愛がはっとしたように「あっ!」と声をあげると、合点がいったように「そういうことかぁ」と言葉を吐き出す。なにがどういうことなのか、蚊帳の外の一里之にも分かるように説明願いたい。こうも、もどかしい思いをするのであれば、女装してでも同行すべきだった。


「こちらは、この学校の教師である堺先生の机の中から、赤祖父様が無断で拝借したものです。ウサギ小屋の中に落ちており、堺先生がある理由で現場から持ち去ったものになります」


 血にまみれたカッターナイフ。ビニール袋越しであっても、そこからは死臭がただよってくるように思えた。動物達の怨念がそこに集約されているのかもしれない。


「――実はこのカッターナイフ。作ったのは、堺先生の義両親の工場なんです。使い勝手やデザインが評価され、学校の文具の一部もそちらの工場にお願いしようという話も出ていたそうです。そんな矢先、高く評価をされた50周年記念のカッターナイフにより、ウサギ達が惨殺される事件が起きてしまいました。せっかく工場に学校の仕事をもらえるという話が出ていたのに、工場で作ったものが凶器ともなれば、その話自体が立ち消えになってしまうかもしれない。そう考えた堺先生はカッターナイフを現場から持ち去りました。これが何を意味するか分かりますか?」


 虫眼鏡レンズのようなもので血にまみれたカッターナイフを眺めつつ、鋭い視線をおっさんのほうへと向ける千早。堺先生とやらは、カッターナイフが凶器だと知られたくなかった。だからこそ凶器を持ち去った。それすなわち――。


「つまり、堺先生は凶器のことを他に口外するつもりはなかったということです。ウサギ小屋の事件に関して学校側に報告する際も、まず間違いなく凶器がカッターナイフであるということを伏せたはずです。そうしなければ、わざわざカッターナイフを現場から持ち去った苦労が水の泡ですから」


 カッターナイフは、ウサギを殺害するために使われた凶器という不名誉を回避するために持ち去られた。だから、それは本来他の第三者が知っているはずのない情報なのだ。


「もちろん、学校側が事件のことを公にした際にも、ウサギ小屋で使用された凶器のことには具体的に触れられていなかったのでしょう。ゆえに、凶器が50周年記念のカッターナイフであることを知っていたのは、ごくごく少数の人間だけだったことになります」


 ここまで話を聞けば、蚊帳の外の一里之にだって事件の全体像が見えてくる。つまり、一里之はそのごく少数の人間である愛から、あらかじめカッターナイフが凶器だと知らされていたからこそ、この違和感に気づけなかったのだ。条件が同じなのに、見事に着地点を定めた千早には脱帽ものである。


「まず、カッターナイフの存在を隠蔽しようとした堺先生。そして、その現場を目撃してしまった赤祖父様。最後に実際にカッターナイフを凶器として振るった【惨殺アイちゃん】本人――。凶器が50周年記念のカッターナイフであることを知り得たのは、このたった3人だけなのです」


 凶器が50周年記念のカッターナイフであったことは、実のところ広く知られているものではなかった。深い事情は知らないが、たまたま凶器を発見した教師が、それを隠蔽するという行動を取ったせいで――いいや、そのおかげで、凶器が何であったのかを知る人間が極端に少なくなった。それこそが、隠蔽した張本人である教師と、その教師と一緒に現場に戻ってきた愛、そして犯人の3人だけ。それはすなわち――。


「つまり、50周年記念のカッターナイフから事件のことを連想し、さらに連日のように押しかけてきていた風紀委員会と結びつけるのができたのは、この3人しかいなかったのです。そして、この3人の中で私のことを風紀委員会だと実際に勘違いすることができたのは1人だけ……」


 そもそも、千早のことを風紀委員会だと勘違いしたのは2人。バスケットボール部のキャプテンと、玄関口で佇むおっさんだ。この2人のうち、カッターナイフから風紀委員会を連想したのは1人のみ。バスケットボール部のキャプテンは他に根拠があって、千早のことを風紀委員会として間違えたのだから、犯人から除外できる。よって、千早がカッターナイフを持っていただけなのに、事件を連想して風紀委員会と結びつけることができたのは――。


「凶器がカッターナイフだと知っていた、あなたしかいないんです。河合健太さん」


 千早がぽつりと言い放つと、まるで時が止まったかのような静寂が訪れる。しばらくすると、またしてもおっさんの声が響く。それはもう悪あがきにしか見えず、一里之は思わず溜め息を漏らした。


「いや、それは誰かから聞いたんだ。誰から聞いたかまでは覚えていないがね」


「まるで堺先生か赤祖父様から情報が漏洩したとでも言いたげですが、残念ならがらそれはあり得ません。堺先生は凶器がカッターナイフであることを隠蔽したかったのですから、それを口外するわけがない。また、赤祖父様は風紀委員会をはじめとして周囲から疑われる立場にありました。そんな立場の彼女が、必要以上に凶器のことを言いふらすメリットが見つかりません。さらに疑われる――というデメリットならばあるのですが」


 架空上でチェスをしているかのごとく、相手の打ち筋の何手も先を読んで、決定的な一打を決める千早。もはや言いわけにしか聞こえない反論でさえ、しっかりと逃げ道を塞いだ上で追い詰める。


「つまり、両者共に凶器がカッターナイフであると露呈してしまうと不都合なんです。だから、そこから情報が外に漏れたとは考えにくい。では、どうしてあなたが凶器のことを知っていたのか。それはもう、あなたが【惨殺アイちゃん】である以外に理由は考えられません」


 おっさんはそこでようやく思い出したかのように、玄関の明かりを点けた。これまで逆光気味に映っていた姿が明らかとなるが、そこにいるのはスウェット姿の中年男性のみ。みずから【惨殺アイちゃん】などと名乗り、今時の女子高校生を装ってメッセージなどを残していたようには見えない。想像するだけで吐き気がする。


 ――千早が放った決定打に、おっさんは完全に沈黙した。玄関の明かりに照らされたその表情は無表情であり、ただただゆっくりと千早達の顔の間に視線を往復させている。ぴたりと首の動きを止めると、実に気味の悪い笑みを浮かべた。


「だったらどうする? 警察に突き出すか? でも、カラスは野生のやつを捕まえたし、タヌキも山の中で狩ったもの。まぁ、せいぜいウサギは学校側の所有物だったとして、どうやって被害を訴える? 学校は事を大きくしたくないようだし、唯一の被害者である学校側が被害を訴えない限り、この【惨殺アイちゃん】を罪に問うことはできないんじゃないかなぁ? 仮に罪に問えても器物損壊罪がいいところだよ?」


 それはもう、完全なる開き直りというやつだった。どんなに悪い方向へ転がったところで、そこまで大きな罪にはならない。それに、訴えるべき立場の人間は千早達ではないのだ。あくまでも学校側が訴えねば罪には問えないようだ。


「それは、認めるということですね? あなたが【惨殺アイちゃん】だということを――」


 千早が静かな口調で確認すると、おっさんはピースサインを目元に近づけ「そうでぇーす」と、ウインクをした。同性から見れば明らかに痛いし気持ち悪い。異性である千早や愛からも、決して好印象には受け取られないだろう。


「でしたら、先に赤祖父様から持ち込まれたカッターナイフの査定結果をお伝えさせていただきます。自分より弱く、また抵抗できない動物に対する非道なる行為、また万が一にも罪に問われても軽いもので済むように抑止した殺戮衝動。実に人間の汚らわしい部分を浮き彫りにした――いわくつきの品だと思われます」

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