第49話『紅い飴玉を微熱で溶かして』
それより少し前、ダンスホールへ走ったシャロとマオラオの2人。(明確にはシャロが走ってそれをマオラオが追いかけた。)
「おわ、すっごい……音でっっっか」
ダンスホールの扉を開けるなり漏れ出した楽隊の轟音に圧倒されながら、シャロは中へと進む。彼はジュリオットに買ってもらった紺色のワンピース型をしたドレスを纏えたのが嬉しくて、いつもの数倍くらいテンションが上がっていた。
「ちょ、おま、シャロ!! 勝手に1人で行動すんなや!!」
「あ〜、ごめんって。でもほら、凄くない?」
後を追ってきたマオラオにぽかぽか叩かれて視界を譲れば、マオラオの赤い瞳に金色の世界が眩しく映し出される。
黄金のシャンデリア、黄金の壁装飾、黄金の窓縁、黄金のカーペット刺繍……。
流石に壁や床そのものは黄金ではなかったが、正直『黄金色』と『それ以外の色たち』の割合が
ダンスホールの奥で固まっている楽隊の黒い礼服と、その楽隊の音楽に合わせて身を揺らすように踊っている男女の格好がせめてもの目の癒しか。
「けど、思ったより女の人居るんだね……人殺しが集められてるって聞いて、なんとなく男の人ばっかりだと思ってたんだケド」
「あぁ、せやなぁ……今まで女の人相手したことなかったしなぁ……ただ」
マオラオは、先日アンラヴェルの襲撃時に見た金髪のメイド少女を思い出す。
ペレットを死ぬ寸前まで追い込み、後から来たギルとマオラオの目から逃げ切って、シャロの話に対して鋭い殺意を向けていたあの少女。名前も現在の消息もどうなんだか知らないが、彼女もまた殺しの世界の人間であるはずだ。
以外と殺人に手を染めた女の人は少なくないのかもしれない、と静かにマオラオは思想した。その最中に、気づいたらシャロが目の前で口説かれており、
「おっと、そこのお嬢さん。相手が居ないのでしたら、1度わたくしと踊りませんか?」
「えっ、んえ?」
スッと突然横から手をすくわれてそちらを見れば、シャロの顔をまじまじと見ている紺色の髪をした男が居た。長い前髪を片側に寄せて、薄っぺらい、しかしどこか魅惑的な笑みを浮かべるその男。否、目が線を引くほど微笑んでいるわけではなく、極度の細目であるようだった。
「え、ウチですか? あの、誰……ですか?」
「そんな、わたくしは名前など名乗れた身分ではございません。ただ、もし呼ぶのであれば、『針屋』とお呼びください」
「針屋……針屋?」
軽薄そうな紺色男の発言に『(どんな職業だ……?)』とシャロが思案すると、同時にそれを聞いていたマオラオが何かを突発的に思い出す。
針屋。つまり針を使う仕事というわけだが、この世界では暗殺稼業の隠語として使われている。確か、毒針やら麻酔針をよく使う職業なのでこの名前がついたらしい。つまりこの糸目の男は、暗殺を
「そこの少年ではさぞや踊りにくいでしょう。僕の方が貴方をサポート出来ます」
針屋の糸目が見開かれて、ちらりと視線がマオラオの方へ向けられる。なんというか、頭の頂点辺りを見ていた。つまり――身長がないから、踊りにくいであろうと。そう遠回しに言われている。
その男の挑発に、マオラオが弾かれたように衝撃を受けてからむっとするが、それに反抗できるような言葉は見つからなかった。
身長だって針屋の方が高く、きっとシャロとは理想の身長差だろう。それに腹が立つものの実際顔だって整っているし、片目を隠していて不気味ではあるものの、社交会慣れだってあっちの方が遥かにしているだろう。
言うが早いかマオラオの完敗だ。魅力的な男として勝てるところがない。
「……」
女々しい話だが、若干泣きそうだった。トイレにこもってさめざめと泣いて、自分の不甲斐なさを呪っていたかった。しかし、
「ん〜〜いや、ウチはこっちと踊ります。なンで、お引き取りください」
シャロは針屋を挑戦的な目で見て微笑むと、エッと叫声をあげるマオラオの手を引きながらホールの中央へと飛び出した。
*
なんとなく途中からそんな期待は――彼が、あんな軽薄そうな男よりも自分を選んでくれるんじゃないか、という期待、いやほぼ祈りはしていたが、まさか本当にそんなことをされると流石に黙るわけにもいかず、
「え? いや、ちょお待って!? オレ踊りとかなんも知らんのやけど!?」
そう人目を忍ばず声をあげるが、さながら気分は少女漫画の主人公。マオラオの中の乙女心がきゅっと悲鳴をあげるのを感じながらも、やはり今自分に求められているハードルの高さについ握られた手が震える。
だが踊りの輪の中に突っ込んでいくシャロは、聞く耳を持つことはない。ただむっと頬を膨らせたまま、丁度良い位置を見つけると足を減速させて、
