15

 堺先生からすれば、千早は見たこともない女子生徒である。教師が全ての生徒を把握しているとは思わないが、見ず知らずの女子生徒から、いきなり犯人扱いされるのは誰だって嫌だろう。


「しっ! 失敬な! 私が【惨殺アイちゃん】であることなんて断じてない!」


「では、どうして現場からカッターナイフを持ち去ったのですか?」


 愛が強引なやり方をしたせいか、やや興奮している様子の堺先生は、千早の物言いすら面白くないらしい。


「そ、そんなこと生徒には関係ないこ――」


「ですが、事件が解決していないがゆえに、苦しんでいる生徒がいるんです。教師として、その辺りのことはどうお考えでしょうか?」


 彼が喋っている最中に口を挟むものの、あえてゆっくりとした口調で話す千早。売り言葉に買い言葉ではないが、相手と同じテンションでやり取りをしても、相手が落ち着いてくれることはない。相手に落ち着いてもらうには、まずこちらが落ち着いた様子を見せることが重要である。


「そ、それは……」


 徐々に堺先生は落ち着きを取り戻しつつある。愛が余計な刺激を与えないように、手招きをしてそばに引き寄せた。


「もし先生が【惨殺アイちゃん】でなければ、お話し願いませんか? 先生はどうして、カッターナイフを持ち去ったのでしょう?」


 こうして先生相手に交渉することができるのも、他校の生徒という強みがあるからなのかもしれない。自分の学校の先生が相手となれば、その先の学校生活のことも考えて、強気に交渉に出るなんて真似はできないだろうから。


「実は私の妻の両親がね、文具品を作る工場をやっているんだ。大手とは違って小さな小さな工場をね。50周年記念のカッターナイフは、実は私が仲介として間に入って、妻の両親の工場に生産をお願いしたものなんだ。学校側からすれば、できるだけコストを削減できるように、妻の両親からすれば、この不況の中で少しでも仕事ができるようにと、私がとりはからったつもりだ」


 堺先生はそういうと、少し嬉しそうにかすかな笑みを浮かべる。


「その甲斐もあってか、コストも低く抑えることができた上に、デザインや機能性などが、学校長をはじめとして他の先生方から高く評価されてね。まだ少し先の話だが、来年度辺りから学校で使用する文具の一部の生産、販売を妻の実家にお願いできないかという話が持ち上がっていたんだ。妻の両親もそう若くはないし、業界は大手に食いつぶされて零細企業は先細りするばかりだ。両親のことを心配していた妻にとって、そしてその妻の旦那である私にとっても、学校からの申し出はありがたかった」


 堺先生が現場からカッターナイフを持ち去った理由。彼が犯人でもなければ説明がつかないのではないかと考えていた千早であったが、どうやらそれも綺麗に解決してくれるようだ。


「そんな矢先、ウサギが大量に殺害された現場に、50周年記念のカッターナイフが落ちているのを見つけてしまった。もし、50周年記念のカッターナイフが、学校を騒がせつつある事件の凶器として使われてしまったら、奥様のご両親の工場に文具の生産と販売をお願いする話も立ち消えになってしまうかもしれない。そう考えたからこそ、現場からカッターナイフを持ち去った――間違いありませんか?」


 そもそも、仮に堺先生が犯人ならば、ウサギを殺害した際にカッターナイフを持ち去っていたはずなのだ。しかし、彼がカッターナイフを持ち去ったのは、愛と共にウサギの惨殺された姿を目撃した時である。それなりの理由があるとは思っていたが、どうやら千早の推測はどんぴしゃりのようだ。堺は頷くと続ける。


「その通り。あれが現場に落ちているのを見た時、真っ先に持ち上がった話が立ち消えになった時のことを想像した。それを知らされる妻の両親の寂しげな表情も――。現場から凶器を持ち去ることが良いことではないことくらいは分かっている。しかし、事件に使用されたというだけで、妻の両親の仕事が否定されるのだけは嫌だった。だから、凶器は現場から見つからなかったことにして学校側へ報告し、私が預かることにしたんだ」


 そのカッターナイフを愛が持ち出して今日にいたるということなのだろう。


 磔にされたカラス。現場に残されたピンクの蛍光ペンらしきものを使ったメッセージ。名前に【アイ】がつく人間こそ【惨殺アイちゃん】であるという事実。そして、千早がこの学校に来てから抱いた違和感と、知り得ないはずのことを知っていた様子の――あの人物。


 千早は目を閉じて小さく溜め息を漏らすと、目をゆっくりと開いた。


「赤祖父様、たった今しがた査定のほうが終わりました。今回のいわくにどれだけの値がつくのか――この場で査定結果をお伝えしても良いのですが、少しばかり私のわがままに付き合っていただけませんか? 査定結果を【惨殺アイちゃん】にもお伝えしたいのです。これ以上、罪のない動物達が犠牲になるのは、一人の人間として許せませんから」


 古物商としては、この場でクライアントの愛に査定結果を伝えれば仕事はなかば終わったようなものだ。しかしながら、猫屋敷千早という一人の人間としては、それで終わらせるわけにはいかなかった。


「そういうことならば、もちろん」


 愛がそう言って頷き、堺先生はなんのことかと首を傾げる。まるで見計らったかのように、下校時刻を告げる放送が流れたのであった。

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