第45話『廃れた青うさぎは跳ぶ』

 ――周りの全員が言葉を止め、ジュリオットから提示された話題の切り込み方に迷っていると、ミレーユだけが唇を震わせた。


「ゆう、かい……弟が、ですか?」


「えぇ。弟さんは、過去に帝都の方では1度沈静化した、今となっては貴重な流行病のウイルスを持っているわけですから。何かの研究に利用するのかもしれませんね。血清(けっせい)を作り出したり、はたまたは――」


「……あー。特定の地域にウイルスを送り込んで、再流行を狙っていたり、か?」


 ギルがちらりと眼鏡の方に視線をやると、眼鏡は視線を返さずに頷き、


「えぇ。どちらに利用するかはわからない上、誘拐されているというのも確証のない説ですが……」


 後者ならば、この契約とは別に戦争屋の本業として動くことになるだろう。どこかの国に勝手に勢力を蓄えられてはまずいし、戦争屋もといオルレアス王国の属国になるかもしれない国を、勝手に潰されては厄介だ。


「――これらが私達の得た成果の全てです、ミレーユさん。どうなされますか? あの辺境でわかることはそれなりにきちんと調べましたし、私としてはここで契約解消でも良いのですが」


「ちょっ、ジュリさん……!?」


「シャロさんの感情論で説得してもダメですよ。こちらもこれ以上無償で働くわけにはいきません。慈善が趣味なのはフラムさんであって、私は正直嫌いですから」


 シャロが立ち上がって抗議しようとするのを、予測していたとでも言いたげな表情で見つめ、淡々と意見を述べるジュリオット。元々悪かった空気が更に悪くなるのを全員肌で感じ取るが、それでも誰かが割って入ったりすることはない。


「でも、元々対価は約束してない遠征だったんじゃ……」


「いえ、元々は自分の作った治療薬がヘロライカの感染者に効くかどうかを知りたい、というのが私の動いた理由であり、検証結果こそが求めていた対価です。その肝心なる感染者が居なくなってしまった今、私が動く意味がない」


 それに時間も有限である。日が進めば今は拠点に居るフィオネも、更に次の遠征の予定をどんどん積んでくるはずだ。【世界改変】の目的を遂げる為の遠征を、同情だとか哀れみだとかで妨げるわけにはいかない。


「シャロさんもなんです? その入れ込みようは。仲間でもない人間に同情だとか、甘ったるいことを考えているわけではないでしょう?」


「……っ。そんな言い方が出来るってことは、ジュリさんは全然、欠片も同情とかしないの!? ミレーユちゃん、悪いことしてないんだよ!?」


「いえ、人間たるもの同情くらいはしますよ。けれど情けをかけるにしても、今後の事運びに波を立てない程度の情けにしてほしいものです。その点、弟さんの捜索はあまりにも不明なことが多く未知数――」


 生死が判明するまで捜索するなら、それにかかる労力は凄まじいものになるだろう。そしてその探索にシャロが協力すれば、シャロは戦争屋の仕事が出来なくなる。つまり今後の遠征に響いてくるわけだ。


「――ま、待ってください。責められるのは私であって、シャロさんじゃないはずです……! ……わかりました、この契約はここで終わりにしましょう」


「ちょ、ミレーユちゃん……!?」


 自分をかばっているシャロが責められているのが無視出来なくなったのか、熾烈な2人の口論の中へミレーユが割って入っていく。


 勇気を宿した彼女は、もはや廃人のそれではない。その青を映す瞳には、凛とした意思が顕在けんざいしていた。


「……代わりに、新しく、かつ貴方がた戦争屋に、メリットをもたらせる対価を提案します。その内容次第で、お考えを改めて頂くことは出来ますか」


「……よほどのものであれば、一考の余地はあるでしょうが。せっかくです、ぜひお聞かせください」


 ジュリオットのその余裕を含んだ口調は、ミレーユが自分を納得させる対価を払えるとは思っていなかったからである。しかし彼女を試すようにやや高圧的な期待を混ぜた視線で煽り、ミレーユの返答を待った。