「なんかね――腹が立ったんだよ」
「……ゔぇ?」
「なんとなーくだけど、知らない人にマオが馬鹿にされるの、腹立ったから……。ごめん、勢いで出てきちゃった……たしかに身長は小さいんだけどさ……なんならウチよりも5cm低いんだよね」
「最後の言葉を言われんかったらオレ、結構ときめいてたんやけど……オレの乙女心返してや……」
乙女心はどうか優しく扱って欲しいものだ。と、マオラオが顔を両手で覆って俯くと、シャロは一言『やだ』と返して楽隊の居る方を睨みつける。
「とにかく啖呵切った手前帰るわけには行かないし、次に来る曲が何か次第で、シャロちゃんが踊れるかどうかが分かれるな……」
「え、待ってシャロ踊れるん? いや、え、どっち踊るんやお前」
「もちろん女の子ポジ……って行きたいんだけど、初見のマオに男の人やらせるのきついだろうから、シャロちゃんがそっちやるとして……最初はわかんなくてもリードするから、根性で覚えてくれれば良いよ」
「無理難題をサラッと言うなー!?」
何も知らないから女性ポジに回されるのは仕方ないとはいえ、妥協されてもなお難しいものは難しい。というかそんな社交ダンスなどというものを、何故無関係そうなシャロが知っているのかがわからない。
どっちかといえばポップなダンスの方が似合っていそうな気がするが、どこかでかじるタイミングがあったのだろうか。それとも――。
「――ッ、これか……!」
次第に演奏の曲調が変わり始め、シャロが目の色を変えた。違和感のないメドレーにされているのでマオラオにはよくわからなかったが、シャロの知っている曲に変わったらしい。
シャロは即座にマオラオの腰をグッと我が顔で抱き寄せると、空いた手で片手を奪ってゆるやかに指を絡め取った。気づけばマオラオの身は彼の手中。いつの間にか身体の自由が奪われていた。
その態勢の、なんと恥辱的なことだろう。好きな子に身体の自由を奪われているという現状を、理解すればするほど恥ずかしくなってくる。というか腰を抱くのずるくないだろうか。乙女心が湧く。無性に全身が疼いて、ぶっちゃけ何かに目覚めそうな気がしたが、ぎゅっと目を瞑ったまま首を振って雑念を振り切った。
しかしマオラオの心に休憩はない。おずおずと目を開ければ直近でシャロと目が合う。その距離の近さに両頬を赤く染めて、思わず『ひゃんっ』と気持ち悪い声をあげれば、それを気に留めずに彼は唇をマオラオの耳元に寄せた。
そして――小さな口が動き、愛しい音が囁かれる。
「マオなら、絶対出来るから。シャロちゃんを信頼して?」
「ひゃ、ひゃい」
情けなく高鳴る心臓。鼓動はさながら猪の突進音。二言で告げられたその言葉は、呪いのようにマオラオに絡みついて、この場から逃げることを許さなかった。
もう顔が合わせられなくなって、視線を若干逸らしながら、流れ出した緩やかな演奏に身を任せる。いや正直何も聞こえない。音楽に耳を傾けてる場合じゃないし、全身が焼けそうに熱くて何も見れない。
けど、シャロの気持ちだけは裏切りたくなかった。
だから必死に他のペアの〈女性役〉の足元を見ながら、自分がどうすれば良いのかを研究する。右足を半歩出したら自分も半歩。左足を1歩引けば自分も1歩。
視力が良いのと反射神経が良いおかげで、考えられる中で1番酷い醜態は晒さずに済んでいるように思える。
しかし流石にこれが初体験ではそううまく行かず、先程からシャロの細い脚とガツガツぶつかった。
その度に針屋の男の発言を思い出しては、頭が真っ白になって何も考えられなくなる。自分じゃやっぱり不釣り合いだなんて、自嘲的な考えが脳内をよぎる。けれどそれを察されたのか、
「マーオッ? ちゃんと上手くなってるから、ね? こっち見てよ、ほら」
「あぇ、あぅ……」
流石の男前ぶりに何も言うことが出来なくなって、マオラオはただ踊りながら奇声を溢す物体と化す。なんだか、自分が男であることがおかしい気がしてきた。
そうやって甘い熱に浮かされながら、しかしギリギリの理性を持ってしてステップを踏み続けるマオラオ。シャロの琥珀色の瞳と目を合わせて、彼が時折こちらに微笑むのに見惚れながら、途中からただひたすらにゆったりと身を任せていた。
痛いほどに高鳴っていた心臓の音さえ忘れるような光景。それが目の前にあるだけで、他のことはどうでも良くなってしまう。焼き尽くしそうな全身の熱はいつの間にか、飴玉を舐めて、じわじわと甘く溶かすような微熱に変わっていた。とても気持ちよくて、とろけるような心地であった。
そんなポエムじみた考えを始めてしまっているのは、恐らくもう意識が持っていない証拠だったのだろう。おかげさまで、
