い。


 しかし彼を不機嫌たらしめているのは、それらのせいではなかった。まぁ多少絡んではくるが、それよりもずっと気に触るものが目の前にあった。


「きゃ〜っ、こっわい顔ですね〜! おれみたいにぃ、もっとかわい〜くスマイルしましょうよぉ、あっ、そもそもギルさんは可愛くないか〜! んふ、おれったらうっかりさんですねぇ、そういうとこもチャーミング……」


「うるっせーなさっきから!? もうちょい黙ってらんねーの!?」


 掴めぬ雲のようにふわふわ、のんびりとした口調でずーっと飽きずに煽ってくる青年に牙を剥けば、檻を挟んで向こう側に居る青年は一瞬本気で震える。が、すぐに気を取り戻すと、両手の人差し指でぷにっと自分の両頬を押して、


「嫉妬ですかぁ?」


「本気でビビった癖に続けようとすんなよアホ……」


「なぁ〜んのことだか、わかりませんねっ」


 めげずにギルの感情を逆撫でしてくる彼に、むしろ尊敬の感情を抱きつつ、ギルは額を押さえて瞑目しながら濁点付きの溜息を溢した。


 と、この通り現在精神をごりごりと消耗しているギルだが、彼は今目の前のふわふわ野郎――自称【スーパーウルトラプリティーなチャーリー君】曰く、ヴァスティハス収容監獄という場所へ移送されているらしい。


 ――完全無欠、脱出不可、とまぁ趣味の悪い四字熟語を並べれば、適当にその全貌が表せるという監獄の中の監獄・『ヴァスティハス収容監獄』。


 大西大陸の北東に位置する孤島にデカデカと構えるその監獄は、かつて滅びた国の名残りであった古城を良い感じにリニューアルして出来た、約400年間も脱獄者を出さなかったという通称『この世の彼岸』だ。極悪人ばかりが収容されているそうなのだが、この度ギルもその仲間入りを果たすらしく、


「そんでもって、お前が俺ら担当の死刑執行人とか絶対おかしいだろ……」


 そう呟けば、空色をしたふわふわの頭髪を持つ青年・チャーリーは、ギルを煽る口を止めてきょとんと首を傾げた。なんだか本人はとぼけているようだが、ギルは確かに覚えている。彼が自らを『死刑執行人である』と宣言をしたことを。


「見た目と合ってねーじゃん。なんかお前……テーマパークの従業員やってそうじゃん。金と引き換えに夢とかなんか、希望を売ってそう」


「ん〜、まぁ夢を売る仕事をしているのは間違いないですよぉ、悪を滅して正義を助く、まさに物語のヒーローそのものじゃあないですか〜?」


「ヒーローはンな宗教集団やってねェよバァカ。つか、胡散くせー宗教集団の一員が正義の象徴っつー『ヴァスティハス収容監獄』に勤めてて良いのかよ。監獄と教団の掛け持ちで仕事やってんの? ご苦労なこった」


 はっ、と渇いた笑みをわざとらしく落とすギル。しかし、


「……? いえ〜、『ヴァスティハス収容監獄』に勤めることが、おれに与えられた神様からの使命でして……あれ、知らされてません〜? ヴァスティハス収容監獄って、ヘヴンズゲートの持ち物ですよ〜?」


 ――不可解そうに丸められた檸檬色の瞳を向けられて、あぐらをかいていたギルの背中が凝固する。そして意図的に逸らしていた視線を、じりじりと恐れおののきながらチャーリーの方に向けてやると、


「は? なんて? ヴァスティハスが……」


「ヘヴンズゲートの持ち物、です」


 一字一句、全くもって違えずに答えるチャーリーの手前、口を阿呆みたいに薄く開けたまま自身の時を止めるギル。するとチャーリーが唇の隙間に指を突っ込んできたので、それを自慢のギザ歯で容赦なく噛んでやり、


「いっ……!?」


「極悪人を閉じ込める監獄を、極悪人が管理しててどーすんだよ! 何、いつからお前らのもんなの!? まさか最初っからとかじゃねーよな!?」


「し、知りませんよ、大方買収でもしたんじゃないですかね! ……おれの綺麗な指に、こんなにくっきり歯形つけるなんて……!!」


 噛まれた痛みか、それとも跡をつけられた悲しみか、檸檬色の瞳にうっすらと涙を浮かべるチャーリー。しかしギルはそれに構っているどころではなく、己の髪に五指を差し込んで掻きむしると、


「がぁーっ、くそ……アンラヴェルでもロイデンハーツでもお前ら見て、今度の行き先でもまたお前らかよ……なんで? なんでお前らが運営してるわけ?」


「そりゃ、ヘヴンズゲートは諸悪の滅殺が目的ですしぃ……極悪人を世界中から集めているヴァスティハス収容監獄は、それを掲げてるおれらにとって物凄く都合が良いじゃないですかぁ……」