 すると、彼女が息を呑んでから告げたのは――。





《「では、私は。私の能力の『形状保存シェイプ・セーヴ』を、半永久的に貴方がたに提供します。つまり、死ぬまで戦争屋側につくということです……ね……」》


 ――それが、ミレーユがジュリオットら戦争屋に対して切った、彼女が唯一持っていたのであろう切り札であった。


「『形状保存シェイプ・セーヴ』かァ……」


 彼女の説明によると『形状保存シェイプ・セーヴ』は、名前の通りモノの状態を保存する能力らしい。


 具体的には例えば、ぷるぷるのプリンにその能力をかけたとする。するとその形が維持されて、切ったり溶かしたりすることが出来なくなるらしい。かけた時の状態を保つ、というのが1番わかりやすそうだ。


 つまり紙に使用すればシュレッダーにかけても細切れにならないし、スイカに使用すれば叩いても割れないということ。


 それから更に誘惑的なのが、その物体の新鮮さなどまで時を止めておくという話である。彼女の寿命を無視すれば、1000年おきの美味しいままのカレーだって作ることが出来るのだ。


 ただし1度につき2つしか保存対象にならないということが、この能力に存在する数少ない〈デメリット〉と言えようか。


 しかしそれを補うには余りあるメリットに、右ストレートを防御しようとしていたら、突然脈絡もなく下からアッパーカットを食らったような気分であった。



「……正直、魅力的な話ではあるんですよ」



 同日深夜12時前。宿屋の3階・共用ベランダに出ていたジュリオットは、同伴していたギルに対してぽつりと溢した。


 カフェテリアの入り口のように、簡単なテーブルとウッドチェアのセットが行儀良く並んでいる中、2人はあえてベランダの柵に寄りかかって、真夜中のロイデンハーツ帝国を見下ろす。


 未だに街が眩しくて、そこかしこに散りばめられた金が街の灯りを反射しまくっていた。中間域でこれなら、帝都の方はさぞギラギラしている事だろう。物理的に目が金に眩みそうである。


「外国でしか育たない癖をして、土から抜かれたら3日で効能を失う薬草とか、平気で沢山ありましたからね。それにギルさんとシャロさんとペレット君が喧嘩しまくって家内で放火して、燃えかすになった資料とか」


 遠き日のことを思い出しては溜息を溢すジュリオット。不幸中の幸いとでもいうのか、内容が頭に入っている資料がほとんどだったからまだ良いものの、半焼している自分の研究室を見た時には気が狂うかと思った。


 だがそんな事件の犯人の1人は、隣であの日を思う被害者を一瞥(いちべつ)するとハッと笑って、


「ジュリさんって女々しい男だよなー」


「……記憶力が良いと言ってくださいますか? あと、犯人が開き直ってるの腹立つんですけど。あの後1週間くらい食事が手につかなくなったのご存知ですか?」


「いや元々ジュリさん食ってねえじゃん。今も骸骨みてえな身体してんじゃん。ほっせえ腰だな、シャロより細えんじゃねえの?」


「……凄く気持ち悪いんで、私の腰をさわさわするのもやめてくれますか」


 特に悪気はなく反射的に触ってしまったのだろうが、野郎に腰を撫でられても欠片も嬉しくないのではたき落とす。元々ギルの手に力は入っていなかった為、ジュリオットの貧弱な手の力でも簡単に退かすことが出来た。


「いや迫真じゃんおもしろ。……まー、いんじゃね? ジュリさんが欲してた利益は、ミレーユ側からそれ相応のモノが提示されてるわけだし。全く、あんな良いとこで『考えさせてください』なんて逃げちまってダッセェよ〜? ジュリさん」


「今後を左右するかもしれない選択の場で軽率に決めれる、貴方達の神経を私は疑いたいのですけどね、全く……」


「つか、なぁにをそう迷ってんだジュリさんは。今回は拠点と通じてる無線機も持ってきてんだし、フィオネに聞きゃあ良いだろうが。『ミレーユとこれ以上関わったらまずいか』って」


「いいえ、先日フィオネさんには運命を視てもらったばかりです。こんな短期間で連続使用すれば、彼の身体が壊れてしまう……ですから、彼の力に頼らずに決めなければならないんです」


