第16話『世界で1番優しい男』
親しげに挨拶をして、笑みを浮かべる男・フロイデ。彼は全てを許しそうな、優しい眼差しをしていたが、ギル達が彼に下した評価は良いものではなかった。
こいつは『正しい』が、清らかではない。自分を偽ることに慣れているようで、一見わかりにくいが悪人だ。いや、悪性の聖人と言った方が正しいかもしれない。
腰から下げられた、神々しいまでの精巧なデザインをした細身の剣。彼は自身を聖騎士団長と言ったが、その剣で一体どれだけの人間を殺してきたのだろうか。
今でこそ、その剣はささやかな牽制程度の役割しか任されておらず、まだ手をかけられていないが、それが引き抜かれてこちらを斬る可能性は
いつでも咄嗟に対応できるよう、ギルがフロイデの挙動に気を払っていると、フロイデは首を小さく傾げて尋ねた。
「あぁ、しかしまさか、こんなところで再会するとはね。そのような格好をして、一体ここで何をするつもりだったのかな?」
「……」
当然神子を拐いに来たとは言えず、ギルとマオラオはつい押し黙る。と、青年は2人の後ろめたげな表情に気付いたようで、こちらへゆっくり歩み寄り、
「たまたまここを通りがかって見れば、見慣れない男がうちの制服を着ていて本当にびっくりしたよ。あまりにも堂々としていたから、最初は新しく雇われた正規の使用人なのかと思ったけど……やっぱり、そういうことで良いんだよね」
「い、いや、実は正規の雇われかもしんねー、ぜ?」
「それならそれで
そう言って、両手にまばゆい光を生み出すフロイデ。
もしここでギルとマオラオが反抗するようなら、あのとき酒場で使った特殊能力――
それを見るや、2人は頬をひくつかせながら顔を見合わせた。
「どうする? 戦うか? どっちにしても詰みだが」
「いや、いま逃げてもシャロ達の邪魔になってまう。大人しく捕まった方がええかもしれへん」
「そうか? 捕まった方が手間じゃねェ? 牢屋自体は何度か入って慣れてっからフツーに脱出できんだろーけど、監視の目があったらそうもいかねーし。2人も減るとアイツらの仕事が増えるわけで……あー、殺傷オッケーになんねぇかなァ!」
ギルは隠したナイフに手を伸ばしたい気持ちになりつつ、打開策を生み出そうと考えを巡らせる。
今回の任務では、アンラヴェル神聖国との同盟を最終目標においているので、アンラヴェル宮殿の関係者に対する殺傷が禁止されているのだ。
だから暴力以外の方法でこの状況をどうにかしなければならないのだが、いかんせん暴力で解決した過去が多すぎて何も思いつかない。
逃げても捕まっても任務に多大な影響が出る。これが落ち着いて熟考できたら良かったのだが、聖騎士団長に迫られている今選ぶのは中々難しい2択であった。
と、
「停滞は反抗の意思があるとみなす。多少、痛い思いをしないとわからないか」
片手の光を握り消し、剣を抜き放ったフロイデが突進。風のようなその速さが、ギルに冷静に考える余裕を与えなかった。ギルは両腕をぶんと振って、メイド服の袖から薄いナイフを取り出し、フロイデの攻撃を迎え撃とうとする。
「させない」
対するフロイデは、片手に灯した白い光を、ギルに向かって放った。ギルはその光の弾丸を片手で受け払うと、何事もなかったかのように走り出そうとして、
「は?」
じゃらり、と鎖が揺れるような音と、何かに強く引き止められる感覚を覚えて、ギルは自分の片手を見た。――その手は、光の弾丸を受けた時に生まれた、手錠のようなものが長い鎖で回廊の柱と繋がっていた。
「え?」
そして余所見をしたのと、鎖の伸びる範囲外にまで走ろうとした結果、ギルの身体は大きく前につんのめって顔からダイレクトに転ぶ。
予想外のことで咄嗟に反応できなくとも、地面は雪で覆われていたので、幸い顔面をぶつけた痛みは感じなかったのだが、
「くそっ、なんだコレ」
柱から遠のこうとすれば鉄の鎖がピンと張り、逃げることが許されない。
ギルは舌打ちを1つ。それから何を思ったのか、彼は手錠に捕らえられた手を――もう片方の手が握るナイフで、すっぱりと切り落とした。
切り口から血が噴き出し、辺りに散らばって雪を赤く染める。骨の隙間の多いところを選んで掻っ切った為、上手い具合に断ち切ることが出来た。おかげでピンク色の肉の断面が、鮮やかな切り口によって覗いている。
「なにを……!」
突然の自傷行為には流石に動揺したのか、深い緑色の目を見開くフロイデ。
ポーカーフェイスぶった表情が壊れて良い気味である。片手を落としたギルは、そのグロテスクな自分の様には動じず、ニヤリと唇で弧を描いた。
直後、傷口の肉がぐにぐに動いて、元々あった手と同じように形を作り始めた。
手首から順に、手の甲が、指の付け根が、指の先が形成されたのを確かめると、ギルは手と一緒に雪の上に落ちたナイフを拾い上げる。
「何してんねんホンマに、なんでナイフなんか出したん!?」
心底理解できないものを目にしたかのような声音で非難するのは、ギルの後ろでこの一瞬のやりとりを全て見ていたマオラオだ。
「殺傷禁止って言われたやんな!?」
「悪ィ、癖で反撃しようとしちまった」
「もう! ホンマに! アホ! オレもう知らん、もう逃げるからぁ!」