「……マオ? 終わったけど、どうする?」
「……え? は……ぅあ……?」
相変わらずの奇声をあげながら目を覚ますマオラオ。一曲が終わったことにも、自分とシャロが踊りをやめていたことにも気づいていなかったようだ。明るい音が鼓膜を叩いたことでようやく意識が現世に戻り、
「続ける? やめる? どっちでも良いケド、マオはどうしたい?」
「えぁ、あの……抱かれたい……」
「う〜〜〜ん、それはちょっと……無理かな」
流石の返答に口角をひくつかせながら、直立不動で顔を覆って俯いているマオラオを腕の内に入れて、『よくできました』と頭を優しく撫でるシャロ。
それから彼は遠巻きにこちらを見ていた針屋の男と目を合わせると、
「んべ」
――どうだ見たか。という意味を込めて、赤い舌をちろりと出した。
*
「……ふぅん、あれが噂の、ね。普通の女の子にしか見えないな」
針屋の男はシャロ達の踊りを見届けると、ダンスホール2階のバルコニーへ上がる。階段を
そして辿り着くと、そのバルコニーから1人でホールの様子を見下ろしていた黒髪の美女――イツメに話しかけた。
「いやあ、振られちゃったよイツメちゃぁん。ボクのこと慰めてぇん」
「――ふっ、慰めを必要とするほど傷ついてもおらん癖によう言うわ。しかし見事な振られ具合じゃったの、滑稽すぎて笑ってしもうたぞ」
からからと鳴らすようにイツメが笑うと、針屋は黒スーツで包んだ自分の身体を抱きしめて『あぁん、辛辣ぅ!』と身悶えした。
「……けど、本当にアレがリップハート家の末裔なわけ? ……裏でひそひそやってたっていう『不良品の奴隷好き公爵家』の」
「あぁ、先祖によう見た目が似ておるし、何より名前がそうじゃ。いやあ、昔は世間を騒がせたものじゃのう。……まあ、奴隷飼いが世間にバレて当時の主人が殺されてもなお、子孫が密かに続けていったそうじゃが」
遥か昔、〈150年前〉くらいの事を思い出しては懐かしむ。そしてイツメは針屋から紙の煙草を1本受け取ると、自分が咥えた煙草に点火した針屋からシガーキスで火をもらって、ふぅと紫煙を燻らせた。
「なぁ、ウヌは『人間の
「――はっ、知ってたらイツメちゃんを口説くのにも苦労しねえって。強いて言うなら頭の残念な女限定だよ。大体ぼかぁ、その辺の人間の感覚がわかりゃしないんだ。何をしたら懐いて、何をしたら嫌われるのか。ボクにはよくわからない」
「そんな気はしておったわ。それに忠告しておくが、わらわはウヌのような腐れ者に懐くつもりはないぞ。その辺の雑草に尻尾でも振っておるが良い」
「そういう辛辣なところが好きなんだよなぁ、ボク」
いくら酷い言葉をかけてもにへらと笑う針屋に、とうとう駄目になったかと観念するイツメ。真のドMは相手にしてはならない。これは良い気づきであった。
「……『奴隷とは恐怖を嫌うのではない、幸福が去るのを恐れる犬だ』と言ったのは、あのシャロ=リップハートの祖父だったか」
またはその更に祖父、またまた更に祖父だったかもしれない。代々あの家の男共は短命な上に人相が似通っていて、生きた時間の長いイツメには誰がなんだか思い出せない。だが、その言葉だけはやけに強く脳内にこびりついていた。
「苦しみに漬け込んだ奴隷はいずれ自分で死ぬ。ならば頭がおかしくなるくらいの糖分を与えれば良い。それが差し引かれる時、奴らはもっとも
と知ったような口ぶりだが、イツメはリップハート家に関する情報は昔のことしか知らない。昔こそ世界を歩いて回る時間があったが、ここ数十年は『天使』としての活動がやたらと盛んで忙しかったのだ。
だから約3年前に『戦争屋』によって、当時の奴隷飼いとその親族が根絶やしにされた、という話も知ったのが最近。まさかその末裔の子が戦争屋で育てられている、なんてことなど本当に直近知ったことであった。
「もちろん、あの子にも奴隷飼いの才能は受け継がれているじゃろう。リップハート家の者は代々、自分が絶対的な主人であり王であることを望むらしいからの」
「……気の強そうな子には見えたけど、そんなに怖い子かなぁ?」
「人となりほど信じられないものもないぞ。……さて、名誉挽回のチャンスを乞うていた【セレーネ】が、鬼気迫って自らの手によるシャロ=リップハートの抹殺を望んでいたが、あの小娘に『奴隷の王の血筋』が殺せるかどうか」
もしこれで次も失敗するようであれば、あの金髪の小娘は丸ごと自分が呑み込んでやろうか――。などと考えながらイツメは、体内に溜め込んだ紫煙を赤い唇の間からゆっくりと吐き出した。
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