「はーっ、だからって行く先行く先でお前らに絡まれるとなァ……ったく、揃いも揃って白い服ばっか着やがって、マジでだるいわ……俺なんか白嫌いになりそ」


 檻の中で頭を抱えてしばらく唸れば、噛まれた指を咥えて痛みを和らげようとしていたチャーリーがパッと唇を離し、


「……あ。まずい、そろそろ説明しとかないとぉ。じゃ、早速本題に入りましょうか!」


「……本題だぁ?」


 瞬間的な切り替えの速さに圧倒されつつ復唱すれば、チャーリーはぱちんと両手を合わせて100点満点の微笑みを浮かべ、


「はい、ギルさんの行く末と、貴方のお仲間についてのお話を! ――まず、これからスタートする監獄生活ですが、死刑までは2ヶ月あります!」


「あぁ、さっき聞いたけど……今がスコーピオンの月初だから、つまり」


「貴方の残りの人生は、新年ちょっと入ったくらいまでですねぇ。ざぁんねぇん、新年を迎えるのが監獄の中だなんて〜」


「いや、別にガキじゃねえから新年とかはどうでも良いんだけど。つーか平然と俺のこと殺そうとしてっけど、確実に見逃せない問題あるよな?」


 ――問題、というのは『神の寵愛』のことだ。


 どれだけ傷つけても回復し、原子レベルに分解してもすぐに身体を形成して舞い戻ってくる(前例がないので戻る確証はないが多分やりかねない)ギルのことを、ギロチンやら絞首やらで殺せるわけがないのだ。


 しかしチャーリーの口ぶりからして、処刑する罪人にはギルも含まれている。ならば、何をどうしてギルを殺そうとしているのか、という話になるのだが、


「あぁ、その点に関しては問題ありません。ギルさんに関しては永久に亜空間に閉じ込めておけば、実質死刑みたいなものでしょう?」


「亜空間に閉じ込める能力者なんかいんの!? なに、空間系能力の極地!?」


 『空間操作』のペレットや、影を操る能力者のイツメなど、空間系の能力を持っている奴は少し知っている。しかしあくまで空間を動かすだけであって、特定の空間を永久に持続するような能力に関しては欠片も聞いたことがなかった。


 ただでさえ空間系はその恐ろしいものばかりなのに、その極地みたいな能力がこの世に存在するとは――。


「えぇ。ヴァスティハス収容監獄ともなると、厄介な能力者ばかり集まってきますからね〜! 刃物を受け付けない能力者とか、物体を透過しちゃう能力者とか。そういうのを処刑する為に、長らく勤められてる方が居るんですよぉ」


「こっええなその能力。つか、永久にってことは能力者が死んでも効果は続くってことかよ」


「あぁ〜いえ。当然、能力者が死ねば効果は切れますよ。亜空間から罪人は吐き出され、こっちの世界に戻ってくるでしょう。ですが……」


 チャーリーは人差し指を唇に添えると、弧を描いてにんまりと笑い、


「そもそも、能力者が滅多に死なないように人体改造されてるんです。……まぁ、この辺は正直説明する意味もないので省きますけど、これで不死身の貴方にも十分な刑であること、わかったでしょう?」


「……まぁな。今の『人体改造』ってのが引っかかったけど。――でも、なんで2ヶ月も放置されんだ?」


「あぁ、それの理由は簡単で、たった2つです。1つ目は『順番』が存在するから」


「――順番、だァ?」


 凶悪ヅラを更にしかめて問い返せば、空色の髪の青年は『えぇ〜』と頷き、


「処刑には先客が居る上、先客も軒並み大罪人ですぅ。貴方がたより先に死刑の決まっている大罪人を処刑すれば当然、新聞記者が山のように押し寄せてくる……それに対応していればぁ、監獄側はその対応に追われるのは必然でしょう〜?」


 『ですから、』と一息入れると、チャーリーは自らの縦に長い体躯を使って首を飛ばすジェスチャーを交えつつ、


「1日にまとめて大罪人の首ポーン! とはいかないんですよ。疲労が倍になりますからね。例外もあって、入獄後に即処刑みたいなパターンもありますけど」


「ギロチンのことだとはおもーけど、ポーンって言うなよポーンて」


「――ぐちゃぐちゃメキメキめしゃあ! とはいかないんですよ。それで、貴方達の予定をどれだけ早めても2ヶ月の期間が出来るんです。2つ目は、ヘヴンズゲートが貴方がた『戦争屋インフェルノ』を利用するためですね」


「俺らを利用……ね。あぁ、なんとなくわかったわ」


 おおよそ、戦争屋を悪の象徴として扱い、それを断罪することで人々からの畏敬を集めて更に信者を増やそうという魂胆だろう。


 その為にも戦争屋がいかに恐ろしい存在であるのかを、今一度しっかりと民衆に認識させる時間が必要なのだ。それで2ヶ月間を当てるということか。随分と長く刷り込むつもりのようである。


「以上の理由から、今すぐには裁けないんですよぉ、残念ながら。でも安心してください、暇な時間は与えませんから。おれの慈悲により刑務作業をたっぷり予定していますので〜」


「おー、ありがたい。ありがたくって涙が出ちゃうなァ。……んで、聞くのこえーから後回しにしてたんだけどさァー」


「はい? 何でしょう〜?」


 人差し指で両頬をぷにぷにと押して柔らかさをアピールしながら、再び屈んで視線を合わせてくるチャーリー。するとギルは表情を強張らせ、しかし首筋を一掻きすることでそれをなんとなく打ち消して、一息に問うた。



「――俺の仲間って、今どこにいんの?」

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