泣きそうな顔をして、その場から走り去るマオラオ。
それを目で追ったフロイデが、その身柄を捕らえようと手に光を生み出したが、発射できる状態になった頃にはもうマオラオの姿は消えていた。速い。
ここ数日、鍛えていた成果が出ているようだ。今の状態のマオラオと戦ったら、自分でも勝てないだろうな、とギルは思いつつ、
「さて、2人っきりになっちまったな、聖騎士団長どの」
「……そうだね。ところで、君はもしかして――不死身なのかい?」
「まぁ、そんなとこだな。なんだ、絶望したか? でも安心しろ、こっちは殺すつもりは全くねェし……あのチビの逃げる時間を稼げたら、それで十分だから」
そう告げると、ギルはクラウチングスタートをするような姿勢で構え、ドッと雪を蹴ってフロイデとの距離を詰める。
相手は長物、こちらはナイフ。リーチ的にはフロイデの方がいくらか有利だが、攻撃の暇さえ与えなければどうということはない。あらゆる武器に精通するギルの手にかかれば、リーチなど関係なく、全ての武器が相手を圧倒するのだ。
「――っ!」
フロイデは、猪のようなギルの突進を自身の得物で受け止めた。金属同士が激しくぶつかり合う音が互いの鼓膜を叩き、擦れる刃が火花を散らす。
ギルの勢いに負けじと、フロイデも縦横無尽に剣を振るうが、どんな小さな隙も全力で突こうとするギルの攻撃の前に、ただただ防戦一方になる。
気が抜けばすぐに尖った刃が懐に入り込み、肉を切り分けえぐらんとするのだ。本当に殺さない気でいるのか、不思議なくらいの猛攻であった。
「君っ、性格、悪い、タイプ、だろうっ……!」
一瞬の油断も許されない応酬に、歯を食いしばった青年は苦悶の表情で呟く。
対して、
「あァ? 悪ィけど、世界で1番優しい男だぜ、俺は」
光る銀の筋を雨のように食らわせながら、血色の眼を輝かせる自称優男。
彼は『けけけッ』と鋭い歯を見せて邪悪に笑うと、今回の任務の本意を忘れ、増援の聖騎士たちがやってくるまで遊ぶように剣戟を楽しむのであった。
*
ギルとフロイデの戦闘開始から、時は巻き戻ること約10分前。アンラヴェル宮殿内の東エリア2階、とある廊下の空中に、淡い紫色の転移陣が生み出された。
突然現れたそれは一瞬光を強めると、ペッと吐き出すように何かを召喚する。そうして廊下に転がり出たのは、白と黒の給仕服を身に纏った少年2人であった。
「いったぁ!」
「うーわ、ダッサいっスね」
腰から落ちたシャロを見下ろすのは、無事に着地したらしい煽り魔だ。
おさげのウィッグを被った彼は、両手を自身の腰骨に当て、小馬鹿にするような笑みを浮かべていた。異様に似合っている女装が、余計にこちらの腹を立てる。
「慣れてないんだから仕方ないじゃん! ……ちょ、立てない」
腰を痛めたせいで上手く立ち上がれず、起立に苦戦するシャロ。それを『頑張ってくださぁい』と応援しながら、ペレットは周囲を観察した。
身長164センチのペレットが、2人連なっても寝れそうな幅のある廊下。その床に隙間なく広げられた、青地に金の刺繍が入った踏み心地の良いカーペット。
あちこちに飾られている芸術品らしきものの数々に、この宮殿の外で降る白雪を彷彿とさせる白亜の壁や天井。
青・金・白を基調とした、気品溢れる内装である。
どうやら2人は無事、アンラヴェル宮殿の中へ入れたようだが――。
「辺りには今のところ、誰も居ないみたいっスね」
「誰も居ないは良いんだけど、これからどーする? ギル達と合流する?」
「そうですね……」
ふらふらと立ち上がるシャロの言葉に、ペレットは手を顎に添える。
ギル達を探すか、ギル達を放って任務に集中するか。
今回、連絡用の無線機は全員装着しているが、正直間取りを知らないこの宮殿で恐らく動き回るギル達と合流するのは難易度が高いだろう。それに、そもそもメイドのふりをする以上、常に4人で固まって動くことはできない。
いっそこのまま別行動を取り、それぞれ神子の居場所を探した方が良いのではなかろうか。
などと考えていると、ふと、誰かに声をかけられた。
「あら、そこで何をしているの?」
「……!?」
突然聞こえた女の声に、ぎくりと身体を停止させるペレット達。2人が壊れたブリキ人形のように恐る恐る、声のした方向を振り向くと、そこにはこちらを見据えるメイドの少女が立っていた。
――太い1本の三つ編みにされた金髪に、おっとりとした顔立ち。ぱちぱちと動かされる長い睫毛の奥には、人の手が入っていない神秘の大自然を思わせる翡翠色の瞳が覗いている。大人びて見えるが、恐らく16〜7歳くらいだろうか。
全体的な線は細いのだが、肩や足腰がしっかりしている。何かスポーツの熟練者なのだろう。ささやかだが硬さを感じる手足に、2人はそう評価を下した。
立ち姿は毅然としており、外見年齢の割に初々しさはなかった。
内側から大胆に給仕服を押し上げる、豊満なその胸部のことを除いても、やはりベテランの風格があると感じる少女だった。
「えっと、貴方達は……」
シャロとペレットの顔を交互に見比べ、思案するメイド少女。
彼女のエメラルドの目は何かを探るような、
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