第3章・幕間『生ける死者は幸福な夢を見るか』
全てを思い出した時、彼の心は激しく揺れていた。
それは抜け落ちていた記憶が一度に戻ってきたからか、はたまたは自分の置かれている状況を自覚したからか。その、どちらもという可能性もあった。
彼に与えられた選択は、どちらを選ぶにせよ心を捨てろという内容のものだった。
元々ないと思っていた心が痛んだのは、彼にも親愛やら友情やらを持っていたからなのだろう。
けれどその親愛と友情の半分を、今日は火にくべて燃やし切る。橙色の灼熱を浴びながら、ぱちぱちと弾ける火の音を聞きながら、自分という元々形の定かではない人格が、欠け落ちていくのを感じていた。
紫色の瞳に業火の猛る様を映して、少年は思う。――あぁ、あの日もこんな光景を見ていたと。
幼少期から自分を呪縛していた場所が燃え盛り、煙が真夜中の夜空に昇っていくのを外から眺めていた時も、こんな感じで熱に身を焼かれていた。それ以上近づいてはいけないと分かっていても、忌々しいあの地獄が朽ちていく様を見るのが楽しくて、どんどん灼熱に手を伸ばした。
――けれど、今回ばかりはそれを楽しむ余裕はなかった。
むしろ目を伏せていたい、視界に入らないどこか遠くへ行きたいとまで思った。けれどその終わりを見届けなければ不躾ではないかと、偽善の心が疼いた。
「……」
少年は死んだような眼をして、ごうごうと勢いを増していく
――しばらくそうしていると、屋敷の中からは、気絶している獣人の男が白装束によって運び出されていた。空色の髪を持つ男。フラムだ。きっと、ずっと1人で仲間の帰りを待っていたのだろう。
想定より1人足りないようだが、中にはフラムしか居ないようなので彼だけが転移陣の上に乗せられる。彼の行き先は――『ヴァスティハス収容監獄』だ。
そしてとうとう無人となった建物は、壁を焦がし、庭を焼き払い、周りの森まで焼いていく。これは近隣の住民に通報されるのも時間の問題だろうか。と、死にかけの思考で思案していれば、そこへ白装束の男が1人やってきた。
「これ以上、ここに長居は出来ない。あの獣人の男は無事確保した、撤収するぞ」
「……はい」
少年は頷いて答えるも、未だにその視線を燃え盛る屋敷から離そうとしない。
見たくないなんて考えていた癖に、今となっては少しでも多く長い間、その光景を目に焼きつけておきたかった。きっと、あの場所に帰ることは2度となく、見ることすら叶わないのだろうから。
「……おい」
白装束の男が眉を寄せる。彼がまだ迷っているのではないかと、疑っていた。
「おい、おま……ペレット!」
2度目、男がそいつの名前を呼んでやれば、その少年はようやく業火から目を離して男の方に関心を向けた。
「――今、行きます」
そう死んだように綺麗な笑みをたたえて、最後にもう1度それを見やると、黒髪の少年は先へと進む男を追いかけて歩いていく。
白い装束を風にはためかせ、燃え盛る戦争屋の拠点に背を向けながら。
*
――夢は、本気で望みさえすれば叶うと思っていた。
純白の騎士制服に身を包んだノエル=アンラヴェルは、憎々しいといった感情を込めて目の前の集団を睨みつける。
――叶えると、世界で1番大切な親友に誓ったのに。
視線を逸らして背後に意識を向けると、彼女は白亜の宮殿の中を逃げ惑う。廊下を駆け抜ける脚は速く、あの事件が起きるまでの軟禁されていた自分では、到底考えられないスピードだなとノエルは思う。
しかし、そんな自分の成長を喜べるほど穏やかな状況ではなかった。
戦争屋がこのアンラヴェルを発ってから早1ヶ月弱。今日からすれば7日前に当たるその日、まずノエルの祖父が――アンラヴェル教皇が姿を消した。
ヘヴンズゲートのテロに遭った宮殿を修復するために誰よりも悩み、誰よりも使用人のことを思っていたあの祖父が、ノエルに何も残さずに消えたのである。
そりゃあ、テロの原因であるノエルが非難されることを案じて『ノエル=アンラヴェルは死んだ』ということにして、表向きには祖父と孫という関係では振る舞わず、教皇と新人の聖騎士として関わっていたが。
まさか姿を消す時にまで、素っ気ない対応をされるとは思っていなかった。
だからノエルはその1日、祖父に対して不満を持ちながら稽古に励んでいた。