 そう告げたジュリオットの脳裏に浮かぶのは、拠点を立つ前に見た我らがリーダー(否、ちゃんとした肩書きは決めてないのだが)、フィオネの顔だ。


 フラムの献身的な世話と、ジュリオットの処方薬のお陰で随分マシにはなっていたものの、やはり普段より体調と寝覚めが悪く、時折凄く苦しそうにしていた。


 特殊能力は使用回数の他にも、世界に及ぼす影響の大きさで使用後の疲労度もまた変わる。その点フィオネの『世界の運命を知る力』は、ノイズ混じりでおぼろげにしか見えずとも絶大な疲労を伴うのだ。


「はぁ……。やっぱ代償がでけえな、『革命家ワールド・イズ・マイン』は。ペレットもマオラオもそうだしよぉ」


「……以前から思っていましたが、代償のない貴方の能力の方が妙なんですよ。回復が内容とはいえ、一切の身体疲労を課せられずに使用出来ているのがおかしい。貴方の知らないどこかで決済しているのでは?」


「こーわいこと言うなよなぁ〜。……って、おっと」


 ふととある方向を見やったギルは、自分のジャケットの内側を探る。そしてさも当然のように拳銃を取り出すと、遠目に見える高い建物の屋根に向けて、片手で発砲した。


 真夜中の静かな、しかし金色に眩しく輝くロイデンハーツ帝国の街並みを背景に、親の声よりも聞いた銃声が弾けて鼓膜を打つ。


 それから襲い来るしばしの静寂。ギルは銃弾を放った方向へ、目を細めて視線を集中させるが、何かが気に入らなかったらしく重い溜息を吐いた。


「はぁ〜外しちゃったわこれ。くそ、流石に拳銃でこの距離は難しいか〜」


「……何を、撃ったんです? 貴方」


 ジュリオットが鋭い視線を眼鏡の奥から寄越すと、ギルはベランダの手摺りに肩肘をついて頬杖をしながら、もう片方の手に拳銃を引っ掛けてクルクルと回し、


「んま、適当に差し向けられた殺し屋ってとこかなァ。ちょいと手強いのが気になるなァ。あっちにも居るぜ、ペレットじゃねえから人数は正確じゃねえけど、方角に間違いはねえ。多分、見たことのねえ奴らばっかだ」


「……そうですか。では、私は部屋に戻ります。長距離戦は得意ではないので。適当に殺した後に、どこの誰かだけ確認しておいてください」


「あいよー」


 早々に身を翻すジュリオットに軽く返事をすると、ギルは手摺りに手をつき身を乗り出して、金色の街へと飛び降りていった。





 宿屋3階のベランダを飛び降りると、ギルは空気抵抗を感じながら袖捲りをして、手首につけた腕時計のようなものを露わにした。


 もちろん腕時計ではない。常に時計を確認するようなタチではないし、彼がおしゃれとして身につけるような人間でもないのは当然。その腕時計のようなものの正体は、内蔵した特殊な系を射出するペレット特製のアイテムであった。


 特殊培養した蚕の柔軟な糸に、職人が能力により強固度をプラスし、腕時計型射出機の中のからくりで振動に対応して伸ばしたり巻かれたりするそれは、時に人間の滑空をも可能とする。


「うし、行くか!」


 腕を上下に振ることで射出穴から飛び出した白い糸は、ギルの意思によって遥か先100mほど遠くへ伸びて、時計塔のてっぺんにそびえ立つ針のような場所に巻きついた。


 そこから射出機の中のホビン――と形容するしかないからくりが中で高速回転し、勢いよく糸を巻き取ることでギルの身体が時計塔の方へと飛んでいく。


「さーて、何人かな〜。1、2、3」


 街の大通りの上を滑るように飛びながら、周囲の建物の屋根上で夜闇に紛れる『そいつら』の人数を確認。数を数えると同時に、数え終わった奴らの頭を撃ち抜――けなかった。


 流石にこの状況ではそう簡単に殺せないか。糸を巻き取るスピードに合わせて滑空していれば当然弾道はぶれるし、そもそも向こうが暗い色で全身を覆っている為、頭部の判断がしにくかった。


 視界下が神々し過ぎるせいで、通りから離れた高い位置は相対的に暗く見えるのも要因の1つだろう。


「くっそ、15人しか確認出来なかったな……そんで、足を狙えたのが2人か。しょっぺ。普通に戦うかァ〜。よっと」


 迫り来る時計塔の壁を両足で迎撃。着壁した衝撃で両足の骨がボロボロになるが、『神の寵愛』で何もなかったように全て治る。


 それからゆっくりと糸を巻き取って垂直に上へ歩いていくと、それを邪魔するかのように背後から銃の雨が打ち込まれた。横向きに降る雨だ。それは時計塔の石壁を叩き、ギルの背面も何度か叩き、