――あの日をきっかけにアンラヴェルは、新しく『女性でも騎士志望の者を受け付ける』という制度を取り入れ、ノエルは応募条件が改められたその入団試験に無事合格していたのである。
しかし女性の騎士志望というのはやはり、元々居た男性騎士のほとんどからあまりよく思われていないようだった。
それ故、ノエルにも明らかないじめこそ存在しないものの、妙に当たりが強いという自覚があった。けれどフロイデとの約束を守る為に、陰湿な嫌がらせに耐えながら、必死で剣の練習をしていたのである。
午前中は宮殿の修復作業、午後は剣の稽古。それで夜にはすっかり疲弊しきって、個人に割り当てられる小さな部屋で糸が切れたように眠るというのが日課で、その日も確かろくに風呂に入らずに眠ってしまったのだ。
そして明くる朝、眠ったことできちんと整理されたノエルの脳で思い浮かんだのは、教皇の座を狙う親族によって誘拐もしくは暗殺されたという可能性だった。
テロをきっかけに信用が下がってしまった教皇に対し、元々その座に就く者を変えろという民意は少なからずあったのだ。そういった民意を受けて、現教皇の弱った隙を突こうと躍起になる親族も少なくはなく、ノエルは祖父が国民と親族に悩まされていたことを知っていた。
けれどノエルはただの平民として入団時に登録している。そんな平民の騎士見習いが教皇の相談に乗りに私室へ出入りするのは不自然だろうと、傍目を気にしてノエルは祖父の話を聞くことが出来なかった。
だから昨日は終始後悔をしながら、浮ついた気持ちで稽古をしていた。当然、指導役からはめちゃくちゃに怒られた。そんな日が、それから5日も続いた。
――そう、教皇が不在だというのに、7日続けて稽古はいつも通り行われたのだ。
今思えばその時に、何かがおかしいと気づくべきであった。
そして更に明けて今日の朝。教皇があの『この世に現存するあの世』という破綻している噂をされるほどの完全無欠、脱獄不可の監獄『ヴァスティハス収容監獄』に連行されていたことを知った。
それで――ギロチンによる斬首刑で、処刑されていたことを知った。
そのニュースがたちまちアンラヴェルに広まった、その瞬間だった。周りの聖騎士たちが目の色を変えて、ノエルを確保しようと息を荒げたのだ。
同期で一緒に稽古に励んでいた子や、ただ純粋に優しくしてくれていた先輩なんかは困惑するばかりで、ノエルに何か手を出そうとはしていなかった。けれど指導役や、元々当たりが強かった先輩騎士が目の色を変えて追ってきた時、ノエルが聖騎士団に対して持っていた輝かしい理想像が、全て打ち砕かれた音がした。
ガラスのように打ち砕かれた理想像の欠片は、現実をノエルに見せつけてはその鋭利な先端で心を引き裂いてくる。
祖父が知らぬ間に死んでいることの悲しみや、おかしい事態に事前に気づけなかった自分への怒りなど、既にズタズタな心を大量の感情でめちゃくちゃに荒らしながら、ノエルは逃げ道のない逃走を試みた。
気づかなかった。気づけなかった。
『ノエル=アンラヴェル』は死んだことにして、本物のノエルは平民として騎士団に入っている――そのことが教皇の親族にバレて、現教皇をよく思わない聖騎士の数十名が親族の手駒となり、ノエルの捕獲計画を入念にしていたこと。
フロイデも祖父も居ないこのアンラヴェルが、あまりに濁って腐り切った夢のない世界であったこと。
何にも気づけなかった。ただ毎日のように剣を振って身体を鍛えて、自分のことで手一杯で。祖父があの時本当は、何に悩んでいたのかも気づけなかった。
悔しさと不甲斐なさと、色んな感情が押し寄せて、ノエルが噛んでいた唇はぷつりと犬歯が刺さって血が溢れる。
15年間も住んでいるというのに、未だに構造のよくわからない宮殿を走り、走り、走り抜けて、逃げて逃げて追われ続けて――そして文字通り袋小路に追い詰められて、ノエル=アンラヴェルは捕まった。
『洗脳』の力を持つ彼女がテロの元凶として『ヴァスティハス収容監獄』に投獄されるのは、その数日後のことである。
— 第3章 渇望の悪魔 編・完 —
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