「ちょいちょいちょい、服破けんだろーがクソ野郎!!」


 ジャケットを貫通して腰に埋まった銃弾を、銃創を指で抉って引っこ抜きながら射線の方へ罵声を浴びせる。


「ただ、これで俺が銃弾効かねーってのはわかるだろうから、次にどう行動に出るかだな……ってか、俺を狙撃するってどーいうことだ。なに、俺のこと知らねー感じ? もしかしてシャロとかその辺のファンだった??」


 流石にそれは前準備が浅過ぎるのでないと思うが――いや、案外能力に関しては事実を捻った解釈がされているのだろうか。


 現にウェーデンの旦那も髭男もこちらを撃ってきていたし、大東大陸の外の国では『神の寵愛』の詳細が知られていないという説は立てられるだろう。


「……俺が1番有名だと思ってたんだけどなぁ……」


 時計塔の屋根まで登ってくると、今まで飛んできた場所を振り返って思案。案の定こちらに方々から射線が向いたまま、しかしギルの様子を伺っているのか一切発砲がされず静まり返っている。


「……ったく、どこの誰が仕掛けにきたん……」


 と、その瞬間、ギルは後ろから突き飛ばされた。


「……え?」


 ひっくり返る世界。頭上が地面、足元がやけに色の悪い夜空に変わり、素の驚きを露わにしつつ落下していくギル。


 反応遅れて夜天に腕を振れば、再び糸が射出されて――。


「えっ、届かねえ」


 屋根の真下から屋根上の針には糸がかけられず、それ以外特に糸が巻けそうな細くて頑丈そうなものもなくて、ただただ落下。その後無様にぐしゃあと潰れて、ギルは死んだ。そして即座に生き返る。


「なんっ……」


 平然と身体を起こして見上げるギル。すると時計塔の屋根のふちに、足をガバッと開いて不良みたいな座り方をした『ソイツ』と顔の向きが合った。


 顔は遠くてよく見えない。だが周囲の奴らの影に対する溶け込み具合に比べて、ソイツの身に纏った衣装は目立っていて、相手がどういうポーズをとっているのかはよくわかった。


「あいつ、か……」


 ギルの索敵下をものともせずに近づいて、突き飛ばせるとは相当な手練れである。死なないとはいえ警戒が必要か、と気を引き締めたその時、


「……は? ん、はぁ?」


 『ソイツ』はギルが凝視しているその前で、えいっと弾みをつけて屋根から飛び出した。当然、『ソイツ』も空気に逆らいながら落ちてくる。


「何を、あいつは……!?」


 相手のとった奇妙な行動に後退あとずされば、瞬間ソイツは。光になって、落雷のように残像を描きながら地上へ垂直に走り、


「――!!」


 地上に着いた途端。雷電が如き鮮烈な光が弾けて、中から人の形を露わにさせた。



「……え? ……なんで?」



 目を見開き、一言呟くギル。しかし大きな赤茶色のキャスケット帽を被ったソイツは、俯いたまま何も答えない。


 その静かさに反してギルの動揺は、目に見えたものである。ただし、単にソイツの使った能力に圧倒されたわけではない。ただ――古い記憶に残したそれと、酷似した光景を目にした現状に激しく動揺していたからであった。


 緑髪の彼は口をひくつかせると、口内に溜まった唾を食道へ押し流す。


「なんで……お前が、こんなとこに居るんだよ」


 返答を求める彼の問いに、ソイツから返されたのは冷たい視線。顔を上げたことで薄茶色の前髪と琥珀色の鋭い瞳がギルの視界に入り、その顔面がギルの混乱を更に掻き乱した。


「……お前、ジャックだよな。【ジャック=リップハート】だよな」


 意を決して再び、しかし今度は明確な意思を持って問いかけると、ソイツから――旧友から返されたのは、



「あ? なんでテメーが名前を知ってんだ。……あ、もしかしてジャック君のファン? そーゆーこと? いいぜぇ、サインしてあげる」



 薄っぺらくフレンドリーな、だが過去の全てを無に帰したような、知らぬ人を見る目つきであった。

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